第244話 遺産諸島(5)
一つ目の巨大蜘蛛はキクロチュラという。巨体にもかかわらず、その動きは素早かった。鉄蜘蛛は黒ずんだ金属の甲殻を持っており、その巨躯は牛馬をはるかに上回り、脚力は体重量を補って強靭。跳躍し、壁を走り、全ての動きは俊敏である。鉄蜘蛛とはそういう存在である。
これに対するは、カミットとドラン。彼らは人間であった。
戦闘開始と同時にカミットは森の呪いに呼びかけたが、もはや彼自身驚くこともなかったが、このような大事な戦闘において森の呪いはうんともすんとも言わなかった。彼は雷の短槍を手にして、どうにか鉄蜘蛛を突いてやろうと試みた。
ところが鉄蜘蛛は疾かった。カミットの攻撃を簡単に避けるばかりか、同時に反撃の手を伸ばしてカミットを絡め取ろうとする。カミットは何度も危うくなったが、跳んだり転がったりして耐えた。
このときドランは鉄蜘蛛の後方から槍で突いていた。その槍はカミットの槍よりもずっと長く、ドランはヨーグ人の大人の大男であるが、彼の槍はその身長の倍近い長さをしていた。その長槍はしばしば鉄蜘蛛の甲殻に届いていたが、鋼鉄の殻には傷をつけることすらできていなかった。
鉄蜘蛛はドランのちくちくとした攻撃に不快感を示し、跳躍してドランを捕らえようとした。これをドランは正確に観察しており、的確な間合いをとってよく躱した。
ところが鉄蜘蛛は搦め手をも用いた。ドランが距離を取ろうとすると、彼の長い槍が何かに引っかかった。そこには鉄蜘蛛が仕掛けた蜘蛛の糸があり、槍の長さゆえに触ってしまったのだ。
一瞬の隙を優れた狩人は見逃さなかった。
ドランが叩き潰されるかと思われたとき、彼の周囲に不思議な水が湧き上がった。この水の流れに乗り、ドランは鉄蜘蛛の足元を小魚が泳ぐようにして素早く逃れた。ドランは水の妖術の使い手でもあったのだ。
自然界の生き物はしばしば狩りのときに隙を見せる。獲物を捕らえたと思ったときにはさらに大きな隙が生まれる。鉄蜘蛛はドランを仕留め損ね、獲物はどこかと無為に探していた。
このとき雷の短槍が電撃を迸らせていた。
魔人殺しの英雄の真骨頂は少ない必殺の機会を逃さず決めることにあった。
カミットは雷の短槍を鉄蜘蛛の上に向かって投擲した。
見るものが見れば、その様子は中ツ海の神話の一幕を連想させる。ドランはその槍の様子を見て、天空神の怒りの雷を思い浮かべていた。
鉄の一族はその他の生物にとって脅威ではあるが、中ツ海を遍く見渡す天空神の前には無力であった。一部の遺跡を除き、陸の鉄の一族たちは全て天空神によって駆逐されたのだ。すなわち中ツ海にて最強とは雷にほかならない。もしも対抗し得るとすれば天空神と血を分けた海神くらいものである。
カミットが投げた短槍は鉄蜘蛛の頭上に雷を落とし、重厚な甲殻に覆われた鉄蜘蛛を一撃にて仕留めた。
※
発掘隊は宝物庫の財宝を運び出し、ついでに恐るべき鉄蜘蛛の亡骸まで手に入れた。船に積みきれないほどの大漁な様子に誰もが大喜びで浮かれていた。
そのあと食料庫なども見つかり、古代から保存されていた加工食とか酒とかがたくさん見つかった。ハルベニィは思っていたよりもはるかに多くの物を手に入れたとあって、発掘隊によく報いようと思った。
「帰る前に一杯やるか!」
こうして宴が催されることなった。発掘隊は古代の美酒を浴びるように飲んで、その晩は大いに盛り上がった。
カミットは褒められ、持ち上げられ、彼もまた大変に気分を良くしていた。一晩中、酒をがぶがぶと飲み、ジョッキを飲み干すほどに周囲が褒めて煽るので、飲めば飲むほど、さらに飲んだ。
意識がぼんやりとして、視界がぐらぐらと揺れ、それでも飲む。ハルベニィが「もうそれくらいにしておけ」などと注意すると、「僕はお酒だって強いからねェ!」と言い返した。
宴席の隅で一人で酒をちびちびとやっているのはモノであった。カミットはモノを見つけ出すと、ふらふらと歩いていって、彼女の前にどんと座った。
「僕、鉄の蜘蛛だって倒しちゃったよ! 思ってたより、全然強くなかったね!」
モノはふんと鼻で笑った。
「妙な武器を担いでいるとは思っていたが、ネビウスは古代の遺産まで与えたか」
カミットの雷の短槍は軽くて丈夫な金属の棒とその先端に水晶のような美しい石の刃が取り付けられている。さらによく見ると雷を支配するために作用する紋様が細かく刻まれているのだ。大変に貴重であり、そこいらの鍛冶職人が作れる代物ではない。
「まあね! ネビウスが空の都で買ってくれたんだよ! ハルベニィが発掘したやつをね! 僕はあの槍で峰の魔人と火口の魔人を倒した」
「ずいぶんと贔屓されて育ったようだ。普通、私達は弟子に特別な財産を渡さないはずだが」
「僕はネビウスの子供だし。親が何かしてくれるのは当たり前のことでしょ」
「子供ねェ」
モノはいかにも退屈そうにして、煙管で煙草を吸い始めた。カミットは「僕も吸いたい!」と要求したが、モノは「これは私の私物だ」と言って退けた。カミットはむっとして、近くにあったモノの酒を奪ってぐいっと飲んだ。
「これは僕の物だよ! 僕が鉄蜘蛛を倒して、僕が手に入れたんだから!」
「賊というのは欲が深くて、困ったものだ」
「分けてあげてもいいけど! あっ、そうだ!」
カミットはぬっと立ち上がり、酒樽から二杯分を持ってきて、一つをモノに渡した。
「乾杯しよう!」
「お前は訳が分からないやつだ」
「乾杯だよ!」
カミットが杯を突き出すと、モノはいかにもやる気がなさそうに杯をコツンとぶつけた。カミットは「わーい! 乾杯!」と言って、それをまたぐびぐび飲んだ。
この宴において、カミットは初めて酩酊したのであった。宴は夜通し続いたが、一人また一人と酔いつぶれて眠りについていった。
朝日が差したとき、カミットは潮風の香る海辺で一人で気絶していた。ヤージェがふごふご言いながら、カミットを揺すっており、それによってカミットは目を覚ました。頭が痛くて、ガンガンと鳴るようであり、一度起き上がってみても、すぐに倒れてしまった。
酒に飲まれるということを初めて体験したのであり、その晩にハルベニィやモノと話したこともすっかり忘れて記憶になかった。何やらモノと言い合いをしたような気もするが、どんな風だったかは覚えていない。
水を飲みたいと思ったが、手元に水筒はなかった。昨晩どこかに放り捨ててきてしまったらしい。海水はしょっぱくて飲めたものではないし、このときほど水を欲したことはなかった。しかし動くのも辛い。
「ヤージェ……、水持ってきてェ……」
無理と分かっていながら言ってみる。もちろんヤージェがそのような細かい指示を理解するはずもない。小さな猪は兄弟とでも思っていそうな感じで、カミットを遠慮なく鼻でぐいぐい押して、起き上がらせようとしていた。




