第249話 鮫鰭丘(4)
カミットは中ツ海のヨーグ人に蔓延する悪しき掟を破棄するべく、あちこちに出向いては手当たり次第にその考えを宣伝した。いわゆる政治的根回しであり、彼は間接的にではあるが太陽の都に滞在していたころに政治のやり方を見聞きしていたので、そのような行動に出たのである。
ところが人々の反応は鈍かった。ドランが笑ったのと同じように、カミットの提案は荒唐無稽な夢物語のように思われたのである。
当の本人たちにやる気がないんじゃあなァとカミットは苦々しく思った。終わりの島の人々なら迫る危機に一致団結して対抗したものだが、思い返すほどに中ツ海のヨーグ人たちは目先のことばかりを優先して同胞たちですら争いあっているのだ。このような愚か者たちを教え導くというのは、実際、ドランなどの指導者は難しい仕事を担っているのだと、カミットは深く思い至った。
その日もカミットが港をぶらつき、誰からも耳を傾けられずに虚しくしていると、そこへモノがひょっこり現れた。彼女は挨拶もなしに一方的に話し始めた。
「王は五家族の若者たちを王都に留学させ、先進的な教育を施した。王はそれにより中ツ海のヨーグ人をよりよく組織し、ヨーグ社会を復興できると考えたのだ。しかし実際に起こったことは、将来有望とされた若者たちが行ったことは、海賊の大規模化と犯罪行為の狡猾化だった。結局、王は海賊の都に剣を突きつけながら、連中の漁獲物を買い取ることによって、事態の沈静化をようやく得たのだ。このときの絶望をお前は理解できるか?」
「ディナミスの気持ちなんて知らないよ。あのさ、ヨーグ人の悪い掟をやめるようにディナミスに言ってよ」
「それは無意味だ。そもそもヨーグに科された罰は王の領分ではない。より古い二つの国家がそれを数百年にわたり決定づけたのだ。この歴史的遺産を修正しようということは、これらの大国の法に挑むということに他ならない」
「他にも国があるの?」
「当たり前だ。中ツ海はお前の暮らしていた田舎とは違う」
「終わりの島を悪く言うな!」
「そうやって一々腹を立てるな」
「太陽の都と海の都を見たことないくせに!」
この二人が話し出すと、だいたいは険悪な雰囲気になって、本来重要である話題が置いてけぼりになることが多かった。互いに相手に腹を立てており、どちらもその原因が相手にあると考えていた。まず眼の前の間違いを修正しないでは、その先の問題になど取りかかれないとでも言うように、彼らは核心的な問題を遠ざけることになった。
そうではあるが、相変わらずモノはカミットを利用しようと企んでいた。そこで彼女が目をつけたのが、カミットの名目上の妻であるハルベニィであった。モノとハルベニィはそれなりに良好な関係を維持していた。
「君の仮の夫である人物だが、近頃の彼の行為は詐欺のような儲け話を吹聴するのと同じで、時間の無駄であるばかりか、有害だ。誰かが彼を説得して、まともな思考に戻させるべきだろう」
「あいつが人の言う事聞くわけねえだろ。ネビウスの言いつけだってさっぱり効き目がねえんだからよ」
「彼は君に惚れているのではないのか?」
「なんだそりゃ」
「そうでなければ、どうして君を侮辱したチンピラを殴って半殺しにまでしたのだろうか」
そんなこともあったなァ、とハルベニィは思い出し、頭をぽりぽりとかいた。特に分析もしないでいた出来事を考えると、彼は腕組みをして首を傾げて不審がった。
「あれなァ……、なんだったんだろうな」
※
真夜中に港の倉庫で火の手が上がった。ウグスプ系の海賊たちが総出になって消火活動をし、カミットも手伝った。あたりが明るくなって来た頃には、倉庫はすっかり燃え落ちてしまって、まだくすぶっている煙の中で黒焦げた柱などだけが哀れに残されていた。
ハルベニィが管理を任されている倉庫が火事の発生源であった。その中の貴重な遺産などは全て燃えてしまった。
さらには周囲の食料庫や資材倉庫までもが広範囲にわたって火災被害を受けていた。このことがウグスプ家の財政事情に及ぼす悪影響は言うまでもなかった。
ハルベニィは火災の責任を問われると狼狽えた。
「発火物なんてありゃしねえ。なんで火がおきたのかなんてわからねえよ。……そうだ! 月の化身が見てるからよ。価値の天秤なら俺が何もしくじってないことをはっきりさせてくれる! 天秤があれば、だけどよ……」
海賊のしきたりに従えば、疑わしきよそ者は首吊りの刑にしただろうが、ハルベニィは一応は王から仕事を委託された高級商人の肩書を持っていた。それで一旦は対処を保留とされた。
その後、倉庫の火災跡をうろつくようになったのはカミットである。意識的に何を調べるというわけでもなかったが、何かがあると彼は感じていた。
そこへふらりと現れたのはまたもやモノであった。
「やあ、今日も持て余しているようだ」
「なに? また嫌なこと言いに来たの?」
「君の仮の妻は窮地にあるようだ。ファラオは彼女を擁護する理由があるだろうか?」
「ディナミスなんて当てになんないよ」
カミットは黒焦げの柱が倒れているのを、よいしょと持ち上げて除けた。
「何を調べている?」
「火!」
「ん?」
「火だよ!」
「お前は火の霊が見えるのか?」
「なにそれ。知らないけど、ネビウスはこういうときに色々見るんだよ。それで、ふんふん、て言って、なにか分かったみたいな顔をする。聞いても、何にも教えてくれないけど」
「それは何も分かっていないときに私達がよくする仕草だな」
「違うよ! ネビウスは炎の賢者なんだよ! それで、僕はその息子!」
「だから火の霊を追えると? 幼稚な発想だな」
そのとき瓦礫の陰でぶひい、ぶひい、と子猪の鳴き声がした。ヤージェが示した場所を見てみると、ひときわ強く燃えた跡が残っており、ところがその辺りには燃えた原因となったような物が見当たらない。カミットはここに駆けつけて「あっ、すごい!」と叫んだ。
ヤージェはその場の匂いを丹念に嗅ぎながら地面を張っていった。すさすさと歩いていくと、モノの足元までやってきた。
モノは優しげに笑いかけ、ヤージェを抱き上げて撫でた。
「お前は賢いな」
このときカミットは発火源の方に夢中でおり、その焼け跡の激しさを見て、確信して言った。
「これは、……呪いだ!」
「ほう。いったい誰が?」
「火の呪術師がどこかにいる!」
「ふむ、それで?」
「見つけて、殺す!」
カミットはずんずんと大股で歩いて、その場を去っていった。
モノはヤージェをその後もしばらく撫でて、「お前は主人を変えた方が良いかもしれないな」と呟いた。




