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ネビウスクロニクル  作者: 石井
海賊の都編
232/259

第232話 人々の海(6)

 ラケメト王国の統治者はファラオを称する。当代のファラオはディナミス、彼の血族が王朝を名乗るに至るかはまだ分からない。というのもディナミスは彼の一族の最初の一人であり、一族としての繁栄はその後に子孫が続くかどうか次第だからであった。彼には息子たちが複数いるが、そのいずれに対しても王位を継ぐとは明言していなかった。

 さらには彼自身が王朝の発展に興味があったかどうかは定かではない。なにしろ彼は感情を表に出さない男であった。

 ディナミスはウグスプ家の客間で玉座に座り、カミットはその前でひざを付かされ、頭を地面に押し付けられた。平民がラケメトのファラオ謁見えっけんするとなれば、どれほどへりくだっても足りないほどである。

 しかしカミットはラケメトの民ではない。誰かに対して地を這うようにして頭を下げるなど、これほど屈辱的な思いをしたことはない。ネビウスの子であり、終わりの島(エンドランド)の英雄であるカミットがこのような仕打ちを受けることは許されざることであった。

 そのため「おもてを上げよ」と許されたは良いものの、そのカミットの顔は激しい怒りによって憎々しげに歪んでいた。

 近衛兵たちはファラオを見やる。彼らの心情はすぐにでもカミットを殴りつけたかったが、御前にて勝手は許されない。それは側近の兵士たちにすら適用される絶対の法であった。

 ファラオ・ディナミスがカミットに聞く。

「炎の賢者は魔獣の扱いを教えたか?」

「ネビウスのこと? べつになんにも教わってないよ!」

「魔獣飼いは何と言って、炎のししを渡したか?」

 カミットはなおもファラオにムカついていたが、珍しい名を聞いて興味を持った。

「シグルマのこと知っているの!?」

 ファラオはこの質問に答えない。古来人のモノが出てきて、カミットに注意する。

「お前が聞かれたことに答えるのだ。お前が何かを聞く権利はない」

「なんでよ!」

ファラオは尊く、お前は卑しいからだ」

「そんなことないよ!」

 カミットとモノが言い合っていると、ファラオがすっと立ち上がった。ファラオは客間に隣接する庭へ出た。

 そこへ鎖で縛り上げられたヤージェが連れてこられた。

 カミットは相棒の痛ましい様子を見て、身の裂かれる思いがした。

「ヤージェに酷いことしないでよ!」

 ファラオはカミットを無視して、ヤージェに近づいた。近衛兵たちが心配して困っていたが、ファラオは彼らに手出しはさせなかった。

 ヤージェの鎖が解き放たれた。すると火の力がたちまち蘇り、ヤージェは火の呪いを解き放つかと思われた。

 そのときファラオ手綱たづなつかんだ。

 その瞬間、ヤージェの怒りに燃え上がっていた瞳がつぶらな様子になって、肥大していた体はもとの小さな子猪こじしの姿に戻った。この小さき者は手綱たづなを持って立つヨーグ人の男、ファラオ・ディナミスを見上げた。

 このとき初めて、ディナミスがカミットに語った

「魔獣は心得があれば、気楽な隣人となる。しかし一歩道を違えれば、己ばかりか共同体全てに対する猛威となる。魔獣はただ生きているだけで人に害を為す。此度こたびの騒動でこの火の猪が燃やした家屋は十四だ。衣食住のどれか一つでも欠けるということは人間の生活を著しく損なう。

 しかしお前の責任ではない。お前が未熟である以上、その監督者である者に全ての責任がある。

 炎の賢者ネビウス、たいそうな称号を贈られながら、眷属けんぞくとも言うべき火の魔獣をいかに飼うべきかを教えずに、それらを野に放った罪は重大だ」

 カミットには思いもよらぬ話の着地の仕方であった。驚きつつも、彼はネビウスを非難されて黙っているわけにはいかなかった。

「ネビウスはきっとこれからいろいろ教えてくれるつもりだったんだ。でも思ってもいなかったことが起こって、僕たちは離れ離れになった……」

 カミットはあれこれ言ったが、ディナミスの心に届いている気配は無かった。ディナミスはカミットをにらみ、何かを示唆しているように思われた。カミットが一度静かにすると、ディナミスが質問した。

「お前は私がいかに魔獣を鎮めたのか、なぜ聞かない?」

「あっ、たしかに! どうやったの!?」

「疑問を他者から与えられることは恥と思うべきだ」

「ええ!? なんでよ! ねえ、教えてよ!」

 このやりとりをしたとき、カミットは急にある存在を思い出した。ディナミスと雰囲気がどことなく似ている異形の存在。ディナミスと彼が何か繋がりがあるとカミットは直感的に感じたのである。

