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ネビウスクロニクル  作者: 石井
海賊の都編
255/259

第255話 鮫鰭丘(10)

 海賊の都(ネオポセイディア)鮫鰭丘アクロガレフィンの統治権を巡る戦いは、その実質は火の猪であるヤージェと化けたこの怪物であるゴーストオクトパスという、人ではない彼らの決闘の勝敗に全てがかかっていた。

 ケダ・シセラルがもたらした人の手によって完全に操られる怪物は、その存在自体が海賊の都(ネオポセイディア)の守護神となり得たのだ。その初戦にして最大の相手が終わりの島(エンドランド)を原産とする火炎猪であったことは、ゴーストオクトパスの能力を十二分に発揮するにふさわしかった。

 ぬめぬめとした粘液で覆われている上に、伸縮自在にも思える軟体でもって、終わりの島(エンドランド)の火の力はほとんど通用しなかった。さらに操者である占い師エイモンが知恵を貸すことで、ゴーストオクトパスの攻撃はより巧みになった。猪突猛進だけが戦法である火の猪には苦しい戦いとなった。ついにはゴーストオクトパスのいくつもある長い腕が火の猪を捕まえ、絞め殺しつつあった。

 その火の猪にはヤージェという名が与えられていた。終わりの島(エンドランド)の炎の賢者ネビウスが授けたという逸話のある、なにやら縁起のよい名である。

 その主人はネビウスの息子であるカミットであった。彼はヤージェを助けたかったが、エイモンに邪魔をされ、さらに海賊のドランに拘束されて、何もできなくなっていた。今や無力にも、ヤージェが締め上げられて苦しそうに鳴くのを見ているしかないのだ。

 最後に残された手段は森の呪いしかなかった。

 近頃はさっぱり音沙汰なく、呼びかけても雑草一つ生やさない。カミットはいざというときに森の呪いに頼ることをしてこなかったが、このときばかりは本当にそれしかなかったのだ。

 カミットはドランによって地面に押し付けられながらも叫んだのだ。

 森の呪いの真なる名、ニュトーンと。

 それはもう喉がちぎれんばかりに叫び、その迫力はドランの押さえつけてきていた手の力が一瞬緩んだほどであった。叫び声の終わりはほとんど言葉にならず、それは獅子の吠え声であった。

 そのとき港の方から鳥の群れのようなのがぶわっと沸いて、それがぐんぐん近づき、やがてそれが空を埋め尽くすほどの白い花びらの嵐であることが明らかとなった。

 エイモンが杖を振り、火球を打ち込んだが、その火球は花びらの嵐に包みこまれるようにして吸収された。エイモンは何度か同じことを繰り返したが、まったく効果はなかった。彼はついには杖をおろし、絶望のつぶやきを漏らした。

「なんということだ。おぞましい花は火を克服している」

 その花の嵐はカミットとドランに向かって、降り注ぎ、ドランを弾き飛ばした。

 カミットが無事になると、周囲を渦巻いていた花びらは徐々に落ち着いて、やがて消えた。カミットはぷんすか怒った。

「なにやってんの! まだ終わってないよ。ヤージェを助けてよ!」 

 あいかわらず森の呪いは無口であり、カミットとコミュニケーションが取れなかった。

 ただこのときは珍しく応答があったのだ。

 カミットの肩にぽん、ぽんと白い花が咲いて、それが広がり、彼の上半身を覆うようにして白い花の外套(コート)になったのである。

 カミットはその意図に気づき、ヤージェの戦っている方へ走り出した。その彼の前に再びエイモンが立ちふさがった。

 エイモンは杖を構えて、カミットを脅した。

「私はお前に火を放ちたくはないのだ」

「僕だって戦いたくないよ。でも、ヤージェは僕の家族なんだよ!」

「ここは私達の家だ。お前の家畜よりも、私達の家族の方がずっと大事なのだ」

「どっちもどっちだね!」

 ならばカミットには遠慮する理由がないのだ。

 エイモンが火を放つ。

 それに向かってカミットは正面から突進し、白い花の外套(コート)によって炎から守られながら、エイモンに体当たりした。

 エイモンは吹っ飛んで倒れ、そのときに頭を打って気絶した。カミットはさらに攻撃を加えれば致命傷を与えられただろうが、この人物にそういう残虐なことをするのははばかられた。カミットは「ごめんね」と言い残し、ヤージェを助けに行った。



 カミットは先ず投げ捨ててしまった雷の短槍を探した。到底見つかるとも思われなかったのだが、ここで何につけても便利な森の呪いが、地面にぽんぽんと花を咲かせて道案内をし、それに従っていくと瓦礫の陰にそれがあった。武器一つを失うことで戦いの選択肢が大きく損なうことを感じつつ、カミットはその雷の短槍を再び手にした。

 この戦いの最初にこの槍を投擲してしまい、それを毒液の膜で防がられてしまったところから流れがよくない方向にいってしまった。カミットはそのことを踏まえ、今度は確実にやらねばならないと決心した。

 しかし猶予はなかった。ヤージェはなんとか抵抗しているが、今にも殺されてしまいそうである。確実で間違いのない方法など、そんなものは思いつかなかった。

 カミットは大きな者どもの戦いにこっそりと忍び寄り、彼の必殺の槍を手にした。この槍で直接に蛸の化け物を背後から突き刺してやろうというのだ。

 そうして今にも仕掛けようというとき、突然に後ろから誰かに引き寄せられ、

「あうっ」とカミットはうめき声をあげた。またドランが邪魔をしにきたのかと思ったが、そうではなかった。妖しげな低木が生えており、それがつるを伸ばして、カミットを引き止めたのだ。

「なに? なんかあるの?」

 カミットは言葉とおりの昔なじみである、その森の呪いに話しかけた。どうせ言葉はかえってこないというのに。そうして再び向き直って、化け蛸に忍び寄ろうとしたときである。

 ごごごと不気味な地鳴りがして、突然にカミットの足元の地面が隆起し、そこから巨樹がめきめきと生えたのだ。

 カミットは勢いよく持ち上げられて、ぽーんと空高くに放り投げられてしまった。「わあ」などと声をあげたが、虚しく響くばかり。

 突如現れた呪いの巨樹は化け蛸の注意を引き付けた。化け蛸はヤージェを締め上げながら顔を後ろに向けて、毒液を噴射した。呪いの巨樹はたちまち枯れた。

 だが、その上空にはカミットがいた。

 こんなことが前にもあったなあ、などと既視感を覚えながら、カミットは蛸の脳天に向かって降下し、雷の短槍を突き刺した。

 ばちりばちりと電撃がほとばしり、化けたこは驚いてひっくり返り、そうしてついにヤージェの拘束を解いた。

 このカミットの一撃は化けたこの脳にまでは達しておらず、致命傷にはまったくならなかった。それでも彼はヤージェを一時的にでも救出することに成功したのだ。

 化けたこは状況を把握しようというのか、ヤージェとカミットから少し離れて、ぎょろりとした目でこの二者を観察した。

 カミットはヤージェがなんとか起き上がるのを助けていたが、また化けたこが向かってくるのを感じると、ヤージェの前に飛び出し、がおうと吠えた。

 ヤージェは人の言葉を理解しない動物ではあるが、彼はれっきとしたネビウス家の一員であり、カミットの弟分であるから、それを守ってやるのは長男であるカミットの努めなのであった。

 化けたこの方は、小さい人間がどうして巨大な火の猪を背にかばいながらより強大な存在である妖術の化身たるゴーストオクトパスにがうがう吠えているのかを理解しかね、しばし困惑した様子で硬直していた。

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