第229話 人々の海(3)
結婚してからというもの、カミットはハルベニィと距離を取るようにした。お互いに新しい環境に適応するために必死だったし、とりわけハルベニィは海賊の都に来てからずっと気持ちが不安定であった。カミットはハルベニィが急に怒り出したり泣き出したりすると、その場をそっと立ち去るようにしていた。二人が話し合う機会はさらに少なくなり、お互いに何をしているのかも把握していなかった。
この時期にカミットが取り組んでいたのはウグスプ家長男のドランに同行しての海賊業現地視察であった。ドランは二十五歳の若者であり、やがては一家の家督を継ぐ男である。カミットにとっては、しばしば仲良くなりやすい年上の男でもある。
海賊の都を牛耳る海賊五家族は他者から海賊と呼ばれるのはもちろんのこと、自らそのように名乗る人々であった。普通の豪族や地主のように政をし、村々から税を徴収してもいる。しかし最も大きな収入源は何と言っても、商船拿捕である。また海底に沈む古代文明の遺産を発掘するのも海賊の巨大利権である。さらに言えば、どこぞの商人の調査部隊が掘り出した物を横取りすることも海賊稼業の重要な収入に違いなかった。
カミットはこういった海賊業に関わることに難色を示したが、ドランはこの反応を見越したのか次のように説明した。
「ヨーグ人は厳しい立場にある。俺達は海に逃れることもできず、大きな海に点在する離島に押し込められ、貧しい土地で暮らさざるを得ない。一族同胞が再起するためには、敵勢力の物資を奪う大義名分は大いにある」
ドランの話しぶりはいかにも正義感に満ちており、その点では彼は賊っぽくなく、カミットはそれが気になった。
「奪った物はどうするの?」
「ラケメト王国が買い取る。ラケメトはヨーグ人の血を引く王が治めている土地でな。だから俺達に良くしてくれるのさ」
このような話を聞いたとて、カミットは完全に納得したわけではなかった。そうではあるが先立つ物が無くては生活していけないので、文句ばかりを言うよりも現場を見に行こうと考えた。
海賊が狙うのは小型か中型の商船であり、これに対して二十人弱のヨーグ人が小型船で襲撃をしかける。商船には護衛の傭兵が十人弱はおり、これらの戦士はよく鍛えられたコーネ人であるか、あるいは奴隷のヨーグ人である。
いざ襲撃となり、カミットもその戦いに参加したのだが、やはり一般市民と思われる商人相手に乱暴をするのは気が引けて、とてもではないがやる気が起きなかった。
それで海賊船から商船に乗り込んだは良いものの、大騒ぎの状況をよそに甲板の隅でサボっていた。カミットが何をするでもなく、襲撃はスムーズに完了した。
そのとき海賊の一人が甲板の先端で大声で叫んだ。
「三段櫂船!」
離島の影に隠れて見えていなかった巨大な艦船が現れたのである。無数の櫂による圧倒的推進力によって波を掻き分けて進んできて、その速さと勢いは凄まじい。
容易に制圧できた商船は実は囮だったのだ。海賊はまんまと誘き出されてしまった。
その巨大な艦船は海賊船の方にそのまま突撃し、小型の海賊船は真っ二つに破壊された。次には商船の方に取り付いてきて、縄で互いの船を結びつけ、そこからジュカ人の戦士たちが続々と乗り込んだ。
カミットはジュカ人であるため、海賊の一員とはみなされなかった。一方では海賊二十人に対して、乗り込んでくるジュカ人は百人近くもおり、海賊たちが制圧されるのは時間の問題だった。カミットは海賊の都にハルベニィを残してきており、ここで帰れなくなるのはまずかった。
森の呪いに念じてみても反応はなかった。
かと言って、一人で突っ込んでも勝機は薄い。
どうしようと思って困っていたときである。
人と人が争い、戦う熱気がその場に満ち始めていた。
カミットはその空気と匂いを懐かしいと思った。
そのとき海の向こうから、どす黒い雷雲が近づいてきていた。
辺りの海は晴天から嵐へと一変した。
