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ネビウスクロニクル  作者: 石井
海賊の都編
231/259

第231話 人々の海(5)

【用語】

ヨーグ人:青い鱗の肌と手足のヒレを持つ人種。胸部にはエラがあり、水中生活にも適応可能。

古来人:不老長寿であり、誰もが少年少女のような見た目をしている。白髪と褐色の肌をした者が多い。他人種と違い、これといった大きな特徴はない。

コーネ人:猫の顔貌と豊かな体毛をした人種。

終わりの島:カミットの故郷

中ツ海:終わりの島を出たカミットが流れ付いた海。周囲を陸地に囲まれている。

海賊の都:海賊五家族が根城にする街。一つの島全体が街になっており、五家族によって縄張りが分割されている。

【人名・家名】

モノ:古来人の青年。海賊の都でカミットと関わる。

ウグスプ:海賊五家族の一つ。

 カミットの来訪に端を発する海賊五家族の勢力均衡の変化は海賊の都(ネオポセイディア)全体に緊張感を生んでおり、島の各地で小競り合いが頻発するようになっていた。カミットはリノロ家の戦闘員として意気揚々と戦いに参じていたが、あるときを境に急に出撃がなくなった。そればかりかあちこちで勃発していた戦闘が急に消滅し、島が不気味な静寂に包まれるようになった。

 カミットはその変化を気にせずに休暇を楽しんでいた。一方でハルベニィは警戒を強めていた。

「海賊どもめ、急に大人しくなりやがって、何かがおかしい。だが連中は何も教えやがらねえ」

「モノとは連絡を取ってる?」

「あの野郎、数日前に島を出ちまって、どっかに出かけているらしい!」

「そっか。なんだろうね」

 そしてある晩のこと。

 怪しげな影がうろつき、カミットたちが暮らす長屋の近くに集まっていた。ハルベニィがその気配に気づいて目を覚まし、彼は熟睡しているカミットを起こした。

 その直後、部屋に海賊たちが押し入ってきたのだが、その最初の相手をカミットが先んじて突き殺した。

 このとき海賊たちはある物を見たのだった。

 明かりの無い夜闇の中、カミットの光る目を。

「コーネ人だと!」

 同じ暗さの中で、カミットにはよく見えており、一方の海賊たちにはきちんと見えていなかった。その目の主がカミットであるとも彼らは気づかなかった。それを判断する前に、カミットが雷の短槍と森の呪いによって彼らを殺してしまった。一部の者たちは恐れて逃げ出し、カミットは彼らを仕留めそこねた。

 槍を突き出す前に既に分かっていたが、カミットは改めて倒した相手を確認した。いずれもリノロ家の構成員の若者たちだった。

 部屋の隅で縮こまっていたハルベニィがカミットに聞いた。

「どういうことだ? こいつら、一家ファミリーのやつらだろ? なんでお前を殺しに来たんだ?」

「また僕が怒らせちゃったのかな」

「そんなはずねえ。最近のお前はうまくやってた」

 海賊の都(ネオポセイディア)に来てからというもの、今ではカミットはあっという間に二桁の人数をその手にかけ、これからもその数字を増やし続ける予感の中にいた。

 この一ヶ月ほどの間でカミットはリノロ家の戦闘員として、四回の戦闘に参加し、いずれも重要な役割を果たしてきた。敵対一家(ファミリー)から恨まれるならともかく、リノロ家から狙われる理由に彼は心当たりがなかった。

「セスウに話してみようか」

「襲撃が旦那の指示だったら?」

「無理かァ」

「くそっ。モノの野郎がいれば……」

 こうして話し合っている間にも、また家の近くが騒がしくなってきた。カミットとハルベニィは裏口から逃げ出した。二人は海賊の都(ネオポセイディア)の夜の街を走った。どこへ行こうとも安心できるような場所は無かった。

 海賊の都(ネオポセイディア)は一つの島を海賊五家族が縄張りで分けて支配しており、人口は一万人近い。都市としては大いに栄えている。

 しかしそれでも、この島はあまりにも小さかった。

 今やカミットとハルベニィはその小さな島で行き場を失った身であり、逃げ出すとしても船を盗み、指針も無いままに巨大で混沌とした中ツ海(オケアノス)へ漕ぎ出していくしかない。

 逃げた先の高台からは暗い夜の海を臨んだ。真っ黒で何もない闇の果ては、それがどこからどこまでを区切っているのか判別がつかず、ただ闇であるように思われた。

 カミットはふと悟った。

 ここにネビウスはいないのだ。どこへ旅するとも、ネビウス家の歩みに不安や怖れはなかった。一家は道に迷うことがなかった。それはネビウスという知者が常に道を知っており、どこに何があるかを分かっていたからであった。訪れた街には誰かしらがネビウスのことを知っており、その功績に敬意を示し、ネビウス家に対して特別な計らいを提供してきた。

