第240話 遺産諸島(1)
「遺産諸島」はじまり
占卜郷の偉大な占い師であるケダ・シセラルの訃報はまたたく間にヨーグ人社会を駆け巡った。中ツ海のヨーグ人たちは大きな衝撃を受けており、海賊の都の海賊五家族は普段は抗争関係にあるが、このときばかりは共同で葬儀を執り行うこととした。
カミットは本当に直前までケダ・シセラルに世話になっていた。彼はヤージェについて思うような指導を受けられなかったことで、偉大なケダ・シセラルに八つ当たりのような態度を取って、そのまま最期の別れとなったことを深く後悔した。
そのようなことがあってからの久々の我が家であった。ウグスプ家に間借りしている客間ではあるが、そこがカミットとハルベニィが寝泊まりするホームであった。
数日の内にケダ・シセラルの葬儀が開かれることになっていたが、カミットは当然出席するとして、ハルベニィは難色を示した。ハルベニィは何かを強制されることに我慢ならない人なので、カミットは一旦提案を取り下げたのであった。
その日の夕方、ハルベニィは居間のすみに自分の商売道具を並べて陣地を形成しており、ヤージェを撫でたりして機嫌をよくしていた。
そこでカミットは今だと思って、もう一度提案した。
「やっぱりさ、今夜のケダ・シセラルの葬式に一緒に行こうよ」
「なんでだよ。俺はそのじいさんと関係ないぜ」
「そうだけど。僕はお世話になったし」
「ならお前が一人で行けばいいだろうがよ」
「……そうなんだけどさ」
実はカミットはウグスプ家の長子であるドランから「葬儀には妻を同行させるように」と言われてしまっていた。
ところが仮の夫婦であるカミットとハルベニィはややこしい。ハルベニィは「妻」扱いされることにも我慢がならないで怒ってしまうので、カミットはどうにかそこを回避して説得しようとする。
「なんだかドランが一緒に来いって言うからさ」
ハルベニィは舌打ちして、ため息を付いた。
「やれやれ。その占い師のじいさんはヨーグの重要人物なんだっけか?」
「すごい尊敬されてる」
「めんどくせえけどな。仕方ねえか」
こうして二人は夫婦ということで葬儀に出席することになった。
ヨーグ社会に限ったことではないが、一部の例外を除けば、女は夫あるいは父親の所有物であった。というよりも、家を継いだ男はその家の全てを所有するのだ。妻子供奴隷などはまとめて家財なのであり、場合によってはそこに夫の実母も含まれる。家財であるのだから、その家の夫はそれらを自由に扱うことができた。
社会の重要人物の葬儀に妻や子供を連れて来ることはその家の夫の当然の行いであり、それをしないできないということはその男の社会適性が疑われ、ひいてはその家の実態を懸念されることとなる。ドランがカミットに助言したことは、カミットとハルベニィが海賊の都で「普通の暮らし」をしていく上で必要なことだったのだ。
このことをハルベニィが理解していたかというと、商売の準備をする中での情報収集を通じて、実はカミット以上に完璧に事情を把握していた。実際にはハルベニィがケダ・シセラルの葬儀に参列しないなどという選択肢は彼にとってもありえなかったのだ。それにもかかわらず何だかんだともったいぶってカミットを困らせたのは、まさしく彼の商人気質のなせるところであった。
たとえ成り行きがあったとしても、ハルベニィはカミットが当然のように夫の振る舞いをすることは阻止するつもりであり、彼自身が面倒に思いながらも回りくどいやりとりを選んだのであった。
※
その日の晩、海賊の都の港のあちらこちらに慰霊の火が灯された。それらが夜闇を照らし、死者の霊が迷わぬようにと道を教えるためである。
港の一部を葬儀場とし、ケダ・シセラルの遺体が安置された。人々は死者に感謝と別れを告げるために長蛇の列をなした。彼らは海の中に咲く結晶花を持ち寄り、それらに水を含ませて枯れないようにして、遺体に捧げた。
ハルベニィは水の呪いに罹っていたので、彼女は自前の呪いで結晶花に活力を与えられた。水の呪いは水分を一つのところに長く留め置くことができ、花をより効果的に復活させることができた。
カミットはハルベニィが元気にさせた結晶花をもらい、それをケダ・シセラルに捧げた。遺体を覗き込むと、タコ族であるケダ・シセラルの丸くてつるつるとした頭といくつもある手足と痩せた体がたしかにそこにあり、生前はその左右の目があっちこっちをばらばらに向いてどこを見ているのかさっぱり分からなかっただとか、手足が多動的に常に忙しなくにょろにょろ動き回っていたことが思い出された。
