第236話 占卜郷(4)
占卜郷の偉大な占い師であるケダ・シセラルはカミットに水の精霊にまつわるいくつかの技とヨーグの信仰について講義した。カミットは水の精霊の加護を持たないので、水の秘術についてどれだけ教えられたとて、その技を身につけるという将来が存在しない。それで段々と興味が保てなくなり、「へえ」とか「すごい、すごい」などといいかげんに言うばかりになった。
滞在が一週間ほどになると、カミットは占卜郷に来たことを後悔し始めていた。
実際、時間はなかった。火の猪の試しは一ヶ月の期限を設けられており、カミットはそれまでの間にヤージェの火の呪いを制御できるようにならなければいけなかった。
そのための技をケダ・シセラルが伝授してくれるのであれば、カミットがここにいる意味があったが、そうでないなら時間を無駄にしているだけだった。
ためしに聞いてみたこともあった。
「ケダ・シセラルは火の呪いを封印できるの?」
すると老人はとぼけて、こう言った。
「火の秘術使いは厄介だな。火の獣はまだいいが、火の人間はいかん。人で火を使い出すと、良からぬ考えが頭をよぎるというものだ」
聞いていることにはっきり答えないというのは、老人はどこでもそうかとカミットは諦めめいた感想を持った。カミットはうっすらと「この老人はボケているのかも」と考え始めた。モノが激しく非難していたのは真実であり、ケダ・シセラルは一見立派な大人物のようでありつつ、実際には時代に取り残されて耄碌した老人なのかもしれなかった。
カミットは焦り始めており、古来人であるモノに相談した。
「ヤージェの火を封印するやり方を知らないかな?」
このときのモノは少しだけ親切だった。
「私達のほとんどは土地の秘術を使わない。そういう技を知っているのは土地の神官や呪術師くらいのものだ。だが土地の者たちに期待しすぎるな。彼らができることはそう多くはない」
「そしたらさ、魔物飼いの知り合いは?」
「いない」
「でもさ。ケダ・シセラルはそういう人たちがいるのを知っていたみたいだけど」
「今、その猪はどうしているのか?」
「ん? ハルベニィに預けているよ」
「なぜ?」
「だってこんな遠くに連れてこられないよ」
「なぜ君は自分が引き受けた命をそうもぞんざいに扱うのか……」
なにやらモノはヒントのようなものを言いだしていた。カミットは馬鹿にされていることはここでは無視して、重要なことを聞き出すことにした。
「そしたら僕はヤージェと一緒に過ごせばいいってこと?」
「君はなぜそう短絡的なのか」
「なぜ、なぜ、ってそんなの僕はこういう性格ってだけだよ」
モノがめんどうなことを言い出す前に、カミットは言った。
「まあいいや! そしたらさ、ドランに言って、ヤージェを連れてきてもらおうかな!」
「君は海賊一家の長子を使い走りにできると思っているのか?」
「んん? そしたらハルベニィに連れてきてもらおう!」
「……やれやれ」
数日後に、大変に不満そうにしたハルベニィがぶひぶひ言っているヤージェを連れてやってきた。カミットは占卜郷の港でハルベニィを出迎えた。ハルベニィは笑顔のカミットを見て、ぴきりとひたいに青筋を浮かべた。
「お前よぉ。必要だったら最初から連れていけよ」
「うん。ありがとう!」
「おう。それじゃあな」
「あれ? もう帰るの?」
「当たり前だろ。俺は仕事がある」
「そっか! あっ、ヤージェの餌ってどうしたらいいのかな?」
「猪は何でも食うから、てきとうにやれ」
「分かった。ありがとう!」
ハルベニィがすぐに船で帰ろうとすると、子猪のヤージェがそのつぶらな瞳を不安そうにさせ、ハルベニィについて行こうとした。カミットはヤージェの手綱を引っ張り、「こっちだよ」と言いつけた。それでもヤージェは反抗的な態度を崩さず、カミットから逃げていこうとした。
ハルベニィはそんな彼らの様子を見て不安になったのか、ヤージェの餌となる野菜やら小動物やらについて詳しく説明した。それから彼女は持参していた餌をカミットに渡し、カミットが直接ヤージェに小さな蟹を与えた。ヤージェはそれをばりばりと食べて、こうしてようやく気持ちが落ち着いたのであった。
この日、カミットは早速ヤージェをケダ・シセラルの家まで行って見せたのであった。ケダ・シセラルは火の猪を見るのは初めてだと言って、大いに興味を示した。また彼はヤージェそのものと同じくらいに封呪の手綱を気にして、それを恨めしがった。
「古来人は長く生きているからな。その特別な知識と技でよく分からぬ物を作る」
「ネビウスたちはすごいよね!」
「その使い方や作り方を伝授しないで放置していくのが困るのだ」
封呪の手綱は古来人の手によって作られた道具であった。それをもってすれば呪いの魔獣を手懐けることすら可能である。それは見る者が見ればとてつもない秘宝であることが明らかであった。それも今はカミットの元で持て余されているのだが。
ケダ・シセラルは手綱を手にとって、首をかしげた。
「王はこれでヤージェを鎮めたのだな?」
「ディナミスはなんにもしてなかったけど、これを手にもっただけでヤージェが大人しくなったんだ」
「モノには試させてみたか?」
「んん? そんなことしてもらってないよ。だいたいヤージェが怒ってないと、怒りを鎮めることができなくてさ。練習もできないから困っているんだよ」
ヤージェをよそに、二人であれこれ言い合っていると、ほのかにぷんと鼻をつく匂いがしだした。ヤージェがその場で糞をしたのである。ぽこりぽこりと、丸くてころころしたものが続々生み出されていた。
カミットはぎょっとした。
「ヤージェがウンチした!」
「おお、なんということだ。早く片付けろ」
「ええ!? 僕が? 家事奴隷はいないの?」
「そんなものおらん! わしの家を汚すな。あァ、早くしろ! 臭いではないか!」
カミットはわあわあ騒ぎながら、ヤージェのいたした物を掃除したのであった。