 ところが今は状況が違ってしまっていた。

 中ツ海(オケアノス)でカミットがしてきたことと言えば、粗暴な敵対者たちを打ちのめし、その勝利がまた新たな敵を招き寄せ、また戦い……、居場所を失えば逃げる……、その繰り返しである。倒しそこねた敵は徐々に積み上がって、彼らはカミットを包囲しつつあり、逃げる場所も少なくなっていく。

 今、カミットの隣でハルベニィは疲れ切った顔でいた。カミットはハルベニィに安心できる生活を提供できていなかった。その結果が今夜の寝床の襲撃であった。

 また一つ、急に思い出す。

「そういえば、ヤージェは大丈夫かな」

 ヤージェは太陽の都(ソルガウディウム)に居た頃にカミットが勝手に拾ってきた火の猪の子供だった。当初はカミットが自分で世話をするという約束だったが、結局世話の大半はネビウスがやっており、カミットは自分の生活で手一杯だった。休日や遊びに出かけるときにはヤージェを連れ歩いたものだが、普段の生活ではむしろヤージェはそばにいないことが当たり前だった。

 終わりの島(エンドランド)からはカミットとハルベニィ、そしてヤージェという二人と一匹でやってきたのだ。むしろその三者しかいなかったというのに、ヤージェの安否は分からなくなっていた。今後再開できるという見込みもない。

 夜の海を眺めながら、月を見上げた。

 涙があふれた。

「ネビウス……」

 カミットがぐすぐす泣き始めると、ハルベニィがカミットをぼかんと殴った。

「痛いよ!」

「阿呆か! てめえ、こんな状況になってようやくか!」

「だってさァ、ネビウスが居ないんだよ。どうしたら良いんだろう。僕、わからないよ!」

「とにかく泣くんじゃねえ。気色悪いんだよ!」

「だって、だって……」

「うるせえ! 泣くな!」

 こんなに辛くて悲しいというのに、ハルベニィがまったく共感してくれず、ネビウスだったらきっと抱きしめて慰めてくれると思うと、カミットはさらに悲しくなってダバダバと涙を流した。

「なんでこんなことになったんだろう……。僕、終わりの島(エンドランド)に帰りたいよ……」

 カミットがこれを言うと、ハルベニィは押し黙った。

 沈黙の後、ハルベニィが話し出した。

「こうなったのは俺のせいだ。それは分かっているんだ。すまねえとも思ってる」

「そんなつもりで言ったんじゃない」

「だから俺は絶対に終わりの島(エンドランド)に帰る。お前も、ヤージェも、三人で一緒にな。クソムカつくこともあるが、それでも俺たちは故郷に帰るまでは運命をともにする共同体ファミリーだ。俺は絶対に諦めないぜ、お前もそうだろ?」

「……うん」

「大きな陸地はそう遠くないらしい。どうにかして船を盗んでそこを目指すぞ」

「うん」

 カミットが小さな声で頷いていると、ハルベニィが「しゃっきりしろ! 阿呆!」と言って、カミットの肩を叩いた。



 港は封鎖されており、船を奪って逃げるどころではなかった。カミットとハルベニィは夜中ずっと逃げ回っていた。ときどきは隠れてみても、海賊たちの執拗な追跡によって何度も場所を変えなくてはならなかった。

 ときには追手を振り切ることができず、撃退する必要があった。海賊たちは街のどこからでも湧いて出てきて、カミットたちを追い立てた。多勢に無勢であり、槍や弓で倒すことは到底できなかった。そうなるとカミットの頼りは森の呪いしかなかった。

 ところが夜明けが近くなってくると、カミットの森の呪いが反応しなくなってきた。これまで森の呪いはカミットの万能の安全装置として活躍してきたので、それが窮地において使えなくなったことはあまりにも致命的な結末を示唆していた。