カミットは三段櫂船へと渡った。期待した通り、嵐の主はそちらの船へと、雷を伴って槍の如く降り立った。
その衝撃により三百人をも収容する巨大な三段櫂船に亀裂が入った。今にも船は割れて沈んでいきそうであり、船内の漕ぎ手たちがパニックになって出てこようとしていたが、彼らは現れた異形の存在を恐れ動けなかった。
修羅の鬼貌をした漆黒の巨馬。
その額には霊力に満ちた一本角。
彼こそは終わりの島に度々襲来しては、大混乱を引き起こした仙馬に違いなかった。
今、カミットとその仙馬が一対一で向かい合っていた。
カミットは彼に親しげに呼びかけた。
「やぁ! 久しぶり!」
さらに続けて相談する。
「あのさ! 僕、終わりの島に帰りたくて!」
これに対して、怪馬は辺りに響き渡る重々しい声で、
「それは希望か」とだけ問いかけた。
仙馬はすぐに空へと飛び上がってしまい、そのときの踏みつけで、三段櫂船がついにばきばきと壊れ始めた。
ヨーグ人海賊は海に飛び込んで逃れていた。カミットも船で帰るのは諦め、海に飛び込んだ。ウグスプ家長男のドランがカミットを探しに来て、彼がカミットが泳ぐのを支え、どうにか海賊の都まで辿り着いた。
九死に一生を得た海賊たちはカミットを褒めそやした。仙馬は明らかにカミットに会いに来ていたし、そのおかげで海賊たちは助かったのである。
ドランはカミットに教えた。
「あの霊獣はサンアンシヤに違いない」
「へえ! 仙馬に名前があったんだ!」
「それも知らないか。やはりお前はずっと遠くの地から来たようだな」
「有名なの?」
ここへ騒ぎを聞きつけたモノがやってきて語った。
「伝説の大王の愛馬であった魔獣サンアンシヤは主とともに数多の戦場を駆け、無限蛇や礼賛象にも打ち勝った。肉体が滅びようとも、その霊魂は確固たる形を帯びて、ただの仙馬であるところから雷雲を従える幻獣へと昇華された。今では人前にはめったに現れない、文字通りの幻の存在だ」
「そっか! なんか凄そう!」
カミットが呑気な言い方をすると、モノは呆れた風を装う作り笑いをした。声や口は笑ってはいたが、目は笑っていなかった。彼は思わせぶりに語った。
「サンアンシヤが目をかけるのは戦場の狂気に取り憑かれた戦士だけだ。彼らは戦いに生き、戦いが無ければ生きられず、やがてその身を滅ぼす。君もそうなのだろうか?」
モノは霊獣の伝説を恐ろしげに語ったが、この逸話はそもそも海賊のような人々には受けが良かった。カミットは縁起の良い男として評判になった。
※
サンアンシヤの一件はカミットにとっては期せずして彼の待遇を良くする結果になった。ウグスプ家の一家構成員として海賊行為を手伝うのはやはり気乗りせず、そうではなくて都市での仕事を要望したところ、それが認められたのである。
ドランによれば「親父はお前を簡単に死なせるのが惜しくなった」とのことだった。
カミットはドランに付いて、街の見回りに加わることになった。最初に流れ着いた漁村に一家の若衆がやってきたときのように、今度はそれをドランとその子分たちがやるのである。
つまりカミットはドランの子分の一人というような扱いになったのである。
このことはほかの子分衆から全く歓迎されなかったどころか、カミットは露骨に嫌がられ、会話から締め出され、カミットだけ連絡もされないというような状況になった。現場の下っ端衆からはそこそこの人気を得たが、上を目指せる立場の者たちからは異質な競争相手として敵視されたというわけである。
カミットはドランの行く先々についていかねばならなかったが、連絡の不備やら伝達の嘘やらで、まともに仕事を学べる状況ではなかった。ドランはそのことに気づいていなかったし、カミットも相談はしなかった。
そのうちカミットが無能で協調性のない男であるというような印象が徐々に作られつつ合った。他の子分衆があちこちでカミットの悪口を言いふらすので、ついにはその噂がハルベニィの耳にまで入った。
