第234話 占卜郷(2)
巨獣の骸の中は青や緑の美しい石で作られた祭殿になっていた。ヨーグ人のタコ族の呪術師たちがあちらこちらに居て、訪れた他のヨーグ人に占いをしていた。
ヨーグ人たちはカミットをまじまじと見た。カミットはジュカ人であり、ジュカ人がこの占卜郷にいるはずがなかった。カミットは終わりの島にいた頃にも少し似た経験をしていた。終わりの島のヨーグ人はジュカ人を蔑視しており、当初はカミットはヨーグの街を自由に歩くことすらできなかった。
しかし占卜郷ではまた様子が違った。ヨーグ人たちのカミットを見る目は、不安と恐れに満ちていた。中ツ海ではジュカ系人種の王国が巨大な勢力を形成してきた歴史があり、ヨーグ人はしばしば迫害されてきたのである。
ドランは時折知り合いに話しかけられ、カミットについて聞かれると、
「王の事情だ」と言ってあしらった。
王・ディナミスの威光は轟いていた。ヨーグ人たちはその名が出るなり、誰もがすぐに引き下がった。
カミットには人々の反応が奇異に見えた。彼らは王を恐れ敬っているとして、その程度があまりにも過剰に思われたのだ。人間の地位や身分に差があることは当然だが、それにしても、もっと基本に立ち返れば、人はただの人であるはずなのだ。
そのようなことを考えながら、カミットはドランの後に着いていった。考えを巡らせていると、周囲のことがあまり見えなくなった。
ところが最も重要な祭壇の間に入ったとき、カミットはたちまち考えるのをやめて、あっと声を出した。
祭壇は水でできた球状の壁に周囲を覆われており、その場所は海中らしかった。水の壁の外では巨大な赤い光を放つ怪物がぐるりぐるりと泳ぎ回っていた。
カミットはその怪物を見知っていた。
「冥府の使者だ!」
カミットがはしゃぎだすと、ドランは「静かにしろ」と注意した。
祭壇の中央にはタコ族の老人が地べたに座っていた。
ドランは彼に対してひざまづいて頭を下げた。
「偉大なるケダ・シセラルよ。ウグスプ家、長子のドランが参上した」
タコ族の頭部は他のヨーグとは形態が大きく違っており、その偉大なるケダ・シセラルの眼球の右目がそれ自体がぎょろりと動いてドランを見た。
ケダ・シセラルはくぐもった声を出した。
「新鮮な生贄を持ってきたか。たまには気が利く」
カミットはぎょっとしたが、今は手元に武器はない。いざとなれば森の呪いを使うことも辞さないつもりでいた。
しかしこのときはモノが間に立った。
「これは化け物の餌ではない。王の関心事だ」
「ディナミスはとうとう占い師の領分に踏み込むか」
「その発言は王に報告する」
「すればよかろう。あのような狂人は恐れるだけ徒労である」
穏やかでない会話の間にも、ケダ・シセラルの左目は水壁の向こうで泳ぎ回る怪物に向けられていた。怪物の体を巡る血管は脈動して輝き、頭部の光はひときわ強く、その赤い光がぱっ、ぱっ、と何かのメッセージを伝えるようにして放たれていた。
偉大なる占い師はその意図を汲み取る。
「赤霊が怒っている」
右目がぎょろりとカミットを見る。
「お前にな」
「ええ!? なんで! 冥府の使者は牢獄の都で僕を助けてくれたんだよ! あのね、きっとネビウスが頼んで、僕を守ってくれるようにしてくれたんだ」
「赤霊だ」
「んん?」
「冥府の使いなどではない。彼らはこの中ツ海の海底を守る偉大な一族なのだ。そのような者たちがお前を助けただと? そんなことはありえない」
ここでまたもやモノが話に割って入ろうとしたが、それをドランが制して、彼が落ち着いて話した。
「終わりの島という地が遠くにある」
「ふむ?」
「その地で大いなる者たちの争いが起こった。その戦いに巻き込まれたカミットを助け、中ツ海まで運んだのが赤霊なのだ。おそらく古来人のネビウスという人物が関与した」