「ねえ! 夜の王って知ってる!? 黒いふくろうでさ、マントになったり、いろいろできるんだよ! ネビウスは夜の王と仲が良くってさ!」

 ディナミスは全く顔色を変えなかったが、モノは違った。モノがディナミスに近寄って言った。

黒ノ梟(スティリコ)終わりの島(エンドランド)のことは一言も……」

 話はそちらに流れるかと思われたが、ディナミスはぶれなかった。彼はカミットに失望の眼差しを向けた。

「集中力がなさすぎる。すぐに気が散って、他者とのやりとりをないがしろにする。そのようだから第一に学ぶべき技すら修めずに世に出ることになった。それがお前の真実だ」



 ファラオはカミットを罰するでもなく、それどころか自由の身にさせた。

 ただ一つ、条件をつけて。

「一ヶ月以内に火のししを制御せよ。さもなくば魔獣は処分する」

 このとき同時にハルベニィも解放された。

 結局、二人はウグスプ家の別邸に居室を借りて居候することになった。これらの手配はモノが行ったが、そもそもはファラオの命令であり、遺恨があろうともウグスプ家は従ったのであった。

 長すぎた一夜を経て、安心できる暮らしを二人は噛み締めていた。ハルベニィは座敷で大の字になって寝た。カミットは彼の隣で横になった。ヤージェもやってきて、彼はハルベニィにくっついて寝ていた。

ファラオは良いやつだったし! 俺達は運が良すぎる!」

 カミットはハルベニィの発言が信じられなかった。

「僕は嫌なことをいっぱい言われたよ!」

「どうせお前が馬鹿なこと言って呆れられただけだろ」

「違うよ! ヤージェを殺すって言われた!」

「ヤージェが暴れるのをお前が抑えれば大丈夫だ」

「そんな簡単に言うけどさ!」

 ファラオが提示した条件はカミットにとって容易ではなかった。ネビウスの炎の賢者としての神通力無くば、暴れるヤージェを鎮めることは困難なのだ。

 以来、カミットはヤージェとよく過ごすようにした。しかし彼の目論見はまったく上手くいかなかった。怒れるヤージェを鎮めるためには、そもそもヤージェが怒っている必要がある。普段のヤージェは機嫌を良くして、カミットに大人しく従うばかりなのだ。

 途方に暮れるカミットに対し、ハルベニィは彼が考えるのを手伝った。

「でもよ。王の野郎はそれができるんだろ?」

「どうやっているのか分からないんだ。聞いても教えてくれなかったし!」

「王はお前に何を見せた?」

「何って? 何もなかったよ。あの人はヤージェを睨んだだけだ。あっ、その前にヤージェを剣で倒していたし、それでヤージェは勝てないと思ったんじゃないかな!」

「ネビウスはヤージェをぶっ飛ばしたりしてないのに、大人しくさせられるだろ。王はたぶん、お前と話したときにお前の眼の前で何かをしていたんだ。よく思い出せ」

 カミットが見たものは、ディナミスはただ手綱たづなを掴んだだけであったように思われたが。

 カミットはぴんときた。

手綱たづな! ディナミスは手綱たづなを誰が作ったか気にしていた!」

「それかもな。古の民が作った特別な道具なら、正しい使い方があんじゃねえか」

 元々ヤージェは終わりの島(エンドランド)の魔物飼いが捕獲していた子猪であり、カミットに譲り渡したという経緯がある。その手綱たづなは魔物飼いがヤージェに取り付けたものであり、ネビウスなどはそれを「封呪の手綱たづな」と呼んでおり、単なる革紐というわけではなかったのだ。

 考えを得たらば、すぐにも動くのがカミットであった。彼はヤージェがハルベニィに甘えているのを引き剥がし、手綱たづなを引いて家の前へ連れ出した。そこで早速練習を試みる。

「ヤージェ! 呪いを使って!」

 突然の命令にヤージェは驚き、困惑した様子でカミットを見上げていた。ヤージェにしてみればなんということはない平和な昼下がりに怒りの火を起こす理由がなかった。しかしそれではカミットが呪い封じの練習をできない。

「なんで言う事聞かないの! ヤージェ! 火だってば!」

 怒っているのはむしろカミットの方であり、ヤージェは気まずくして、ぶひぃと鳴いたのであった。



 ラケメト王国は中ツ海(オケアノス)の南東方面に巨大な勢力を持つ。ただしその権勢は放っておいて成立するものではなく、周辺諸国との抗争は常に続いていた。ファラオが本国を長期間留守にすることはできず、海賊の都(ネオポセイディア)での滞在は数日が限度であった。