しばらく会話のなかった二人だが、ある夕方にハルベニィの方から話しかけた。
「お前、大丈夫か?」
「んん? 何が?」
カミットは普段通りに応じた。
「化け物馬の件は良かったけど、この一ヶ月くらいで面倒なことになってきてねえか。俺はお前が職人組合職員やってたことを知っているし、そこまで仕事ができねえ愚図だとは思っちゃいねえ」
何と言っても、終わりの島ではその職種は最高の知的エリートたちの集まりなのである。
「僕は何もしてないんだけどねェ」
「槍でぶっ殺して終わりってことにはできねえぞ」
「分かっているよ」
「ドランに相談したか?」
「まだだよ。強い人に告げ口なんて男らしくないからね」
ハルベニィは呆れて笑った。
「お前もそういうところあるのか」
「リーダーになる男は正々堂々が基本だよ」
カミットは当然と思って言ったことであったが、これがハルベニィを大笑いさせた。
「お前がリーダーになんのかよ! そんな器かよ!」
「僕は終わりの島の英雄だよ?」
「そういやそうだったな」
「ハルベニィはモノに色々教わってるんだよね? 調子はどう?」
「それが何にもなってねえんだ。あいつは堅物神官みたいな感じでな。色々教えてくれて助かっちゃいるが、あいつからは儲かる匂いがしねえ」
「うーん。僕らで勝手に商売しちゃだめなのかな?」
「駄目だろうな。この街の縄張りはかなり厳密だ。掟を破ったら、私刑される」
「そっかあ」
この話し合いをしてからすぐのことである。ドランが以前よりも直接カミットを気に掛けるようになった。というのは、ハルベニィがモノに相談し、モノからドランに問題が報告されたのである。
カミットはこれ幸いという風にしか思っていなかったのだが、また新たな嫌がらせが発生した。
陰口でカミットを「女頼り」と呼ぶ者があちこちに現れたのである。その不名誉なあだ名の意図は、カミットが自分の出世のために周囲を悪者にし、それを自分の妻を通して権力者に訴えかけたというのである。海賊の男たちはこのことに対しては、上から下まで一貫して、カミットのことを情けない男であると見なすようになった。
カミット自身はさして気にしていなかったが、ハルベニィは困り果てていた。
「悪い。余計なことしちまった」
「そんなことないよ。仕事では助かっているし」
「でもよ……。もっと面倒なことになっちまった」
「良いんだよ。僕のためにしてくれたことならすごく嬉しいよ」
そんな二人がほとんど初めて、二人で街に出かけたときのことである。
街角でドランの子分衆の男の一人が仲間を引き連れていた。その彼がカミットとハルベニィを見つけて、ハルベニィに対して次のように言い放った。
「細目! そばかす! ブサイクな嫁だな! そんなブスによく盛れるもんだ!」
取り巻きの男たちはこれに合わせてぎゃははと笑っていた。
後半の悪口はともかく、ハルベニィには子供の頃から言われ慣れたものであり、受け流すのは容易だった。
一方でカミットはハルベニィから離れ、男の方へすうっと歩いていった。
男はさらに挑発して、何やら喋っていたが、カミットはそれを遮って男の顔面を殴りつけた。男は殴られた勢いで倒れ込んだ。
場が一気に騒然とし、取り巻きの男たちがカミットに向かってきたが、そのとき終わりの島を出て以来初めて森の呪いが発動した。呪いの巨樹がカミットの周囲にたちまち現れ、それがカミットに近づく他の男たちを丁寧に取り除いた。
カミットはというと、彼はハルベニィに悪口を言った男に馬乗りになって、男の顔面をぼっかんぼっかんと殴り続けていた。
一分にも満たない間の出来事で、ハルベニィが慌ててカミットを止めに入らねば、カミットはその男を殺していたかも知れなかった。実際、男は半殺しの状況で、顔は腫れ上がって青あざだらけの血だらけで、歯も折れてしまって、今は呻くばかりであった。
それを見て、カミットはすっきりした笑顔で「良い顔になったね」と言った。




