第251話 鮫鰭丘(6)
戦闘の基本的な原則は多数が少数に有利であるということだった。カミットは終わりの島における戦いの経験でそれを知っていたし、海賊の都に来てからは海賊に包囲されて惨めに敗走することになったことで、そのことをより痛感していた。
今やリノロ家は戦いの準備を始めているだろう。そこへカミットが一人で突っ込んでいっても、返り討ちにあうことは決まりきっていた。魔人殺しの英雄は魔人にとどめを刺すことはできても、百人の海賊をまとめて討伐することはできないのだ。
カミットはウグスプ家を戦闘に動員したかったが、ドランの反応は消極的であり、このまま二つの海賊一家が正面衝突するようには思われなかった。
そこで、である。カミットは終わりの島で見聞きしたことを思い出した。終わりの島のジュカ人は太陽の都との戦いで困窮し、ついには森の王国を滅ぼされた。すると一部の勢力が島中に散り散りになって、そこら中の街やら畑やらに人食い草の種とか土枯らしの根などを撒きまくったという。この自然の脅威を用いた無差別攻撃の威力は絶大であり、少数のジュカ人によって過大な被害をもたらした。
しかしカミットがこれをそのまま真似することはない。
何事も加減が大事なのである。だから終わりの島のジュカ人は一族全員が大罪人の扱いという辛い立場にある。そんなことは分かっているのだ。
「もちろん僕は太古の森の悪いジュカ人たちとは違うからね!」
カミットは夜の内にリノロ家の街に忍び込み、藪の中でごそごそやっていた。そうしながら話しかける相手は子猪のヤージェであった。ヤージェはふごふご言うばかりで、カミットの企みを理解しないでいる。動物は気軽だと近頃カミットはよく思う。
「いいよねェ……。ヤージェはハルベニィに優しくされて、ご飯もらって、散歩して寝るだけで良いんだから。僕なんかがんばってるのに怒られてばっかりだし。……よいしょっ!」
カミットは終わりの島から持ってくることができた植物の種を藪の中に仕込んだ。土を掘り、その中に種を植え、砂をこんもりと優しく被せる。
見張りの海賊が近くを通ると、ヤージェが敏感に察して、その場で伏せて身を隠すようなそぶりをする。それでカミットも一緒になって気配を潜める。ヤージェは何をどこまで理解できるのか不明だが、ときどきカミットと一心同体のようになる。彼らは海賊が行ってしまうと、ふはあと二人して安堵の息を漏らした。
「さあ、次の場所に行こう……」
カミットがヤージェを連れきたのはこの子猪が彼の弟分だからというわけではなかったのだ。カミットは耳には自信があるが、さすがに鼻の方はヤージェに劣る。ヤージェは動物の優れた感覚でカミットに危機を知らせてくれるのだ。
ネビウス家の兄弟は夜闇の街をてくてく歩く。
カミットはヤージェの手綱を引きながら、ふと思いが湧いてきて、
「ヤージェを丸焼きにしなくて良かった。ネビウスに怒られるところだった。あのときは怒っちゃってごめんね」とヤージェに言った。
彼らは占卜郷で大喧嘩をしたのだが、そのときのことをカミットはもやもやしたままで抱えていた。どうせヤージェは言葉が分からないし、人間ほどには賢くないので、カミットが謝ったとて意味はないのだが。だからこそ素直な言葉をかけられもする。
小さな子猪のヤージェはぶひぶひ言いながら、この夜もカミットの横にぴたりとついて歩いていた。
※
海賊の都が朝日に照らされると、ある街の区画に不思議な輝きを放つ白い花が咲いていた。
それは呪い喰らいの花であった。その種はジュカ人の血を吸うことで、たちまち芽吹き、開花する。カミットは太陽の都に滞在したときに、その種を師匠であるジュカ人のレッサからもらい、その使い方も学んだ。呪いの存在に悩まされる終わりの島では、ジュカ人の神官がこの花を扱うことで、呪いに対する確固たる優位性を築いた。
今、遠き中ツ海の海賊の都にて、その再現をしようというのがカミットであった。リノロ家は多くの呪術師を抱えているので、事前に呪い喰らいの花をあちこちに設置しておくことで、彼らの呪術を封殺しようというのだ。
この企みはだいたい上手くいった。リノロ家の者たちは大慌てになって、朝から街をかけずり回って、今朝になって急にあちこちに現れた白い花を駆除しなくてはならなかった。何と言っても、彼らにしてみれば、カミットがいったいどういう植物の種を撒いたのか分からなかったし、もっと恐ろしい種類のものとも思われたからだ。
カミットは第一の牽制の役割をリノロ家に対する挑発を目的とした。実は彼が終わりの島から持ってこれた種はこの一夜にしてほとんど全て使ってしまったので、今後の第二弾は無かったのだが、そんなことは相手にはわからない。リノロ家の戦力を無効化しうると相手に思わせることができれば、戦わずして勝利できるかもしれない。カミットはこのような狙いを持っていた。
リノロ家が詫びを入れてくるなら、それをウグスプ家が断る理由もないだろう。カミットは家でごろごろ寝ながら、吉報を待っていた。
そこへ駆け込んできたのは彼の愛すべき友人であるハルベニィだった。
「てめえ! 今度は何した!?」
「ええ!?」
カミットはまたもや怒られて、何が何だかという感じで、街に飛び出した。リノロ家の方角に黒い煙が立ち上っていた。
「火事!?」
「リノロ家の街が燃えてる!」
「なんで!」
「今朝方、白い花が街中に咲いてて、そいつが燃えたんだとよ!」
「ええーっ! そんなの僕、知らないよ!」
「お前が昨夜、あっちの方にふらふら出かけてったのは知られてるんだぞ!」
街を見下ろせる高台の方へ行くと、ウグスプ家の人々や、ドランやモノもそこにいた。カミットはドランに弁明した。
「僕のせいじゃないよ!」
ドランは腕組みをして、カミットを睨んだ。
「今朝、呪い喰らいの花があちらの街中に咲いていたそうだ。それが燃えた」
「燃えるなんて、そんな花じゃないんだよ!」
そこへモノがやってくる。いつもの澄まし顔が、どこかにやけた様子で。
「良いやり返し方だな。意外と策士じゃないか」
カミットはその彼女の満足げな表情から悪意を読み取った。
「……モノっ! 君さァ! 本当に古の民なの!」
そのとき。
燃える街の上空に赤い光が打ち上がった。
それが空高くで弾けて、するとその光から雨が生まれた。燃える街の火を消すために、その雨が呼び出されたようであった。非常に限定的な範囲で集中豪雨が降り注ぐ。
古来人であるモノはそれを眺め、今度こそ明確に口角を上げて高笑いをした。
「あはは、あれを見ろ、ようやく釣れたぞ」
リノロ家の街の上空に打ち上がった赤い光はもやもやとした霧を吹き出し、それが次第に大きな化け蛸の姿を象りだしていた。
カミットはいったいどうしてそんな魔人染みたものが生まれようとしているのか、その原理を理解しなかった。しかしそれが誰かしらの元になっている人物がいることには察しがついていた。
「そんな……」
発するべき言葉もない。なんと忌むべき悲劇なのか。偉大な占い師であるケダ・シセラルが人食いの化け物になってしまったのだ。カミットは終わりの島にいた頃も、親しい人物が呪いの化身になってしまったことはなかった。そうならないように神殿と掟が機能していたからだ。
カミットがうなだれていると、その肩にモノが手を置いた。彼女はカミットの耳元で囁いた。
「英雄なんだろう? とっととあの化け物を殺してきてくれよ」




