第28話 東の港街(6)「悩める母」
ネビウスとミーナがタゴン邸に帰ってきたのは夜遅くだった。カミットは寝室で一人で待っていて、ネビウスが姿を見せるなり彼女に駆け寄った。
「今日は槍の練習をしたよ!」
「あらまァ。タゴンがいろいろやってくれたのかしら?」
「うん!」
「それじゃあ明日お礼を言っておかないとね」
普段ならネビウスはカミットが飽きるまで話を聞くのだが、この日は気持ちが滅入っていたので、早々に寝支度を済ませてベッドに入ってしまった。
翌朝、タゴンがネビウスを自室に呼び出した。
「森の子のことで話がある」
ネビウスはまた苦情を言われると思ってうんざりした。
「アンタたちもいい加減にしてよ。ああ、そうそう。昨日はカミットに槍の稽古をつけてくれたんだってね。ありがとね」
「昨日、槍の精霊が森の子に加護を与えた」
「んん?」
ネビウスは固まり、首を傾げて聞き返した。
「なんで?」
「質問するのはこちらだ。森の子に槍を教えたな?」
「いいえ。まったく」
「まあ、そう言うだろうな」
「槍の精霊がヨーグの信仰する精霊だってことくらい分かっているわ。よそ者が勝手なことはしないわ」
「ではなぜ」
「一つ心当たりがあるとすれば」
ネビウスは言いかけて口ごもった。
タゴンは脅すように言った。
「言え」
「あの、うーん。あの子の出自を私は知らないのよ。私達の拾い子は血縁隔絶が掟だから」
「何が言いたい?」
「あの子って森の民にしては、ちょっと顔立ちが変わっているでしょ?」
「そうなのか? 俺には森の民はみんな同じ顔に見えるぞ」
「なんかの血が混ざってるのよ。勘だけど、あの子は呪いのこともあるけれど、そういう事情で生きていかれなくなって捨てられたんだと私は思っている」
「ヨーグの血が混ざっていると?」
「そうかもしれない」
「それが事実なら哀れなことだ。森の民とヨーグの混血では、どちらの集団でも受け入れられないだろう」
「見た感じでは、あの子は森の民にしか見えないから、そういうことでやっていかせるつもりよ。タゴン、この話は口外してはならないわ」
タゴンは一応は頷いたが、だからといってネビウスの味方になるわけではなかった。彼は多くの豪族を束ねる政治家でもあり、一族やその傘下の者たちの利益を守らねばならなかった。
「ネビウスの言い分は聞いた。ただな、それでも古の民がヨーグの精霊を誑かしたかもしれないし、言えない内容となればなおさら不利になるだろう。俺ははっきり言って、たとえヨーグの血を継いでいたとしても、森の子に目をかけてやる義理がないから、代わりに神殿を説得してやるつもりはない」
「はい、はい。私が対応するわ」
ネビウスは大きくため息をついた。彼女はタゴンをちらりと見て言った。
「海の神殿の雰囲気を知ってるでしょ? 私もあそこに行ったのは百年以上ぶりだったから、変わりように驚いちゃった」
「……俺が言うことはなにもない」
タゴンは事情を知っている様子で、気まずそうに唸った。
ネビウスが海の都の神殿で交渉して獲得できたのは、港街においてネビウスが呪いの子であるカミットを連れて歩く許しだけであった。これはタゴンが黙認していることなので、事実上ネビウスは何一つ新たに得るものが無かったのである。
カミットが単独で歩き回ることを許されない理由として、神殿は呪いの危険性を強調するばかりで、交渉の余地を与えなかった。
しかもシルクレイシアが最初から頷かなかったように、カミットの身の安全は保証されなかったのである。神殿の言い分としては、人々の些細な諍いを一々仲裁はしていないので、森の民を特別扱いして保護することはないという。
神殿からすれば、街の乱暴者にひ弱な者が殴られるのはよくあることだ、という認識なのである。タゴンがヨーグ人で最大の体格を誇る強者であることが彼の栄光の経歴に欠かせなかったことが示すように、ヨーグ人の男たちの世界では強き者は尊く、弱き者は卑しかった。この原則はだいたいは何処に行っても同じであり、あらゆる部族社会の根底であった。
ネビウスは神殿との交渉のときには、すっかり怒ってしまって、神官に対して威圧的に言った。
「だったら、森の子が突っかかってきたヨーグのチンピラを呪いで半殺しにしたって、アンタたちは黙って見逃すのよね?」
神官はこの問いに回りくどい言い方で答えた。
「ここはヨーグの街だ。森の子がどう振る舞うべきか、よく考えて教えるのが親の務めであろうな。有事の際には、私達は一族の者を守るであろう」
※
ネビウスはシルクレイシアと地域の祭壇を点検する約束をしてしまっており、その日はカミットをタゴン邸に預けることになった。
初日はシルクレイシアが付き添った。シルクレイシアは明るく挨拶をして回り、人々を元気づけた。シルクレイシアは普段からあちこちに顔を出しており、老若男女を問わず住民から親しまれていた。
ネビウスは旅先で警戒されることも珍しくなかったが、東の港街においては、シルクレイシアの影響によって好意的に受け入れられた。
昼時になると、人々が食事を持ち寄ってきて、祭壇の周りでちょっとした宴会のようになった。シルクレイシアは誰とでも気さくに話して、相手に応じて気の利いたことなども言うので、彼女の周りはいつでも賑やかで楽しい雰囲気になった。
ネビウスはシルクレイシアの人気ぶりに納得していた。ネビウスもまたシルクレイシアと一緒にいると楽しかったのだ。
しかしこの間にもカミットが一人寂しく留守番していると思うと、ネビウスは胸が締め付けられるようであった。
ネビウスはその日の予定を終えた後、帰り道でシルクレイシアに切り出した。
「ねえ。やっぱりね。私、カミットを一人にしておけないわ」
「連れてくれば良いじゃない」
「子どもを連れ回してたら仕事にならないわ。あの子はまだ言って良いことと悪いことの区別がついていないから余計な諍いを起こすし」
「私、子どもいないから分からない。そこら辺で遊ばせとけば良いんじゃないの?」
「漁師は漁に子どもを連れていかないでしょ」
「私達は漁をしているわけじゃないわ」
「あのね。思っていたよりも遥かにヨーグが森の民と上手くいかないみたいだから、やっぱり私はこの街にはいられないわ」
「……そう。困ったわ」
シルクレイシアは顎に手を当て悩み始めた。
そのままお互い無言になり、とぼとぼと歩いて、タゴン邸に着いた。
門の前でネビウスはふと気づいた。
「シルクレイシアは都に帰るんじゃないの?」
「ネビウスが余計な仕事を増やしたのよ」




