第257話 鮫鰭丘(12)
王はある一族の破滅を冷酷に宣言した。その口ぶりは将来的な雰囲気を含んでいたが、実際には今まさにその眼の前で行為は進んでいた。
火の猪は、終わりの島という幻の土地から襲来したその怪物は、火を起こし、自らの火を返り浴びて、ごうごうと燃える勢いでその巨体を大きくさせた。彼は当初は蛸の怪物の操者を狙っているかと思われた。
ところが実際にはその火の猪は祭壇の街を覆う火の気配の全てを不快に思っていた。本来はこの土地には火の精霊はいないとされるが、占い師たちの手によって輸入されたために、街のあらゆるところに火の気配があったのだ。火の猪は祭壇の尊い像や柱を打ち砕き、周囲の家々を片っ端から壊しまくり、逃げる人々を追い回しだした。
海賊の男たちは火の怪物を止めようとして、跳ね飛ばされ、踏みつけられ、次々に死んだ。
カミットはというと、彼は破壊された神殿の瓦礫の中にいた。ヤージェに敵わず、ついにはヤージェが街へ向かうのを止めることができなかったのだ。森の呪いが木を生やして守ったので、カミットは瓦礫に押しつぶされずに済んでいた。それは良かったのだが、まるでそこで待つべきだとでも言うふうに、森の呪いは瓦礫に覆われた空間の中にカミットをしばらく留め置き、ヤージェが去った後に解放したのであった。
破壊され尽くした祭壇広場には、ドランやエイモンはすでに残っていなかった。彼らは火の手があがる街の方でヤージェと戦っているに違いなかった。カミットは森の呪いに向かって激怒した。
「ヤージェが行っちゃったじゃん! どうすんの! なんでちゃんと助けてくれないの!」
分かっていたことである。森の呪いはカミットを保護するが、それ以上の意図的な行為をしないのだ。終わりの島風に言えば、呪いの返りを受けないための知恵が仕込まれているのかもしれなかった。
その森の呪いは生きるために必要最低限の助力を添える存在。
しかしそれではカミットの大切なものを守ることはできないのだ。当たり前にあった幸福を取り戻すためには、慎まやかな態度でいては到底達し得ない。万難を排する英雄にならねば。
巨大な怪物が暴れるのをどう止めようか。王・ディナミスはいとも簡単にやってみせたが、その秘密は明らかではない。それでもカミットにはなんとなく予想がついていた。彼の母である炎の賢者ネビウスはほとんどの獣を争うことなく退けることができた。きっと獣はネビウスの火の力を察するのだ。その例を当てはめるなら、ヤージェはディナミスの水の力を察して、争うことをやめたのだ。
これはシンプルな仕組みである。強き者が弱き者を従えるのだ。
ただ、それだけ。
人間も獣も全て。
怒って、叫んで、殴り、踏みつける。
やるしかないのだと自分に言い聞かせていたとき、
遠い記憶の彼方から声が聞こえた。
「でもね、ぼうや。私は愛と優しさだけは信じているのよ」
これにカミットはこう答える。
「それだけじゃあ難しいよ。僕には何でも焼いちゃう火の力なんてないからさ」
今はもう遠い昔のことのように感じる。終わりの島での日々はもう二度と戻ってこないのではないかとさえ思える。
こうやってカミットが拗ねているとき、ネビウスは相手にしないで、どこかへ行ってしまったものである。しかし記憶の中の彼女は消えはしない。
「しっかり! 前を向いて進むの!」
どんなときもカミットの味方でいてくれて、力強く励ましてくれた。
ときには剣も必要だ。炎の賢者は剣を持っていた。
それでも、その信念は愛であった。
※
猛火に包まれていた街にぽつぽつと青い花が咲いた。
暴れる火の猪とそれを抑え込もうとするドランや海賊たち。そんな彼らの周りにも青い花が咲き出し、火の勢いは最も戦いの激しかった港の一区画に封じ込められた。
今にもヤージェがドランなどに激突しようというとき、そこへカミットがやってきて、彼は植物の蔓を飛ばして、ヤージェを捕まえて引っ張った。無論、人間一人の力でどうにかできる相手ではなし、だからカミットはその蔓の根を大地に繋いだのだ。
