第227話 人々の海(1)
中ツ海の部「海賊の都編」はじまり
あるヨーグ人漁師が沖合で漁をし、いつものように夜明け前に帰ろうとしていたときのことである。そこへ巨大な蕾が流れてきた。漁師はそれを神代の森から落ちた果実と勘違いして、大喜びで船に結びつけて帰った。
漁村の村人が総出で見に来ると、物知りな老人がそれが人食い花の蕾であると気づき、すぐにその蕾を燃やすように命じた。村人たちは大騒ぎしながら火起こしの準備をした。
その最中に蕾がめきめきと開きだして、毒々しい花が咲き、そしてすぐに枯れてしまった。
蕾の中で眠っていたのはカミットとハルベニィ、そして火の子猪であるヤージェであった。彼らは蕾に包まれたまま海を流れ、離島にあるヨーグの漁村に至ったのである。
カミットはすぐに目を覚まし、周囲のヨーグ人たちに言った。
「僕はネビウス・カミット。よろしくね!」
ヨーグ人たちはカミットの挨拶に戸惑った。彼らは気まずそうにしていて、カミットたちを取り囲みながら、それでいて何もせずにいた。
このあとすぐにハルベニィも眠りから覚めた。
「なんだァ!? ヨーグの村かよ! こりゃあ運が良いぜ! なぁ、アンタたち、船を出してくれないか? 牢獄の都か、東の港町でもいい、どっかの港まで連れて行ってくれれば、現地で銀を相場の倍は払うからよ」
ヨーグ人たちはもたもた、おろおろするばかりだった。
彼らの中の物知りな老人がカミットたちに聞いた。
「牢獄の都? 終わりの島?
知らぬな。聞いたこともない土地だ。お前たちはどこから来たのだ?」
※
カミットは村の漁師の手伝いを申し出た。見知らぬ土地であっても、生きていくために稼がねばならないことには変わりなかった。
この島の漁師たちは終わりの島のヨーグ人とは違うやり方で漁をしていた。彼らの漁は非ヨーグ的であり、そのやり方は釣り竿や網を使うという、いかにも普通の漁であった。終わりの島のヨーグ人ならばその優れた水泳能力により、大物を槍で直接仕留めにいくのが普通であり、むしろ小さな獲物にはあまり関心を示さない。
それでカミットは漁師たちに質問した。
「なんでおじさんたちは泳いで漁をしないの?」
漁師たちは困った様子で顔を見合わせた。彼らはカミットが異邦の民であると聞かされており、常識を教えねばならなかった。
「ほれ、これだ」
漁師の一人がヨーグの象徴とも言うべき、胸部の鰓を示した。ぴらりとめくって中を見せると、そこには奇妙な空間があり、すなわち何もなかった。カミットは鰓の中を見たことがなかったので、そういうものかと納得しそうになった。そこで漁師の男がさらに説明した。
「中ツ海のヨーグは鰓を切り落とす。陸地の民はだいたい戦争し合って仲が悪いが、ヨーグをいじめるときには仲が良い。俺達は海に逃げられないように縛り付けられているのだ」
「ええ!? 酷い!」
カミットは島のヨーグ人たちが受けている仕打ちに憤慨した。
「そんな掟はやめた方が良いよ!」
こういうことを言うジュカ人は大変に珍しく、ヨーグ人漁師たちを笑わせた。
漁を終えて島に戻ると、カミットはハルベニィにヨーグ人たちの窮状を教えた。ハルベニィもこの数日で色々と情報を得ていた。二人は毎夜、納屋の隅っこで話し合った。
カミットが漁に出かけている間に、ハルベニィが今後の方針を考えていた。
「どうやらこの島、この海は終わりの島から遠く離れた場所らしい」
「これからどうしよう」
「この島で漁師をやっていたんじゃ、いつまで経っても終わりの島に帰れやしねえ。俺達にはでかくて強い船と遠方の航海知識が必要だ。そのためにどかんと儲かる商売をやりてえがな」
「いいね! やろうよ、商売!」
「牢獄の都の地下街と一緒でな。この辺りを取り仕切っているヨーグの一族がいるらしい。そいつらに打診しよう」
「うん」
「しかもな。聞いた感じだと、この辺りのヨーグは終わりの島でいうところのジュカ人の立場だ。逆に言うと、ここらのジュカ人はかなり強いらしい。んで、ナタブはここら辺には居ねえらしい」
「へえ」
「つまりな、お前の見てくれはかなり役に立つし、俺はどこに行っても異国人扱いされる。ヨーグの連中にしてみりゃ、俺達は金儲けに使えるはずだ」
「そっか!」
ハルベニィは目を細めてカミットを睨んだ。彼は膝の上で子猪のヤージェを転がし、ヤージェを撫でながら言った。
「お前も何かねえのか。良い考えがあるなら言ってみろ」