 カミットはいよいよ狂乱したが、ハルベニィの方はすっかり冷静になっていた。 

「落ち着け。お前は呪いを使い過ぎなんだよ」

「次に海賊に囲まれたらもうおしまいだよ」

「こんなことは今までいくらでもあった。俺がどれだけ親父バルチッタと逃げまくってきたと思ってんだ」

「どうするの?」

「やるしかねえんだ。行くぞ!」

 ハルベニィは港へ駆け出した。カミットも隣を走った。二人の後を海賊たちが大挙して追ってきた。

 二人の行く手にも海賊たちが現れた。

 カミットはもう本当にだめかも知れないと覚悟した。

 そのときハルベニィが手を伸ばした。

 その手に妖しい光がちらちらと舞った。

 ハルベニィの体を粘々とした液体が覆い、それがドッと溢れ返った。ハルベニィは牢獄の都(ラクリメンシス)で水の呪いをかけられており、その力を使ったのだ。終わりの島(エンドランド)育ちならば、呪いを使うことの意味は誰でも分かっている。ハルベニィがそれを使ってこなかったのは、呪いの返りを嫌ったからである。

 彼の放った呪いの水は海賊たちを怖れさせた。

 ハルベニィとカミットが突進していくと、海賊たちは二人に道を開けるようにして逃げた。

 そうして二人は港へ辿り着き、小舟を奪って逃げようとする。

 ところが海賊たちはえらを失おうともヨーグ人であり、泳ぎならば他人種よりもよっぽど上手い。

 海へ漕ぎ出そうとする逃亡者たちの船に寄ってたかって、小舟をひっくり返そうとする。

 ハルベニィは彼らを追い払おうとして水の呪いをどんどん使った。

 ところがいざ海で水の呪いを使おうとすると、呪いの粘々とした水は海の水と混じり合って、その粘り気を打ち消されてしまった。

 ついには小舟をひっくり返され、カミットとハルベニィは海へと投げ出されてしまった。そしてヨーグ人海賊たちの無数の手が伸びてきて、二人を捕らえた。

 浅瀬へ引っ張り出され、剣や槍を突きつけられ、もはやカミットたちに対抗すべき手段はなかった。

 カミットはすっかり絶望していたが、ハルベニィは言った。

「まだだ。諦めんな。交渉するぞ」

 ハルベニィは海賊に向かって、「俺たちは古来人のモノの仲間だぞ。手出してみろ! あいつが黙っちゃいねえ」と言った。

 これに対し、海賊たちはいやらしく笑って言った。

「全ての海賊一家の頭領たちがお前たちを殺すと決めたのさ。古来人だかなんだか知らねえよ」

 海賊たちはこれ以上は話をせず、カミットたちを殺そうとした。

 そのときであった。

 ブヒブヒ言いながら、それは泳いでやってきたのであった。

 潮風の中に舞う花びらに主の匂いを見出し、島から島へ海を泳いで。

 火の呪い子、子猪の名はヤージェ。

 体から炎を起こし、その筋骨がたちまち膨れ上がる。

 覚醒せしその姿は業炎をまとう凶獣。

 主の危機を瞬時に察し、ヤージェは海賊たちが群がっているところへ突進した。

 その衝撃は爆発をもたらし、百人もの海賊を蹴散らした。

 ヤージェは勇ましく立ち、カミットとハルベニィを鼓舞するようにぶひんといなないた。

 カミットはハルベニィの手を引き、一緒にヤージェの背に飛び乗った。

 するとヤージェはどどっと走り出した。

 ヤージェの勢いはとどまることなく、無限の体力で炎の疾走を続けた。何者もその猛進の前に立ちはだかることは敵わず、どこまでも走った。

 絶体絶命の状況を脱したことは良かったが、ハルベニィがカミットに聞く。

「俺達は船で島の外に出なきゃいけないんだぜ」

「どうしよう。でもヤージェが止まらないよ」

 カミットが手綱を引いたとて、ヤージェの暴走は止まらなかった。こうなってしまったヤージェを大人しくさせられるのはネビウスであり、その彼女はここに居なかった。



 朝靄の中、海賊の都(ネオポセイディア)の最も大きな港に翼蛇の王国旗を掲げる戦艦が現れた。

 海賊たちはカミットのことを忘れて大騒ぎである。海賊五家族の名だたる者たちが大慌てでやってきて、港に続く大通りには数百人もの海賊たちとその他の市民がさらに千人以上も詰めかけ、彼らは道の左右にずらりと並んだ。中央の道はそこを通る者のために開けておかねばならなかった。

