第26話 東の港街(4)「新しい友」
ネビウスはカミットを養子にしたとき、数時間足らずで養育を放棄しかけたことがあった。今は愛情を持ってカミットに接するようになったが、根っこの部分は変わっていない。物事を教えないネビウスとは、子どもの成長に自主性を重んじるとかでは決してない。彼女は何かに拘束されるのが嫌で嫌でたまらないのである。
「どうしたものかしら。嗚呼ッ! どうしたものかしら!」
ネビウスはタゴンの屋敷の寝室でベッドに転がりながら呻いた。
彼女は長年生きているので、自分に出来ることと出来ないことが分かりすぎていた。カミットを四六時中連れて面倒見るなんて、彼女には不可能であった。もしそんなことをすれば、愛情が裏返って、憎しみに変わることすら考えられた。
「もういいわ。海の都は後回しにしましょ」
ネビウスは問題を先送りすることにして、その日はぐっすりと寝たのであった。
翌朝、タゴンの屋敷の広間で数十人の家族がみんなで朝食を食べるのだが、その中に海の守り子であるシルクレイシアの姿もあった。前日の騒動の後、彼女は海の都に戻ったわけではなく、地元の友達の家に泊まっていた。そして朝には当然のように実家に帰ってきた。
ネビウスは気まずいと思いつつ、シルクレイシアに愛想よく挨拶をした。
「おはよう。昨日はカミットが生意気を言ってごめんなさいね」
ネビウスのやたらと丁寧な態度はシルクレイシアを反って警戒させた。シルクレイシアは腕組みをして、ネビウスを睨んだ。
「なによ、気持ち悪いわね。子どもが言ったことなんて、気にしていないわ」
「うふふ、ありがとね。そのうちまた海の都にお邪魔することもあるだろうから、そのときはよろしくね」
ネビウスが言うだけ言って去ろうとすると、シルクレイシアは慌てて引き止めた。
「はァ? あなた、魔人のことを調べに来たんでしょ」
「こっちは大丈夫そうだし、空の都の方を先に見に行こうと思って」
ネビウスはでまかせを滑らかに述べた。
シルクレイシアはあからさまに苛ついて聞いた。
「戻るのはいつになるってわけ?」
「荒れ地の都でも半年くらいかかったし、次もだいたい半年か一年はかかるだろうから、早くて来年」
「ふざけるんじゃないわよ。こっちの魔人を先にどうにかしなさい!」
ネビウスはへらへらと笑った。彼女は想定していなかった展開に戸惑っていた。軽く挨拶をするだけのはずが、他にも親族が多くいる朝食の席で重要な話が行われつつあった。子どもたちは元気に大声で喋りながら食事をしていたが、大人たちは皆言葉少なにしてネビウスとシルクレイシアの会話に聞き耳を立てていた。
「あのね。タゴンは自力でどうにかするって言ってたのよ」
「無理よ! 呪いの入り江で戦士がどれだけ死んでいると思っているの?」
「ん? そうなのォ? 大変ねェ」
「魔人に魔除けの祠が壊されちゃって、凶暴な海獣たちが陸に上ってきている。このままじゃ、港はやられちゃう」
「アンタもそれだけ自由に動けるなら、自分で魔人をさ」
「魔人は戦い方を知っているのよ。私が本当の力を出せるのは神殿の近くだってことを知っているの。だからアイツは陸を縄張りにした」
ネビウスはシルクレイシアに顔を近づけ周囲に聞こえないように小声で話した。
「魔人と戦ったの?」
シルクレイシアは小さく頷いた。その表情には悔しさが滲み出ていた。
「そのこと、タゴンは?」
「知らないはずよ。神殿は守り子が魔人に勝てなかったなんて、絶対に公表できないから」
ネビウスは、うううう、と急に唸り始めた。
シルクレイシアはぎょっとして仰け反った。
「何なのよ! 大人だったらしっかりしてよ!」
「私は魔人と戦う気はないのよ。私はこの街とか、海の都の人間ではないのだし。こっちはあんたたちと違って死んでおしまいじゃないから、呪いの返りなんてもらえないわ」
「……そうね。あなたに義務はないわ」
「でも、海の守り子がそんなに言うなら、お手伝いくらいはしてもいいわ。そうなんだけど、困ったことがあるの」
ネビウスはいかにも企みのある胡散臭い笑みを浮かべて、シルクレイシアをじとりと見た。
シルクレイシアは腕組みをして聞いた。
「言ってご覧なさい」
ネビウスは部屋の隅で食事をしているカミットを示した。
「あの子を連れているからヨーグの街では身動きが取れないのよ」
「下らないことで悩んでいるのね。良いわよ! 私が神殿に言ってあげる」
「あらまァ、さすが守り子ね」
「それとカミットの呪いのことも」
「封印させるわ」
「それはやめてほしいのよ。アレをやると、……性格が変わっちゃうでしょう?」
「注文が多いわね! これは譲れないわ。私みたいに完璧に制御できている場合以外は、呪い持ちは封印をするのが掟よ!」
「荒れ地の都では一度も呪いで迷惑かけたことは無かったのよ。昨日のは、アンタの呪いでびっくりしただけなのよ」
「私のせいってわけ!?」
シルクレイシアは苛立ちを見せたが、少し考えてから落ち着いて言った。
「あの巨樹を生み出す力がある以上、海の都には入れられない。どれくらい大きな樹を出せるのか知らないけれど、もしも天蓋を破るようなことがあったら、街が水没しちゃう」
この論にはネビウスも頷くしかなかった。
「それもそうね」
「だから子どもはこの家に預けて、あなたは必要に応じて都に行く。これでどう?」
「仕方ないわね。今はそうしましょう。……あとね」
「まだあるの!?」
「カミットをこの家に閉じ込めたくないの。彼が一人で街に出る許しをちょうだい。もちろん安全の保証もね。森の民だからってチンピラにボコボコにされちゃあたまらないのよ」
「……それは今すぐには答えられないわ」
「これが一番重要だから、よろしくね」
この話し合いが終わる頃にはネビウスはシルクレイシアの印象を改めており、彼女とは良い仕事ができるかもしれないと感じ始めていた。