「……ネビウス」
「御存知か?」
「知らぬ。だが、赤霊を操るほどの腕前ならば、もしや賢者か?」
「その通りだ。永久欠位と思われていた、炎の賢者が実在したのだ」
「古き古来人の口はまことに硬いな」
「そのネビウスの養子がカミットなのだ。それで実は相談があってな」
ここまではカミットはどうにか口を塞いで我慢していたが、いよいよ自分の要件を話せると思った。
「あのね! 僕、火の猪を飼ってて、ヤージェっていうんだけど、ヤージェの火を封じろってディナミスに言われたんだ! そのやり方を教えてほしい!」
ケダ・シセラルは首をかしげ、両方の目でカミットを見た。
「親から教わらなかったか?」
「ネビウスと急に離れ離れになっちゃって……」
「教えなかったのであれば、その必要がないと考えたのだ。魔獣は殺せ。赤霊に捧げれば、さぞ喜ぶだろう」
「だめだよ! ヤージェは僕の家族なんだから!」
さらにもう一人黙っていたのが、そちらも我慢できなくなった。
モノが口火を切る。
「老人。王の要件だぞ。できぬならできぬことを説明しろ。お前にはその能力がなく、知識もなく、若者を教え導くことができないと弁明しろ。そうすれば王はお前を許す可能性がある」
この物言いにはドランばかりかカミットすらも息を飲んで言葉を失った。それくらいモノの発言は高圧的であり、偉大とされる占い師を相手にあまりにも無礼に思われた。実際、王という後ろ盾があることや、モノが古来人という特殊な不老長寿の一族であることは複雑な背景を形成していたが、それにしてもであった。
ところがケダ・シセラルは怒るどころか、げははと笑い始めた。
「滅びた帝国のやり方を中ツ海でも続けるつもりか。それは上手くいかないとお前たち自身が明らかにしたではないか」
「新たな帝国はすでに始まっている。お前は従うか、歯向かうか。それを選ぶことはできる」
「お前は古来人にしては好戦的だな。単独で行動しているのは、仲間外れにでもされたか? 良ければ、わしが古来人の知り合いに伝言して助けてやろうか?」
「私達の事情はお前のような者には関係ない」
このときカミットは黙り込んでしまっていた。しばしばカミットは頭に血が上ると止まらなくなってキレてしまうところがあって、そのことを自覚しつつも常にその怒りには正当な理由があると思ってきた。
そして今である。
モノは口ぶりは淡々としているのだが、どうやらぐつぐつと滾っているのがカミットの目にも明らかであった。ケダ・シセラルは偉大な占い師としてのプライドがあるからか、モノの言うことをまったく聞かないし、それどころか嫌み満載の挑発までする。モノはこの挑発に乗せられ、何かをしでかしそうな気配を醸し出していた。
カミットが思うに、ドランが不戦を誓わせるべき真の相手はモノだったのではないかと。カミットはモノを見ていると、ハラハラとして、とてつもなく不安になった。この場をどうにかして丸く収めなければという気持ちがカミットの中で湧き上がったのであった。彼は大きな声で話しだし、あえて注目を集めた。
「あのさ! 僕、おじいさんに呪いを教わりたいんだ。そうしないとヤージェがディナミスに殺されちゃうんだ。ヤージェは僕の家族だから……。ちゃんと終わりの島に一緒に連れて帰らないといけないんだよ」
カミットの割り込みにより、ケダ・シセラルとモノのやり合いは中断された。モノはまだまだ不満そうにしていたが、ケダ・シセラルはそちらの争いを放棄した。
ケダ・シセラルはその特異な瞳でカミットをまじまじと観察し、最初の指導を与えた。
「魔獣を家族と呼ぶのは魔物飼いの一門だけだ。軽々しくそのようなことを言ってはならぬ」