ヤージェは彼に絡みつくものを火で燃やそうとするが、青い花があるからか、燃えたとてその植物は焼け落ちることはなく、平然とそのままヤージェを縛り続けた。
海賊たちは巨大猪の猛進に為すすべ無かったので、このときようやくして戦いの激しさが緩んだのであった。
ドランがカミットに駆け寄って、
「覚悟はしているな?」と聞く。
「なにが?」とカミットは反発する。
「僕はヤージェを殺させないよ。僕はネビウスみたくヤージェを大人しくさせるよ」
「森の呪いはそれほど万能か?」
「僕ならできるよ。僕は終わりの島の英雄だから!」
とはいえ、具体的にどうすればよいかは分かっていなかった。カミットはヤージェに飛びつき、ぽこぽこと叩いて、叫んだ。
「もういいよ! 僕は怒ってないよ。ヤージェも怒らなくていいよ!」
しかしヤージェに言葉は通じていない。火が通じないと見ると、今度はヤージェ自身の体がごうごうと激しく燃えだし、その筋がむくむくと大きくなるばかりか、その体中の色までもが真っ赤っ赤になって、恐ろしい気配を漂わせた。そうしてますます強くなった力でもって、カミットが張った蔓の捕縛を引きちぎろうとする。カミットは慌てて、大地につながる根っこの方を強化しようと種を撒きまくった。それもむなしく、ヤージェが蔓を引っ張り出すと、根を土ごとべきべきと引き抜いてしまった。
再びヤージェが暴れ出すと、カミットは有象無象の海賊たちと一緒になって、ヤージェを追いかけたり、ヤージェの突進を慌てて避けたりするばかりとなった。
そうしているうちにもヤージェは街を破壊していく。人々が暮らす家を、壁を打ち破り、彼らの先祖代々大事にしてきた家具や精霊像などを無惨にしていく。
海賊たちは海の力を持つ鋭い貝の切っ先の槍を次々投げた。そのほとんどは火の勢いによって防がれたが、あまりにたくさん投げたので、そのうちのいくつかがヤージェの背や腹に突き刺さった。そうするとヤージェはさらに怒りに燃えて、海賊たちに向かって突進し、人を棒切れのように吹き飛ばした。
カミットは胸の張り裂けそうな思いがして、海賊たちに対しても、ヤージェに対しても、彼ら全員に対して叫んだ。
「だめだよ! やめて! もうやめよう!」
獅子の吠え声で訴えるも、巨大な猪の怪物と数百人もの人々が叫びまくる中では掻き消えた。
そうした争いが永遠に続くかと思われたが、ヤージェが急に動きを止め、彼は海の方を見つめた。
海賊たちはその多くが怪我をしていた。ヤージェが大人しくなったことで、どうにか態勢を立て直そうとしたかったが、実際にはもうほとんど壊滅状態であった。人も物も、この街はぼろぼろであった。何か縋るものはないかと、彼らもまた海を見つめた。
海の彼方より、水の上を歩いてくる人影があった。
カミットはネビウスが来てくれたのかと、ありもしない希望を抱いた。
一方、海賊たちにはその目に見るまでもなく明らかであった。彼らの一族の傑出した英雄は今なお生ける伝説として彼方の王国に君臨している。
きらめく銀色の髪は獅子の鬣のように風になびいていた。その髪や端正な顔貌は典型的ではないが、青い鱗の肌と手足の鰭はまさしくヨーグ人である。
王・ディナミスであった。
海面に立つ彼の足元には大きな赤い光が無数に蠢いていた。海底の支配者である赤霊がそこまで浮上してきていた。その怪物たちはディナミスに従っていたのではなかった。彼らは不用意に海に現れた者を水底に引き込もうとし、その触手を伸ばすのだ。
ところがそれらの赤い光はほどなくして散り散りになって消えてしまった。大慌てで、何かから逃げるように。
ちょうど同じくして、港の方では波が急激に引き出していた。浜では逃げ遅れた魚が陸でびちびちと跳ねていた。
これを見た海賊たちは顔色を青ざめさせた。
「逃げろ」「逃げろ」と互いに言い合って、彼らは港から高台に向かって一斉に走り出した。




