第29話 東の港街(7)「弟子入り」
いつものように大所帯による夕食の席で、部屋の隅で寂しく座っていたカミットにシルクレイシアが迫った。カミットは警戒して、シルクレイシアを睨んだ。
シルクレイシアは舌打ちして言った。
「生意気なガキね。何なのかしら、その目!」
カミットは立ち上がり、シルクレイシアを睨み返して言った。
「僕は負けないよ。水の呪いだって跳ね返してやる」
一触即発の雰囲気が漂い、これを止めようとしてタゴンが立ち上がったときだった。シルクレイシアはふんと鼻を鳴らして、大きな声で宣言した。
「ネビウスがやんややんや言うから仕方ないから、あなたを私の弟子にするわ!」
数十人はいるタゴンの一族の者共、またネビウスですら、キョトンとして首を傾げた。守り子が後進を育成するのは普通のことであるが、水の呪いとは無縁のカミットを、しかも森の民を弟子にするというのは、普通の人は発想すらしないものであった。
「感謝しなさいよ。私の弟子になるなんてすごい光栄なことなんだから」
シルクレイシアが良い気になって喋っていると、
カミットはゆっくりと立ち上がった。そして吠えた。
「お前の弟子になんかならない!」
シルクレイシアはあまりの大声に気圧されていたが、すぐに切り返した。
「私に付いて弟子修行をするか。それとも、この家でずっと留守番するか。その二択よ!」
「この家に一人でいるよ!」
「もう何なの! このガキ!」
カミットもシルクレイシアも、二人して顔を真赤にして怒鳴り合っていた。
ここにネビウスが混ざった。ネビウスはシルクレイシアに仲良さげに寄り添ってみせて、カミットに語りかけた。
「坊や。私は今日シルクレイシアと過ごして、彼女を好きになったわ」
カミットはショックを受けてオロオロとした。彼にとってシルクレイシアはネビウスに危害を加えた敵であった。彼はシルクレイシアが親子の共通の敵であって欲しかったのだ。
「なんで!?」
カミットは癇癪を起こして叫んだ。
ネビウスはカミットに温かい眼差しを向けて言った。
「嫌いになった人をずっと嫌いでいる必要はないのよ。私が教える、ただ一つのことよ。カミット、自由になりなさい」
カミットはその場に立ち尽くし、歯を食いしばって耐えていたが、やがて涙をぽろぽろと零した。
このとき森の呪いの力が、一輪の花を生み出した。
周囲の者たちは騒然として、一族の若い男たちは銛や包丁を持ち出した。しかしシルクレイシアが彼らを睨んで留まらせた。
呪いの花は蔦を伸ばして、カミットの涙を拭った。
シルクレイシアは驚愕してネビウスに小声で聞いた。
「呪いが独立の意思を持ってるの?」
「そうみたいね」
「おかしいでしょ」
「そうなのかしらねェ」
ネビウスがシルクレイシアの質問をはぐらかしている間に、カミットは気持ちを落ち着けており、役目を終えた花は枯れた。
カミットはいかにも妥協するというような感じで、シルクレイシアに言った。
「弟子になってあげてもいいよ」
「先ずは口の利き方から教えていかないといけないようね」
師弟は睨み合うも、この後カミットはその座り位置をシルクレイシアの隣に移動したのであった。
※
シルクレイシアは岩礁に立ち、海に向かって長年の友人にするようにして微笑みかけた。そこから彼女は美しい放物線を描いて、海に飛び込んだ。
ヨーグ人は冬の海の冷たさをもろともせず、さらに胸部から胴体側面にかけてある鰓で呼吸できるため、時間の制限なく水中を泳ぐことができた。
一方で、毛皮の外套を着たカミットは岩の上で波打つ海面をじっと見つめていた。凍てつく潮風に吹かれると、彼はぶるりと震えた。
しばらくしてシルクレイシアが勢いよく海から飛び出してきて、カミットの横に着地した。
「何しているのよ。弟子も来なさい」
「ネビウスが冬の海には入るなって言った」
「はぁ?」
「風邪を引くって」
「軟弱ね! だったら何を教えれば良いのよ!?」
カミットは悔しかった。このままでは軟弱ということにされてしまう。カミットはいっそ試しに飛び込んでみようと思った。
そのとき火の矢がごうごうと燃えながら空を飛んでいった。カミットとシルクレイシアはその火の矢を見上げた。カミットはぼそりと言った。
「ネビウスが、やめなさい、って言ってる」
「……そうみたいね。どうやって感じてるのかしら。ほんと、過保護ね」
師弟が互いに困っていると、海の中からヨーグの三人の若い女が顔を出した。
「シルクレイシア! 森の子を弟子にしたんですって?」
「神殿に反抗するのもほどほどにしなさいな!」
「そんなことしていないで、海藻狩りに行きましょう」
シルクレイシアは何やら閃いた様子で、三人の女に呼びかけた。
「アンタたち。ちょっとこっちに来なさいよ」
女達は一回潜った後に、勢いを付けて海面から飛び出してきて、シルクレイシアの近くにそれぞれ着地した。
シルクレイシアは彼女たちに言った。
「紹介するわ。私の弟子のカミットよ」
女達はけらけらと笑った。
「私、森の子を初めて見たわ」
「そんなことをして、わざと神官を怒らせようってわけね」
「シルクレイシアは変わっているわね」
カミットは女達の姿に驚いた。ヨーグは一般に肌の露出が多い服を着ているが、実際に海で仕事をする女達は胸部と陰部を隠しているだけで、お腹や太ももなどの大部分が見えてしまっていた。カミットはまごまごとして視線のやり場に困った。
シルクレイシアは神官ということで、体の上下を覆う長衣を着ており、彼女は服だけならば普通のヨーグ女よりも貞淑な装いであった。
「ネビウスがカミットに色々勉強させたいんですって。アンタたちも手伝ってよ。家業のことは私から言っておくからさ」
女達は首を傾げた。
「どういうこと?」
「勉強って何?」
「シルクレイシアはときどき難しいわ」
シルクレイシアが女達に頼んでいる間、カミットは黙って目を逸していた。
すると女の一人がカミットに近づいた。
「ねえ。森の子はカミットって言うのね」
「そうだよ」
カミットはボソッと言った。
「笛を作りなさいな。海を泳ぐなら、笛が無いと危ないわ」
カミットは興味を惹かれて、女の顔を見た。
「笛って何をする物?」
「海の中で連絡を取り合うために使うのよ」
「水言葉!?」
「あら、水言葉を知っているのね。笛は水言葉とは違うけど」
「ネビウスが五十年で話せるようになるって言ってた!」
女達はけらけらと笑った。
「ヨーグでなかったら、それくらいかかっちゃうかもね」
「僕、水言葉の練習をしたくて」
ここでシルクレイシアが割って入った。
「そんなことしてたら人生終わっちゃうわ」
「なんで?」
「当たり前でしょ。アンタ、いくつまで生きるつもりなのよ」
「生きるって何?」
「えーっと、……、弟子は訳分からないこと聞いて、師匠を困らせてはならないのよ!」
「んん? なんで?」
「なんで、じゃないわ!」
師弟のやり取りを見ていた女達は楽しそうに笑った。
「案外お似合いかもね」
「生意気なところが昔のあの子みたいだわ」
「今もでしょ」
シルクレイシアは彼女たちを睨んで叫んだ。
「私をこんなのと一緒にしないでよ!」




