第238話 占卜郷(6)
カミットは幼い頃の夢を見るなど、そんなことは初めてのことだった。生まれてこの方ずっとネビウスと一緒に暮らしてきたので、一ヶ月以上も離れ離れになっていることが故郷への想いを募らせたのかもしれなかった。
思い返せば、ネビウスに限らずだが、古の民はめちゃくちゃであった。巨獣は当然の如く飼い慣らし、古代文明の施設を思うままに使い、空の化身または太陽の化身の力を借りて極寒の地に住みよい秘境の里を形成したり、慈善事業の医療集団を運営していたり、そうかと思えば圧倒的な力を持っていながら魔人の危機にはまるで関わらず、社会情勢が危ぶまれるといち早く土地を見捨てて逃げ出していく。
このように古の民の終わりの島での超個人主義的な振る舞いがみられた一方で、中ツ海の古来人は様子が違っていた。というのも古来人のモノはラケメト王朝に仕え、王の命令に従っているのである。
そこでカミットはモノという中ツ海にて唯一知り合うことができた古の民から魔獣を飼いならす秘技を教わるしかないのだと結論づけた。幸いにしてモノは毎日ぶらぶらと暇そうにしているように思われたので、カミットは彼女が占卜郷を散歩しているところをくっついて回り、どうにか情報を引き出そうと試みた。
その日、モノは占卜郷の沿岸を歩いており、カミットもそれについていた。打ち付ける波が岸壁を削り、遠くの海の青さと間近の波の激しさが対照的に思われた。中ツ海は大地に囲まれた海だというが、この海のどこかに終わりの島があるのかもしれなかった。
「ネビウスはさァ。青い火と赤い火の呪いがすっごい上手いんだよ」
カミットは何気なく話したつもりだったが、モノはじとりとカミットと睨み、不機嫌そうだった。
「私はお前の相手をしているほど暇ではない。おとなしく老人の講義を受けていろ」
「剣の腕前もすごくてさ。ネビウスは仙馬と戦ったときには角を斬ったんだけど、そしたら今度は雷の魔人みたいなのが出てきてさ」
カミットはおかまいなしに話し続けており、だいたいの話題にはモノは食いつかなかった。ところがこのときだけは様子が違った。
「雷の魔人が?」
「そう! そいつが仙馬に乗り出して、そしたらネビウスは不意打ちされてやられかけたんだけど」
「しかしネビウスは死ななかった?」
「そう、そう。僕の森の呪いがネビウスを治療したんだ。そのあとネビウスは赤い剣を使って、夜の王がマントになってネビウスを助けたんだよね。それでネビウスは仙馬たちを追い払った」
モノはここまでほとんど何も教えなかったが、足を止めて、急に話し始めた。
「サンアンシヤは仙馬であって、ただの仙馬ではない。特別な騎馬だ。あれを御すことができたのはただ一人、大王のみだ」
「ふーん。じゃあ雷の魔人はその大王ってこと?」
「大王は十年以上前に崩御している」
「もう死んでるってことか」
「それが何であるか。お前は分かったか?」
「んん? どういうこと? 分かるわけないじゃん。知っているなら教えてよ」
モノは大きなため息をつき、わざとらしく落胆してみせた。彼女はあくまでもカミットを馬鹿にしており、「こんなやつのために時間を労を割くのは惜しい」などと嫌味まで言った。
※
カミットはモノとのやり取りをケダ・シセラルに愚痴った。経験豊富な老占い師はカミットが期待するような慰めを口にはしなかったが、そのかわりにある提案をした。
「モノが興味を示したのは、雷獣サンアンシヤがもたらした雷の騎手の降霊であろう」
カミットはこれを聞いてたちまち興奮した。
「降霊!? なにそれ!」
「大王は故人であるし、彼が終わりの島で蘇ったというはずもない。サンアンシヤは奇天烈な呪術によって王の霊を呼び起こしたのかもしれぬ」
「すごい! 死んだ人を呼ぶなんてできるんだ!」
「そうではないか、というだけの話だがな。ふーむ」
ケダ・シセラルは迷いに迷って、ついにカミットに語った。
「終わりの島は何かよくない力が巡る土地なのかもしれぬ。お前が言う魔人とやらは、きっとそれの原因となった故人がいたのではないか。その霊が戻ってきて、人々を困らせたのだ」
カミットはこれ以上ないほどぴったりな魔人解釈と出会い興奮した。
「そうかも! 絶対そうだ!」
「試してみるか。ヤージェがいかほどの霊魂を持つか、見てみよう」
占卜郷は小さな島のあちこちに神殿があるが、神殿はさらに地下にも広がっている。ヤージェの火の力をその霊魂を通して見定めようとなり、それを最も深い場所にある特別な祭壇で儀式を行うことになった。これにはケダ・シセラルばかりでなく、さらにモノも興味を示して見に来ることになった。
地下神殿は全面を透明なガラスのような壁で覆われており、祭壇の周囲を巨大な赤霊が不気味な様子で泳いでいる。四肢をゆらゆらと揺らしながら泳ぎ、その透明な体に走る血管がおそろしい様子で光りながら脈打っていた。
ケダ・シセラルが祭壇で何かの動物の骨を大きな盃に乗せた。そこにある種類の海藻を発酵させて作る海酒を注いだ。
カミットはヤージェを祭壇に無理やり引っ張っていった。ヤージェは赤霊にすっかり怯えていた。
供え物は揃ったのである。
ケダ・シセラルは頭上を泳ぎ回る赤霊に向かって祈りを捧げた。
「大いなる者よ。その霊魂を現したまえ。小さき者を見定めたまえ」
この呼びかけにより、赤い光が祭壇に降り注いだ。赤霊の姿がみるみるうちに膨れ上がっていき、さらにその血の輝きは眩しいほどになった。赤霊は今にも外壁を破壊して、襲いかかってくるように思われた。
ヤージェはなおも震えて縮こまったままでいたが、
カミットは吠えた。獅子のように勇ましい咆哮であった。彼の金色の花髪は鬣のように広がり、彼の気迫と相まって燃え上がる太陽のようであった。
さらにカミットの雄叫びが呪いの巨樹を呼び起こした。呪いの巨樹は神殿の石材の床を割って、めきめきと成長した。
このときカミットは赤霊が襲ってくるイメージを正確に感じ取っており、迎撃しなくてはならないと確信していた。しかし一方では冷静に分析しており、海底神殿で外壁を破壊すればたちまち海水が流れ込んできて大惨事になることが分かっていた。あくまでも彼は赤霊を戦うことなく追い払うつもりでいた。
ところがそのときである。
カミットが夢中で森の呪いに念じていたところに、ヤージェが突進したのだ。カミットはまったく予想していなかった横からの突撃によって吹っ飛んだ。以前からそうなのだが、ヤージェはカミットが森の呪いを使おうとすると邪魔をしてくることがしばしばあった。それで良かったこともあるが、今は違った。
カミットはたちまち怒り狂った。
「ヤージェの馬鹿! もう許さないよ!」
カミットが言葉を喋っていたのはここまでである。思考が怒りで一色になると、眼の前が真っ赤になり始めた。その姿すらも変わり、カミットの顔は獅子のようになり始めた。
これに対し、ヤージェは火の猪の力を解放し、小さな子猪の姿から火を吹く大猪に変貌した。
両者ともに用いるは燃え上がる怒りだけ。
真っ向勝負の大喧嘩が繰り広げられるのを、その頭上で赤霊は鑑賞するかのように悠々と泳いでいた。




