第226話 最期の牢獄(12)
第二剣師シェラは長い眠りから覚めるなり、すぐに大天秤の修理に取り掛かった。終わりの島はあらゆる生命を繋ぐ呪いの循環を価値の天秤によって量り取り、それを指標として様々な施策を決めてきた。天秤が無くば、何事も始まらないのであり、シェラは自らの復活によって天秤を壊したにもかかわらず、その天秤をもう一度活用しようというのである。
シェラは働き者であったとよく言われた。彼女は守り子が機能していないと見るや、守り子を差し置いて月の神官たちを一瞬で掌握し、彼らに指示をして働かせた。大神官の円卓の座長席にはシェラが腰掛け、彼女は牢獄の都の様々な施策について細かな指示と修正を与えた。
ウサギの顔貌と青い花髪はあまりにも特別だった。終わりの島ばかりか、この世のどこを探してもシェラだけが持つ姿だった。埋葬のために着飾られたドレスはすぐに脱ぎ捨て、継承一門の戦士風の長衣に着替えた。ただし色は違った。継承一門のお決まりの灰色の外套ではなく、月追いのような漆黒の装衣であった。
目覚めて数時間働き詰めて、彼女は大神官の執務室を奪って占拠していた。そうして忙しくしていたところに訪問者があった。
レッサとイヴトーブに率いられた継承一門の戦士たちが全部で十人であった。彼らは神官の制止を強引に突破し、武装までして、大神殿の執務室までやってきた。
先ず口を開いたのは青い花髪のレッサであった。
「あなたの復活のために愚かにも価値の天秤が破壊された。許されざる掟破りよ。継承一門はあなたを逮捕し、裁判にかける」
シェラは執務机の椅子でゆったりと座り、レッサにほほえみかけた。
「掟を破ったのは無知なプロメティア。私ではない」
「全ての過程は意図的であり、明確な指示が与えられたと考えられる」
「中立な立会人が必要ね。ネビウスが来るのを待ちましょう」
「ネビウスは必要ない。あなたは私達と一緒に来てもらう」
レッサがこのように断言すると、シェラは暗い目つきでレッサや戦士たちを眺めた。
にわかに恐ろしい気配が漂った。
「継承一門は誰の指示でそんなことをするのかしら?」
「太陽の都の職人組合よ」
「職人は上手くやったようね。戦士はすっかり飼いならされてしまった……」
シェラは椅子からゆっくりと立ち上がり、机の前へと歩み出てきた。
剣が抜かれ、振り抜かれた。
最初の刃はレッサのもの。
続いてイヴトーブ、さらに他の戦士たち。
彼らはシェラとの面会で交渉が失敗した場合には実力行使をすると決めていたのだ。
ところがシェラはこれに対抗しなかった。というのも、彼女は神殿で目覚めてからすぐに仕事に取り掛かっており、剣を持っていなかった。しかしながら第二剣師の常勝不敗の伝説は見かけだけではない。彼女はレッサたちのただならぬ気配を察しており、最初から逃げる準備はしていたのだ。
シェラは刃を躱し、背後の大窓から神殿の中庭へと飛び降りたのである。
戦士たちもすかさずこれを追った。
彼らが数秒の後に追いついたときには、シェラは衛兵の剣を奪い、両手に一本ずつの剣を握っていた。
※
海岸でネビウスは大きな海笛を一心不乱に吹いていた。彼女は東と北の海の境に潜む冥府の使いを呼び出し、カミットをどうにか守ろうとしていた。空の化身の到来により風が強くなり、海の化身の大暴れによって波の荒々しさもただ事ではなくなっていた。
そういう状況の中で、大神殿の方からすさまじい呪いの気配があった。
ネビウスの脳裏にはシェラとレッサの姿がよぎっていた。ともに青い花髪をしており、数奇な運命の中でネビウスと関与した女たちであった。
今、カミット一人に対しては森の呪いと冥府の使い、さらにネビウスまでもがつきっきりで助けようとしているが、レッサの方には何もなかった。
ネビウスはあと少しでカミットを回収できるところまで来ていたが、もう時間はなかった。彼女は海笛を放り捨て、また別の笛により夜の王を呼び出した。
夜の王は黒い梟の怪物である。彼は空の化身の嵐の中だろうが悠々と飛んでやってきた。
ネビウスは彼に言った。
「シェラが復活したかも!」
「今度こそ殺すのか?」
「そうじゃなくて、レッサを助けに行くわ」
「そうか。がんばれよ」
ネビウスは夜の王の足をむんずと掴んで言った。
「早く連れて行ってちょうだい!」
「やれやれ。私はあの女とは会いたくないからな。お前一人で行くのだぞ」
あれこれ小言を口にしながらも夜の王はネビウスを大神殿までひとっ飛びに運んだ。夜の王はその小さな姿に反して、人を軽々と運ぶのだ。
ネビウスが到着したときには、神殿の中庭は悲惨なことになっていた。継承一門の戦士たちは切り裂かれて事切れており、ネビウスはそれらの遺体の中にレッサの姿がないことを見て安堵した。
