槍岩の海(2)「海の盗賊」
ネビウスは海に入り、水が腰まで浸かる高さまで進み、水息の呪いが宿る苔玉をカミットに飲ませた。苔玉は味も臭いもほとんどなかったが、喉を通すときに何やら蠢く気配がして、カミットは一度吐き出してしまった。カミットは何度も挑戦して、吐き気のせいで涙を零しながらなんとか飲み込んだ。ネビウスは同じものをするりと飲んだ。
カミットは苔玉を飲むと、だんだんと息が苦しくなった。ネビウスも段々顔色が悪くなって、あるとき水に頭を埋めて起き上がらなくなった。カミットがパニックを起こしていると、ネビウスの手が伸びてきて、カミットを水中に引き込んだ。カミットはネビウスが良くないものに変わってしまって海に引きずりこもうとしてくるように感じた。
カミットは水から抜け出そうとして、激しくもがいた。すると不思議なことが起きた。先ほどまでの息苦しさが徐々に解消されて、カミットは水の中で息ができるようになったのだ。
説明はされていたものの、体験として理解するのでは大きく違った。カミットは笑顔になって、ネビウスに抱き着いた。ネビウスはカミットを撫でて、既に水中で待機していたシルクレイシアに手を振って合図をした。
三人は槍岩の海へと泳ぎだした。カミットは水面を平泳ぎで泳ぐのには慣れていたが、水の中を速く泳ぐやり方は知らなかった。シルクレイシアはヨーグ人に特有の手足の鰭を使って、体をしならせることで本当の魚のように泳いでいた。一方、ネビウスもいつの間にやら手足に鰭付きの補助具を付けており、ヨーグ人さながらの巧みさでスイスイと泳いでいた。シルクレイシアとネビウスがカミットを間に挟んで、三人は並んで泳いだ。
ときどきネビウスとシルクレイシアが口からポコポコと泡を零したり、喉奥から絞り出すようにしてキィキィと高い声を鳴らしたりして、水言葉によって話し合っていた。カミットは二人のやりとりが分からないので、少し不機嫌になって、勝手に離れて泳ぎだした。
海にはカミットが見たことのない世界が広がっていた。岩の近くに棲む赤や黄の美しい魚たち。ゆらゆらと海中を漂う巻貝やクラゲ。背に向かって泳ぐエビ。海底を這うタコ。
黒々とした大きな流れが現れると、それは魚群である。カミットは魚群に巻き込まれると視界の一切が魚たちで埋まった。それがパッと離れていったかと思うと、カミットの眼前には大きな口を開いたサメがいた。
カミットが丸呑みにされる寸前で、ネビウスが間に入った。サメは口を開けたままでいて、ネビウスはサメの口の中をこちょこちょとくすぐり、これだけでサメを大人しくさせて帰らせた。
カミットはネビウスがいれば安心だと思っていて、海底を泳ぐ巨大なウツボを見つけると、その長い体が面白いと思って近づいていった。
このときはネビウスは慌てた様子でカミットを引っ張って戻し、カミットをシルクレイシアに預けた。
ウツボは激しく威嚇して、鋭い牙を見せつけた。
ネビウスは槍を突き出した。ウツボはネビウスに噛みつこうとした。ウツボが長い体でネビウスに巻き付こうとすると、ネビウスは素早く泳いで拘束から逃れた。
槍の鋭い突きがウツボの体に刺さり、血が煙のように吹き出した。
ネビウスは水中であるにもかかわらず槍の先に火を灯した。ネビウスの火はただの火ではないのであった。攻撃的ですらある光がネビウスとウツボとの間に壁を生み出すようであった。ウツボは激しく威嚇しながらも、ネビウスへの挑戦を諦め、ついに退散した。
後でネビウスはカミットとシルクレイシアに説明した。
「人を食べたことがあるやつは魔除けの効きが弱いのよ」
※
ネビウスの魔除けが効かない例外の二つ目は間もなく訪れた。アシカの群れが一直線に向かってきたのだ。
シルクレイシアが手を向けると、水流の壁が生まれ、アシカたちは分散した。それでもなおこのアシカたちは標的を取り囲むようにしてぐるぐると泳ぎ回った。野生であれば、むしろ人に友好的な種であるというのに、彼らはしきりに牙を見せつけて威嚇していた。
ネビウスとシルクレイシアは水言葉の泡で合図をし合った。
ネビウスが強烈な火の光を起こすと、アシカたちは一瞬だけ怯んだが、なおも包囲を緩めなかった。
アシカたちは直接は攻撃を仕掛けてこなかった。彼らは斥候だったからだ。
やがて十数人のヨーグ人の男たちが泳いでやってきた。彼らは表情が荒んでおり、目は獣のようであった。そんな彼らが槍を手にしているのだから、今にも襲いかかってきてもおかしくなかった。
カミットは緊張して、ネビウスから離れないようにした。ネビウスはカミットを抱いて、近くに男たちが寄ってこないように、槍を振った。
シルクレイシアは水言葉で男たちと話し合った。
しかし話し合いはすぐに終わり、戦闘になった。
男たちは子連れのネビウスを先に狙った。ネビウスは槍を振って応戦したが、泳ぎではさすがにヨーグ人の方が優れている。ネビウスは持続的に燃える火を起こして、周囲にいくつも漂わせることで防壁とし、どうにか敵の攻撃を防いだ。
シルクレイシアは男たち数人と高速の水泳戦を繰り広げた。シルクレイシアの方から攻撃することはなく、シルクレイシアは逃げ、男たちは追った。槍が鋭く繰り出されると、シルクレイシアは体を捻ったり、高速で回転することで、巧みに攻撃を避け続けた。水の呪いの達人である彼女は、体の周りの水流を操り、他のヨーグ人よりも速くかつテクニカルな動きで泳ぐことができた。
激しい水中戦が続いた。ネビウスが火の数を大幅に増やし、海中に無数に散りばめられてあちこちでぼんやりと光った。これらの火は自律的に動き始めて、直撃したヨーグ人は炎に包まれた後、動かなくなって海面に浮上していった。
戦いの最中もネビウスはカミットを抱きしめて余裕の表情でいたが、急にあらぬ方向を見るなり、戦闘海域から離れようとした。
槍岩の向こう、仄暗い海の底から何かが来ようとしていた。
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