第4話 廃墟の村(1)「人の世の果て」
カミットは黙々とネビウスの後ろを着いて歩き、山を一つ二つと超えて、あるとき力尽きてパタリと倒れてしまった。カミットは十分に野山で遊んで育ってきたが、それでも体力と筋力はまだ十歳の子どもであり、朝から晩まで歩いて、崖を上り下りしても平気なネビウスには着いてこられなかったのだ。
巨獣の縄張りを抜けた辺りから、ネビウスはすっかり自分の前しか見なくなっており、うっかりしてカミットが倒れているのにも気づかず行ってしまいそうになった。このとき森の呪いが根を伸ばして、ネビウスの足を掴んで引き止めた。
「うぎゃっ!」と悲鳴を上げて、ネビウスはうつ伏せに倒れた。
ネビウスは足に絡まる根を睨みつけて、怒りの火を起こして燃やしてしまった。燃えつつある根を辿っていくと、カミットが雪に埋もれて倒れているのを見つけた。ネビウスは大きなため息をついて、カミットをおぶった。
「ちょっと持ちづらいでしょ。あんたも少しは手伝いなさい」
ネビウスは見えざる森の呪いに注文をつけた。するとカミットの体から蔦が生えてきて、親子の体をしっかりと密着させて、カミットが落ちないように固定させた。
カミットが気絶しているのが好都合だったので、ネビウスは夜通し早足で歩いて、一気に吹雪の山岳地帯を抜けた。高度が下がると背の高い木々が増えた。ときどきは森を闊歩する獣と遭遇したが、ネビウスは彼らを手で払う仕草をして追い払った。下等な獣はネビウスに挑戦してきたが、この場合は火を見せて脅かすことで対処した。
森を抜けると、低木やちょっとした茂みが点在する荒れ地となった。記憶を頼りに進むと、瓦礫に埋もれた廃墟群を見つけた。
ネビウスは怪訝に思い、目を細めた。
「たった十年で……」
最果ての村とも呼ばれたその村落は、山越え前の滞在にちょうどよい場所に立地しており、ネビウスも里帰りの際の前夜には滞在したものであった。打ち捨てられた建物の状態はいずれも良くなかったが、賊や獣に襲われたような跡はなく、何らかの理由で村民がこの場所を離れたのだろうと推察できた。
ネビウスの背のカミットがもぞもぞと動いた。
「ネビウス。ここは?」
「ナタブの村よ」
ネビウスはカミットを下ろして、彼にパンと水を与えて昼食がてら、村外れの櫓に登った。
櫓からは周囲の荒れ地とその向こうの広大な森、そして遥かに遠のいた巨獣の山々が見えた。
「ここは山から巨獣が下りてこないかを見張るのにちょうどよかったのよ。それでナタブの中でも精鋭の戦士たちが滞在していた」
「ナタブ?」
「里の外の連中で、やたらと数が多いやつらのことよ」
「僕はナタブ?」
「坊やは森の民。葉髪で緑色の肌をしているでしょ」
ネビウスはあちこちを見回して、ため息をついた。
「どうしようかしら」
ネビウスには留意すべきことがいくつかあった。
先ず、カミットの森の呪いは成長につれて落ち着いてきているとはいえ、それでも突発的に暴れまわることがあるのだ。このような状態でカミットを都市生活に放り込むことは危険であり、当面の間は郊外の広々とした人の少ない土地で養育する必要があった。
もう一つ考えねばならないのは、食料の確保である。森の呪いはカミットを守護するが、パンや果実を与えてはくれないのだ。
ネビウスはここに来るまでの間で見かけた果実や野草を集めておいたので、向こう三日くらいならば食料にも困らないが、今後の生活で生きるために足を動かすとなると、これは彼女にとってナンセンスであった。ピクニックは楽しむものであり、義務ではないのだ。
最後の懸念として、この村のことである。観測地として最適なこの村が打ち捨てられている現状は憂慮すべきことであり、ネビウスはこの土地を捨て置くことに不安を感じていた。獣が凶暴化しているならばなおさらである。
ネビウスが村のあちこちで埃を被っていた魔除けの祠を点検しだした。カミットはその意図を察した。
「ここに住むの?」
「住みはしないけど、少し様子を見るわ。魔除けの呪いを土地にかけておきたいから」
「他の里の人たちはどうしたんだろ。みんなも手伝ってくれれば良かったのに」
「連中は一直線に太陽の都を目指したのよ」
ネビウスは自らの言葉に失笑を漏らした。
「あの人達は里の外に興味がなくて、すぐそこに目で見える物だけが全てなの」
「僕もみんなやネビウスだけが全てだ」
「悪いけど、坊やに広い世の中を見せるのはまだ先になりそう。我慢してね」
「僕は我慢なんてしていないよ!」
ネビウスは奇妙に歪んだ顔で、へらへらと笑った。次には真顔になって、カミットの胸元を見やってぼそりと言った。
「あんたが暴れん坊なせいよ」