イヴトーブが片腕を切られて倒れていたが、彼は奇跡的にもまだ息があった。ネビウスは彼に聞いた。
「レッサは!?」
「分からぬ。レッサとジンはおそらく街に逃れた」
「牢獄の都にいる限り、月の化身の監視の目を逃れることはできないのよ」
「頼む。彼女を助けてくれ」
「できるだけやるわ」
※
レッサは無闇に逃げたわけではなく、彼女は継承一門の駐屯地まで行って、援軍を呼んだのだ。継承一門の戦士たちは三十人もの大戦力でもって、大いなる闇に対抗する気でいた。
そこへ迫るのはシェラとその背後にぞろぞろと着いていくプロメティアたちであった。
この恐ろしき者たちを迎え撃つにあたり、レッサは仲間たちに指示を出した。
「第二剣師は室内に逃げたときには無理に追わないのよ。彼女は閉所での戦闘があまりにも巧みだわ」
そうして彼らは岬の開けた土地でシェラを迎え撃ったのである。
プロメティアたちが月追いを呼び出すことは分かっていたが、森の魔人の特殊な例を除けば、月追いそのものは継承一門にとっては戦い慣れた相手だった。継承一門の戦士たちは十分に勝機を持っていた。
大神殿に引き続き、岬の戦場でもレッサとシェラが対峙した。
シェラはレッサに提案した。
「降伏するなら、命も地位も全て保証するわ。どうかしら?」
継承一門は呪いの言葉に耳を傾けない。
レッサは剣を抜き、シェラに斬り掛かった。継承一門の戦士たちもこれに続いた。
シェラはレッサの剣を簡単に捌き切り、くるりくるりと舞うように飛び退いた。
その背後には金色の髪をした美しい少女たち、プロメティア。この者たちが月追いを呼び出す前にと、継承一門の戦士たちは次々に斬り掛かった。
無抵抗な少女たちは次々倒れ、平原は血に染まった。
残るはシェラただ一人と思われた。
戦士たちがシェラを追いかけようとすると、不気味な気配が漂った。
そのとき黄金の光が空から降り注いだ。
すると死に絶えたプロメティアたちが宙に釣り上げられるようにして立ち上がり始め、彼女たちの前進が黄金に輝き、背丈が伸びて、さらにその両手には剣が現れた。美しい少女の顔は裂けた口だけを残して目鼻耳は溶けるようにして消えた。
シェラが高らかに告げた。
「我が塔を守れ! 終わりの島に平和と安定をもたらしなさい!」
黄金の姿をした戦士たちが並び立った。
プロメティアの亡骸を贄とし、十数体もの塔の魔人が生み出されたのであった。
塔の魔人は継承一門にて最強と称される戦士に匹敵する剣技を持つ。それが複数ともなればその戦力は絶大であった。
形勢は一瞬で継承一門に不利となった。
レッサは弟子のジンと共にシェラを倒しにかかった。これは彼らが状況を打ち破る唯一の可能性であった。
シェラは邪悪に笑った。
その両手には一本ずつ、赤く細い剣が現れていた。それを見せびらかせながら、彼女はレッサを嘲笑った。
「王家の血を引きながら、醜い剣を持って。かわいそうに」
シェラはその赤くて美しい剣をサッと振った。
レッサはそれを継承一門の鋼の剣で受け止めようとした。
赤い剣はレッサの剣の刀身にサクッと食い込み、レッサがどうにか堪らえようとすると、そのまま刀身を切り裂いてしまった。
レッサは赤い剣のあまりの切れ味に驚きと動揺を隠せず、体勢を崩した。
その一瞬で、シェラはレッサの胸部の鎧の表面を撫でるように、深くは刺さないくらいに、サッと斬った。
鎧はぱっくりと切れて、レッサは胸を斜めに裂かれた。致命傷とはならずとも、痛みにより彼女は倒れ込んだ。
弟子のジンがレッサを助けようとした。
シェラは倒れたレッサに剣を突きつけ、彼を制止させた。
「降伏しなさい。悪くはしないわ」
こうしている間にも塔の魔人たちによって、継承一門の戦士たちは次々倒されていった。
しかし降伏を宣言できるのはレッサだけであった。その彼女が絶対に降伏を認めなかった。
ジンが覚悟を決めて、シェラに立ち向かおうとしたときである。
ホホウ、ホホウ、と梟の鳴き声が響いた。
ネビウスが到着したのである。
空から飛び降りてきて、ネビウスは青い剣を振り抜き、シェラを牽制した。両者は似たような華麗で俊敏な剣技で打ち合い、互いに一歩も引かなかった。
ネビウスはシェラを抑え込みながら、ジンに向かって叫んだ。
「逃げなさい! どこか、遠く! レッサを守って!」
ジンはレッサを抱え、走って逃げた。
彼らを塔の魔人が追った。
岸壁の下は荒ぶる海であった。
追い詰められたジンはレッサと共に海へと飛び込んだ。
※
ネビウスの家では誕生日会のご馳走が食卓の上に並べられていた。
ミーナはソファにちょこんと座っていた。
彼女はネビウスとカミットの帰りを待ち続けた。
「最期の牢獄」(1)~(12) おわり
「牢獄の都編」 おわり
「終わりの島の部」(「秘境の里編」~「牢獄の都編」) おわり




