第256話 鮫鰭丘(11)
カミットの雷の短槍はその先端の刃から電撃を放つ。これがいくらかでも巨大な化け蛸の動きを鈍らせ、それを好機とし、ヤージェが炎の突進をする。カミットはちょこまかと走り回り、化け蛸の伸縮自在の腕が捕まえようとしてくるのを走ったり転がったり跳んだりして避けた。これを繰り返しているうちにやがて化け蛸が疲れ始めて、あとはヤージェが力押しで押し込んだ。最後にはヤージェが化け蛸の上に乗っかり、ずどんずどんと踏み潰して、ついには異様の怪物である化け蛸を殺してしまった。
「やったァ!」とカミットは喜び、ヤージェに駆け寄った。戦いは済んだのだから、ヤージェはいつもの子猪の姿に戻るかと思われた。
ところが化け蛸をぺちゃんこに踏み潰した後も、その場でぬっと立ったままでおり、鼻をひくつかせて何かの匂いを探っている。
「ヤージェ! もういいよ。おしまい!」
カミットはわあわあ叫んだが、ヤージェは見向きもしないでいる。カミットはヤージェによじ登って、手綱を握ろうとした。
するとなんということか、ヤージェはぶるりと体を振って、カミットを振り落とし、街へと走り出したのだ。その牙からは火を吹き上がらせ、魔獣と呼んで差し支えない凶暴さで暴れ、祭壇や家々を壊し始めたのである。
ヤージェは何かを探していた。それはすぐさま明らかとなった。彼が突き進む先には、ドランとエイモンがいたのだ。ドランはエイモンに肩を貸して助けていた。
この二人のヨーグ人は共に妖術の心得があり、彼らはヤージェの意図を理解していた。
エイモンはドランに離れるよう促した。
「あの魔獣は霊器の身代わりである私を滅ぼそうというのだ。本能でそれをやろうとしている」
ドランはそうだなと言って、エイモンの前に立った。
「このままでは王とモノに殺されるだけだ。無駄死にするな」
「よせ、ドラン」
炎の猪が小さな人間二人に向かって、破壊的に突進してきていた。
ドランは槍を杖のように振って、祈りを捧げた。
「我らの海の神よ」
ぐんと槍を力強く突き出す。
すると彼の前に水の壁がどっと湧き上がった。
ヤージェはそんなものを気にもかけず突破した。
しかし視界を遮られ、わずかながら突進の軌道がずれたことで、ドランとエイモンはヤージェの攻撃を逃れた。
こうしてドランがどうにかヤージェの猛攻を凌いでいると、
カミットも追いついてきて、彼は再度ヤージェに飛び乗ろうとした。彼はそれが上手くいかないと、もう一度森の呪いに念じたりなど、いろいろしたが、どれもうまくいかない。カミットがついには怒って「ニュトーン!」と怒鳴ると、ようやくして反応があり、彼の前に花が咲き、それがたちまち枯れ、植物の種がばらばらと大量に撒かれた。
「なにこれ。どうしたらいいの。んん!」
カミットは種を手一杯に掴んで、それを暴れているヤージェに投げつけた。すると種が瞬時に芽吹き、蔓を作り、ヤージェに巻き付いた。これによりヤージェをほんの数秒だけ繋ぎ止めることができたが、ヤージェが火を吹いて暴れると、植物の拘束はたちまち焼け落ちてしまった。
※
「おーい。モノよぉ。こんなところで俺をいじめてないで、あの火事をどうにかしてくれよ」
ハルベニィは縄で縛られ、花びらだらけの地面に転がされていた。
モノはハルベニィの反逆に腹を立てていた。ハルベニィを捕らえるだけでは満足せず、蹴飛ばし転がし、丘の上から突き落とそうという。
「やめろ、やめろ。死んじまうぞ!」
「私はお前によくしてやったつもりでいた。私の計画はささいなことであろうと狂いは不要だ」
小さな命が崖から転げ落ちそうになっていたまさにそのとき。
モノのイヤリングがきらりと青く光って、
「進捗はどうか」と男の声。
ラケメト王ディナミスの声である。
モノはハルベニィを蹴るのを一旦やめて、そちらに応じる。
「海賊は内紛を起こしています。今日か明日には鮫鰭丘は崩壊するでしょう」
「発掘した遺産が燃えたようだな」
この質問に、モノは一瞬眉をひくつかせた。
「海賊共の仕業です。管理責任ということなら、私の不手際でした」
ここでハルベニィが、
「嘘つけえ! てめえが自分で燃やしたんだろー! ありもしない罪を海賊になすりつけやがって!」と叫んだ。
モノはハルベニィを睨みつけ、げしげしと蹴って黙らせた。
一方、イヤリングの向こうの声は沈黙している。しばらくして、質問が再開された。
「発掘物の報告はいつになる?」
「十日以内には」
「ずいぶんかかるようだ」
「多くが燃えましたので」
「街はずいぶん燃えているな。今朝方、煙があがっているのが見えたが、まだ消火できないか」
「王都までご覧になられるとは……」
このときモノは話している途中で、ごくりと唾を呑んだ。ハルベニィはその心中を理解していた。海賊の都は中ツ海に浮かぶ島であり、たしかにラケメト王国から見えなくもない。が、そうは言っても遠いのだ。まるでそこで見ているかのような雰囲気が王の発言には感じられた。
そして次の言葉はモノの耳のイヤリングからではなく、直接投げかけられた。
「火の試しは順調そうだな」
ウグスプ家の番人の丘に現れたのはラケメト王ディナミスその人であった。黄金刺繍をあしらった長衣を着て、優雅で高貴な佇まいをしているが、その背後に引き連れるのは戦士、そしてウグスプ家の頭領を筆頭とした海賊たち。
ディナミスはモノが森の呪いで作っていた椅子とテーブルに腰掛け、リノロ家の祭壇の街が燃えるのを眺めた。
もう一つある椅子に気づくと、ディナミスはウグスプ家の頭領をそこに座らせた。
さらについでといった感じで、彼が手をくいと動かすと、ハルベニィを拘束していた縄が解けた。ハルベニィは立ち上がると、ささっと走ってモノから距離を取った。
ディナミスはハルベニィに言った。
「お前はもっと細心の注意をするべきだった」
「……おっしゃるとおりで。あの、でもモノのやろうが燃やしやがったので」
「モノは私の代理人だ」
「ぐっ……、そうですかい」
「火の不始末には気をつけろ」
「かしこまりました」
ハルベニィは救世主が現れたと思っていたが、そうとは限らないらしいことを悟った。王は人を人とも思っていなさそうであり、気まぐれにハルベニィを罰する気配さえあった。ハルベニィは王の次の言葉をヒヤヒヤしながら待った。
しかしそれ以上、王はハルベニィに語りかけることはなかった。彼はウグスプ家の頭領に言った。
「息子が心配か?」
最も有力な海賊一家の長は見るからに憔悴していた。
「あれは義理を重んじるあまり、このような行動に……」
「リノロ家は取り潰す。それ以外のことを追求する理由はない」
「寛大な対応に感謝いたします」
ハルベニィとモノはこのやりとりから、ウグスプ家が代理人であるモノを飛び越して、王と個別に連絡していたことを察した。ウグスプ家は密かに王国側に接近し、リノロ家を潰すことに協力することで、王国による一家の保護と利益の保全を確約されていたのである。