「んん? ないよ」
「何か言えよ」
「あのさ、中ツ海のヨーグはずっといじめられているんだって!」
「それがどうした」
「かわいそうだから止めさせよう!」
「却下だ。俺達には関係ねえ」
「なんで!」
カミットの提案については、ハルベニィはけっして賛同しなかった。ところがカミットがこの数日で考えていたことと言えば、それ以外にはほとんどなかった。機会さえあれば彼はその問題のある掟を撤廃するべく動くつもりでいたのだ。
※
ある日のこと、いかにも悪そうな男たちが船でやってきて、島民の住居を乱暴に調べ始めた。その目的は島民が私財を溜め込んでいないかを検査することであった。そのやり方はあまりに乱暴であり、偉そうであった。
その様子を見ていたカミットは我慢がならなくなり、世話になっている家の者たちを守らねばと思って、隠れていろと言われた納屋を飛び出て、ずんずんと出ていった。取り調べと称して、家財を壊されたり、散らかされたりしていたところであり、カミットはそれを見るなり瞬間的に激怒した。
家を荒らして偉そうにしていた男がカミットの登場に困惑して固まった。
「なんだお前は? ジュカ人だと?」
なんだと聞かれ、その返答代わりにカミットは手近な棒で相手をぶん殴った。それから言った。
「ここから出てけ!」
そこからはすぐに乱闘である。
カミットは雷の短槍で相手を突いて痺れさせた。カミットの森の呪いは反応がなかったが、いつもの相棒はぶひぶひ言いながら馳せ参じた。火の猪であるヤージェは相手を脅かすのに十分な威力があって、相手を撹乱した。
この戦いではカミットは優位であったが。
「もう一人隠れていたぞ!」
相手の男が喜々として連れてきたのはハルベニィであった。ハルベニィは首に刃を突きつけられ、人質にされてしまったのだ。
ハルベニィはカミットに向かってわあわあ言った。
「阿呆! 今すぐ止まれ。俺が殺されるだろが!」
このように言われても、カミットはしばらく止まらなかった。しかしハルベニィが本当に殺されそうになると、カミットは我に返った。その少しの隙で、カミットは相手の男たちにわっと襲われ、ぼこぼこに殴られて捕まってしまった。ヤージェも捕まりそうになったが、彼は自力で走って逃げた。
カミットとハルベニィは縄で縛られ、船に積み込まれた。柄の悪い男たちではあるが、ヨーグ人がジュカ人を殺すのは相当に覚悟がいることであった。彼らは自分で判断するわけにいかず、本拠地に戻って判断を仰ぐことにしたのである。
そうしてカミットたちが連れて行かれたのは大きな港を有する島であった。大型船舶が多数停留しており、交易品の積荷が忙しなく運ばれていた。
この港町には何人かの有力なヨーグ人の一族がおり、カミットたちが連行されたのはその内のある一族の屋敷だった。
カミットは手足を縛られたままで庭先に投げ出された。
そこへ一族の当主が出てきた。肥え太ったヨーグの中年男である。彼はカミットを見下ろした。
「家の若い連中に手ぇ出したみたいだな」
このように言われ、カミットはすぐに言い返した。
「そっちが先に島の人たちに乱暴した!」
「ジュカ人てのは高慢でいけねえ。お前、生まれは?」
「終わりの島の秘境の里!」
「知らねえ土地だな」
このときカミットの隣にはハルベニィも転がっており、彼は交渉を試みた。
「旦那さんよ。俺達はこの土地に疎い。そこのカミットは阿呆でな。弱くて貧乏な連中をみて、かわいそうだと思っちまった。それだけなのさ」
「まあな。ガキだし、目ん玉一個と小指一本で勘弁してやるか」
「止せってば!」
男は包丁を持ってこさせて、カミットに突きつけた。
このときカミットはなおも男を睨みつけ、少しも怯える気配を見せなかった。
するとここで別の若いヨーグ男が出てきて、彼が当主に言った。
「親父。本当に花髪のジュカ人に手を出すのか?」
「当たり前だろ。俺達には面子がある」
「どこの家の者か、きちんと調べた方が良い。上手くやれば、良い額が稼げる」
この会話を聞いていて、ハルベニィはすぐに察した。
「カミットは古の民のネビウスの子息だ。ネビウスは金払いが良い。いくらでも出すに決まってる!」
これを聞いて、若いヨーグ男が興味を示した。
「古来人の一派か。親父!」
「ややこしくなってきたぞ。あちらを立てれば、こちらが立たずか」
当主の男は舌打ちして、包丁を下げさせた。