カミットたちの後にはドランとモノが続いた。二十五歳のヨーグ人の男であるドランは一族の特徴である青い鱗の肌と手足のヒレを持ち、背は高く、引き締まった体をしていた。モノは古来人らしく十代の若者の姿であり、背は比較的に低く、顔立ちにはあどけなさが残る。
モノが献花を終えると、ドランが彼女にひそやかに話しかけた。
「ケダ・シセラルはいったい誰に殺されたのか……?」
モノはきょとんとして、首を傾げた。
「殺されたというのは?」
ドランはモノをじとりと見て、ふっと軽く笑った。
「なんだ。知らなかったのか」
「詳しく教えろ」
「お前は情報通だと思っていたが」
「王に報告しなくてはならない」
「王がやったのではないのか?」
「可能性は否定しないが、彼らがそこまで不仲であったとは思わない」
「火種は昔のものとは限らないぞ」
ドランはモノに顔を寄せてささやく。
「王が老師を殺したのは、ケダ・シセラルの一部の弟子が王朝に反逆的であるからか?」
「敵は直接殺すのが王のやり方だ。そんな回りくどいことはしない」
二人が睨み合っていたときである。
カミットが戻ってきて、にゅっと顔を近づけた。彼はささやき声でドランに聞く。
「ケダ・シセラルは殺されたの? なんで? 誰に?」
ドランは驚き、モノとカミットから離れた。
「カミット。盗み聞きをするな」
カミットは非難を快く思わず反論した。
「普通に聞こえただけだよ」
「聞こえただって? いいか、このことは絶対に言いふらすなよ」
ドランが困惑していると、モノは珍しくもくすりと笑った。彼女はカミットの耳辺りを指差した。
「そいつはコーネ人の血を引いている。冥界の声すら聞き取る耳の良さだ」
今度はカミットが驚いた。
「ええ!? 僕はジュカ人だよ! 僕がライオンみたいに変身するのは太陽の化身のせいでさ」
厳粛な葬儀の場でカミットがわあわあ騒ぎ出すと、ドランとモノはすっと静かになって立ち去ろうとした。カミットは彼らについていこうとしたが、ドランが「こういう場で妻を一人にさせておくな。夫は妻を守る義務がある」と注意したので、カミットは渋々引き下がったのであった。
葬儀はまだ終わっていなかった。夜明け前には最期の見送りが行われるのだ。
献花が終わると、ケダ・シセラルの遺体は花と一緒に小舟に乗せられた。
ここで海賊五家族の代表が勢揃いし、占卜郷の占い師たちと共に小舟を持ち、それを海へと運び、ゆっくりと海に送り出した。
死者は帰らぬ旅へと向かう。
海の中から赤い光が迎えに来ていた。
「赤霊かな?」とカミットはつぶやいた。終わりの島では呪われし者たちを海の化身が食らうことで呪いを自然に返す。きっと中ツ海においては赤霊がその役割を担うのだとカミットは考えたのだ。
一緒に見物していたがハルベニィが「違う」と言った。
「あれは死虫だ」
海面に赤い光が塗りつぶされるようにして、それが帯のようになって近づいてきており、それは一つの大きな存在ではなく、きわめて小さな赤い虫が数え切れないほどの大群になって泳いできたのだ。海には事前に死虫が好む餌を撒いてあり、それによって彼らは誘き出されたのである。
その赤い光の流れが渦を作ることで、渦の中心に向かって偉大な占い師を乗せた小舟が引き寄せられていった。死虫はしばらく手を出さないでいたが、急に動き出すと、渦巻きがいっそう激しくなった。死虫は一斉に遺体に群がり、ケダ・シセラルを海の底へと引きずり込んだ。
そのとき赤い光がいっそう強く放たれ、それが光の筋となって海の中から夜空を割った。
やたらと物知りになっているハルベニィが語る。
「赤い光の右側が俺達のいる場所、左側が死者の世界なんだってよ。ケダ・シセラルはあっち側に行っちまったな」
「さようならって今度はちゃんと言えたよ」
このときカミットは終わりの島の東海岸で戦ったときのことを思い返していた。入江の魔人との戦いの最後、夜明けと共にネビウスが現れ、赤霊に命じて、海に放たれた呪いを浄化したのだ。思い返せば、ネビウスはカミットの知らない秘密の技をたくさん持っていた。古の民は秘密主義だからと言って、特に気にもしないでいたが、再会できたときにはもっとネビウスの話を聞いてみようと思ったのであった。




