第27話 東の港街(5)「槍の加護」
朝食の後、ネビウスはシルクレイシアに同行し、ミーナも連れて朝から海の都へと出かけていった。
カミットはタゴン邸で留守番となった。幸いにして裏庭で遊ぶことは許され、カミットはそこで射的の練習をした。彼はいつものように森の呪いで的を無作為に次々現し、これらをシュパシュパと調子よく撃ち抜いた。
使用人がこれを見て告げ口をしたらしく、タゴンが様子を見に来た。彼は厳しかった。
「森の子。呪いを使うな」
カミットは首を傾げた。
「なんで?」
「子どもが口答えをしてはならぬ」
「荒れ地の都ではやってたよ」
「二度は言わぬ。俺は古の民の子であろうと、きちんと殴るぞ」
カミットは口を尖らせた。弓をしまいつつ、文句を言う。
「そしたら、僕はやることが無くなっちゃうな」
タゴンは顎を撫で、考える素振りを見せた。
「槍をやれ」
「タゴンが教えてくれるの!?」
「俺は教えぬ。一本貸してやるから、日に千回、突きの練習を一人でやれ」
カミットはタゴンが使用人に命じている最中に森の呪いで背丈ほどの長さをした木の槍を一本生み出した。
タゴンはカミットをぎろりと睨んだ。
カミットはへらへらと笑い、作ったばかりの槍をその場で枯らした。
タゴンが最初だけ手本を見せた。彼は垂直に立てられた丸太に向かって鋭い突きを放った。どっしりとした体幹に支えられた迫力のある一撃であった。
「よく聞け。突きの極意というのはな……」
タゴンが話している最中に、カミットは使用人から練習用の木の槍を使って、見様見真似で勝手に丸太に向かって突いてみた。初めて弓矢を使ったときとは感触が違った。カミットは槍を持つのは初めてだったが、不思議とこの武器は手に馴染む感じがした。
木の槍の切っ先は丸太に深く突き刺さっていた。カミットは槍を引き抜こうとして悪戦苦闘した。そうして夢中になっていると、彼の背後に恐ろしい気配がった。
タゴンが先程よりも険しい顔でカミットを睨んでいたのだ。カミットはこの短時間の間でタゴンの指示を次々無視したので、彼を怒らせても無理はなかった。
カミットは慌てて丸太に刺さったままの槍から手を離し、背筋を伸ばした。彼はギュッと目を瞑り、歯を食いしばった。
今度こそ殴られると思ってカミットが覚悟していたところ、タゴンは恐ろしい沈黙の後にこう言った。
「行く場所ができた。お前も行くのだ」
「何処に!?」
「質問はするな。勝手なこともするな。言われたことだけをしろ」
「なんで?」
言った瞬間にカミットは手で口を抑えた。
タゴンは静かに言った。
「もしもお前が殴られねば分からぬと言うなら、俺は殴らねばならぬ」
カミットはぶんぶんと首を横に振った。
タゴンはカミットがこれまでに出会った中で最も恐ろしい雰囲気を持つ男であった。幸運にもまだ殴られていないが、このまましくじり続ければ容赦なくその硬く大きな拳によって罰が下されることをカミットは理解していた。
※
街の一角にある広場で、十数人の子どもたちが一列に並び、槍を突き出したり、振ったりして、練習をしていた。
彼らを指導するのはヨーグ人の神官である。
タゴンはその神官にカミットを引き合わせた。
神官はカミットを見て、一瞬顔を引きつらせた。彼は取り繕うように笑って、タゴンに話しかけた。
「旦那様。どうなさいましたか?」
「この森の子を見定めよ」
タゴンはこれだけを言った。
神官は怪訝そうに顔を顰めた。彼はカミットに「来い」と短く言った。
稽古場近くの通りにある祭壇で、神官はカミットを祈らせた。
カミットは一応は祈りの作法を知っていたので両手を組み合わせて「ぜひ、ぜひ」などとぶつぶつ言って、何の精霊に対してか分からぬまま祈った。
祈り始めてすぐに、祭壇がぼんやりと光った。
「なんということだ」
神官は驚いて声を上げた。
後ろで様子を見ていたタゴンも近づいてきて唸った。
祭壇の割れた岩の隙間から丸みを帯びた大きな背甲と細長くて鋭い尻尾を持つ甲虫が出てきたのである。さらには、ほんの小さな虫と見えていたものが、両手を使わなければ持ち上げられない程度にみるみる大きくなった。
カミットは驚いたが、怖くはなかった。動物がこうも自在に体の大きさを変えることはありえない。彼は祭壇に現れたのは精霊だと分かっており、精霊そのものが危険ではないことを知っていた。
タゴンは神官に尋ねた。
「どう思う」
「槍の精霊が森の子を愛するはずはありません」
「そう思うよな。俺も戸惑っている」
大人が話し合う間にも、その槍の精霊は鋭い槍の尻尾でカミットをツンツンと突いて、何やら戯れるような仕草をした。
「タゴン! これはどうしたらいいの?」
「黙って祈れ」
「さっきから祈ってるよ」
カミットが口答えをすると、ついにタゴンはその気になってしまった。
彼は拳を振り上げてカミットを殴ろうとした。
そのとき、槍の精霊がぴょんと跳ねてカミットの頭の上に張り付いた。タゴンがそのまま殴ってしまうと、槍の精霊ごと打ち付けることになるのだ。
これを見て、とうとう神官は狼狽えた。
「旦那様、こんなことがあってはなりませぬ!」
タゴンは苦々しい顔で拳を下ろした。
「槍の精霊はなぜ森の子を守るのか。……俺たちが戦士を死なせすぎたからか」
「たしかに、槍の精霊の加護を受けた戦士はもうほとんど生き残っておりませぬ」
「神殿は逆上するかもしれぬ。だが俺は思うのだ。森の子をこの場で追放するのは簡単だが、槍の精霊をこれ以上裏切るのはかえって良くないのではないかと」
神官はただ悔しがるばかりで、タゴンの言葉には頷かなかった。神官とはあくまで神殿の代弁者なのである。漁師たちの頭領であるタゴンと神殿の神官とは必ずしも精霊に対して同じ考え方ではなかった。
タゴンはカミットに他の子供達と一緒に槍を練習するように命じて、見張り役の使用人を残して帰っていった。