 五家族の一つ、ウグスプ家の長子であるドランは不快のため息をついた。

「到着は三日後のはずだった。モノのやつめ、約束が違う!」

 ドランは父である頭領に「俺が先に行って、説明してくる」と言った。

 ところがドランが行くのを待たず、船の主が姿を見せてしまった。

 人々はその姿を仰ぎ見る前に一斉に平伏した。

 その者こそはファラオ

 下々の民を見下ろす瞳はあまりにも冷厳。

 壮年の終わりに差し掛かろうかという歳であるが、今なお美しい顔貌は若き日と変わらぬまま。その美しさは死を連想させると多くの詩人が語るようになった。

 青い肌はヨーグ人に違いなかったが、金刺繍をあしらった豪華な長衣トーガによって手足のひれは覆い隠されていた。

 銀糸の髪が潮風になびいて揺れた。

 ファラオの名はディナミス。

 その背後に付き従うのは古来人のモノである。モノは慇懃に述べる。

ファラオよ、海賊たちはご覧の通りの忠誠を示しております」

 これにファラオは振り返ることなく言う。

「落し子はどれか?」

「それは……、あれにございます」

 モノは通りの先を指さした。

 何やら騒ぎが起こっていた。

 炎の爆発と海賊たちの悲鳴。

 ファラオの来訪には相応しくない喧騒である。

「騒がしい小僧でして……以前申し上げた通り」

 人々が大通りに集まり、その中央の道を開けているのはファラオのために他ならない。その道を通ることは、少なくともこのときだけは、決して誰にも許されることではなかった。

 その道をヤージェに乗ったカミットとハルベニィが暴走してやってきていた。彼らは海賊たちが集まっている様子にただごとではないと気づいた。

「カミット! ヤージェを止めろ!」

「無理だよ! 止まらない!」

 ヤージェはぶひいぶひい言いながら、走り続ける。

 猪突猛進の先にはファラオの船、それどころかファラオ本人が立っている。

 カミットはヤージェの手綱を引っ張ってどうにか方向を変えたかったが、人々が左右に分かれて道を作っているせいで、ヤージェはその空いた空間に突っ込んでいってしまう。

 ヤージェの突進を迎え撃つべく、王の近衛兵たちが王の前に出てこようとしていた。いずれの戦士も一人ひとりが継承一門(カイラ)の戦士に匹敵するか、あるいはそれ以上の武人であった。

 その彼らに対し、守られるべき対象であるファラオが落ち着き払って告げる。

「下がれ。お前たちでは無理だ」

 近衛たちが握っていた剣がふわりと浮いて、ファラオの両手に一本ずつ、引き寄せられるようにして収まった。

 さらに近衛兵たちの足元から、呪いのような、妖しげな水がどっと湧き上がり、彼らを打ち払った。

 こうしてヤージェの突進に立ち向かうのはファラオただ一人となった。

退いて! 逃げて!」

 カミットはファラオに向かって叫んだ。

 一方のファラオは火の魔獣であるヤージェを冷静に観察していた。

 火を吹き上げているのは二本の牙と四つのひづめである。

 ファラオは静かに呟く。

きばか」

 炎の突進に対し、

 受け止めるのは流水のような剣技。

 両者が交差し、

 火を吹き上げる牙が二本、宙に舞った。

 剣士は獣の突進を受け流しながら、それと同時に獣の牙を断ち切っていた。

 火の呪いの力は根源を断たれたことでたちまち消えた。

 ヤージェと彼の背に乗っていた二人は吹き飛んでごろごろと転がった。

 ハルベニィが呆然として呟く。

「止まった?」

 このときカミットは衝撃を受けていた。

 見たものに間違いはなかった。

 まるでネビウスがするような美しい剣技を見たのだ。

 カミットは地面に打ち付けられた痛みを堪えて立ち上がった。

 そしてすぐに大慌てになった。

 ファラオが倒れているヤージェの首元に手を伸ばし、トドメを刺そうとしているように思われたのだ。カミットは走っていって、その間に割って入った。

「わざとじゃないんだよ!」

 ファラオは冷酷な眼差しでカミットを睨んだ。ファラオはたしかにカミットを見ていたが、彼が言葉をかけたのはその背後にやってきていたモノに対してであった。

「魔獣の手綱たづなは誰の作か」

「そのししの事は存じておりませんでした」

「調べよ。落し子は捕らえろ」

「御意」

 カミットはモノの豹変した様子に戸惑った。元々嫌いであったこともあり、何やら悪い雰囲気を感じ取った。

「モノ! 僕たちすごく大変だったんだよ!」

 詰め寄って文句を言ったそのとき、カミットは視界が回転した。

 モノがカミットの手を取り、奇妙な柔術でカミットを転倒させたのである。それどころか手足の関節を締め上げられ、動きを封じられてしまった。

「痛いよ! やめて!」

 カミットはわあわあ騒いだが、モノが手を緩めることはなかった。そこへ近衛兵たちがやってきて、カミットを縄で縛り上げてしまった。

 さらにハルベニィもやってきて、彼もモノに文句を言おうとして捕まってしまった。

 二人はまとめて牢に放り込まれたのであった。

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