 出発の前夜にウグスプ家の客間で王・ディナミスは幾人かの人物を順番に呼び出した。その一人がハルベニィだった。

 ハルベニィは王の後ろに控える古来人のモノを真似して、王の前では頭を低くして膝をついた。許可されるまでは喋らないということも同様である。

 やりとりの形は決まりきっている。王が質問し、ハルベニィが答えるのだ。

「商いは可能か?」

「えーっと、おかげさまで、できそうですぜ」

「何を扱う?」

「弓と矢を売りやす。ヨーグ人はカミットの弓の技を見て、興味があるみたいなんで」

 ディナミスは首を横に傾け、数秒考えた。玉座からハルベニィを見下ろし、その冷厳な瞳で何かを見出す。下される言葉は突然。

ぞくは海底遺跡から古代遺物を発掘している。しかし彼らはその使い方や処理の仕方が分からず持て余している。お前がより良く管理することは可能か?」

 これを聞き、ハルベニィは興奮してしまい、思わず頭を上げて、勢いよく立ち上がった。

「まじかよ!? そんなの俺がやっていいのか!?」

 王に対してはハルベニィの物言いと態度は無礼そのものであった。幸運にも、ディナミスは表情をぴくりともさせず、不機嫌になった様子もなかった。しかし周囲に立つ近衛兵は一瞬でピリついた。

 モノが作り笑顔をしたまま、なにやら手を動かす。すると不可視の力がハルベニィを上から抑えつけて、床に押し潰した。

 ハルベニィはぎゃあぎゃあ騒いだ。

「痛ぇ! 悪かったよ! わざとじゃねえんだから勘弁してくれ!」

 妖術の拘束はすぐに解かれた。

 ハルベニィはぜえぜえと呼吸を荒くして、

「申し訳ねえ」と言って謝った。

 このこと自体にはディナミスは言及しない。彼は質問をもう一度する。

「可能か?」

「できやす。がんばりやす」

 契約が成ったということで、モノが手元の書紀板でパピルスにそのことを記載する。

 王は続けて語った。

「私は明日には都に戻る。モノをここに置いていくので、不明なことは彼女を頼れ。

 それから別件についてだ。火猪の一ヶ月の試しは私の代わりにモノが試験する。そのように伝えよ」

「分かりやした」

 ハルベニィはふと疑問を持った。気になって仕方なくなり、頭を上げて、モノをじっと見た。古の民特有の美しい白髪と褐色の肌もそうだが、その他にも端正で整った顔立ちと、少年か少女か判別しがたい神秘的な様子も彼らの一族に典型的である。モノは髪が短く、男物の服装であることからそのように周囲からも判断されていたが、本人が性別を明言したことはなかった。

 ハルベニィは言われてみれば、モノが中性的な見た目の少女に見えてきて、驚いてしまって大声を出した。

「お前、女かよ! よくもあんな偉そうに!」

 モノは笑顔のまま何も答えない。くいっと指を動かし、ハルベニィを地面に押し潰した。ハルベニィは「うげぇ!」とかえるのような悲鳴をあげた。



 ハルベニィはモノに案内され、ウグスプ家が管理している港の倉庫を訪れた。倉庫には海底から発掘された古代の品々が積み上げられていた。ハルベニィは古代遺産を眺め、安堵のため息を漏らした。

「どっかで見たような物がちらほらとありやがらァ……」

「それは良かった。では、またな」

 モノが帰ろうとすると、ハルベニィは彼女を呼び止めた。

「男か、女か。お前が好きな方で俺は見る」

「どちらでもいい。私は古来人だからな。私は君たちとは異なるのだ」

「じゃあ何で男の服を着てる?」

「動きやすいからだ。私は王の命令であちこち出かけるし、非常に不便な土地へ歩いていかねばならないこともある」

 ハルベニィは首を傾げた。

終わりの島(エンドランド)の古来人は政治に興味がねえ。だけどお前はディナミスとずぶずぶの関係みてえだな?」

 このときモノは呆れて語った。

「一族の同胞が平和に対する責任を放棄しているように見えたとすれば、それがあまりにも小さな土地の些末さまつな出来事だからだ。

 中ツ海(オケアノス)は広く、大きい。多くの人種、国家がひしめき、偉大な歴史を紡いできた。時代を渡る我らの繋がりは中ツ海(オケアノス)の持続性に奉仕する」

 モノが去った後、ハルベニィは一人で倉庫に残り、古代遺産を漁っていた。終わりの島(エンドランド)中ツ海(オケアノス)が遠く離れているとしても、古代文明が残した遺品には似たような物が多い。それらの共通していることが、二つの異なる場所に細い繋がりをもたらしているように思われた。

 ハルベニィはおそらく古来人たちが残したのだろう古代の遺物を触りながらつぶやいた。遺産は数も規模も終わりの島(エンドランド)を上回る様子である。

終わりの島(エンドランド)は小さくて、どうでも良い土地……。そんなわけねえだろ……」

「人々の海」おわり


お知らせ:次話は5月5日に投稿します。

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