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ネビウスクロニクル  作者: 石井
牢獄の都編
224/259

第224話 最期の牢獄(10)

 海上に木々が道を作り、その上をカミットとヤージェが走った。木々の道はカミットを中心にある一定の範囲にしか保つことができず、内陸の方では道は崩壊した。カミットはひたすら前進した。彼が見ていたのは棺船ひつぎぶねだけだった。

 背後の道は失われ、陸地が遠く小さくなって、徐々に見えなくなったことにカミットは気づかなかった。友を助けなければならないという使命感はこれまでのどんな戦いよりも、切実であり、必要であり、あらゆる代償は勘定する以前に捨て去ったのであった。

 そうだというのに彼の走る木の道がぐらぐらと揺らぎ始めた。

 海面は白くぼんやりと輝いて、怪しげな蒸気が立っていた。その水が木々に触れて、みしみしと溶かし始めた。カミットはその水の正体を知っていた。

海の化身(ヴェイテ)粘々(ねばねば)の水!」

 月の海は海の化身(ヴェイテ)の縄張りではないはずだが、カミットには心当たりがあった。棺船ひつぎぶねには水の呪いに侵された罪人たちが乗せられており、それらを自然へと返すことができるのは他ならぬ海の化身(ヴェイテ)だったからだ。

 そうであれば、カミットはより急がねばならなかった。いよいよ海の化身(ヴェイテ)が現れたということは、その大きな口が棺船ひつぎぶねを丸呑みしさえすれば、それでもってハルベニィの命運が尽きてしまう。そうなる前にカミットは彼を助けなければならなかった。

 カミットは手綱たづなをがしがしと押し込んで叫んだ。

「ヤージェ、もっと早く走って、がんばってよ!」

 ヤージェは海の化身(ヴェイテ)の存在感に戸惑い恐れていたが、それでもカミットがけしかけることで走り続けた。

 木々の道は次々崩れ去り、カミットの先の道は徐々に細いものになっていった。

 それでも決死の走りは棺船ひつぎぶねまであと少しのところまで迫った。

 ヤージェは全力を絞り出した。ひづめから火を起こし、それが爆発し、最大の跳躍をやってのけた。カミットはその凄まじい加速と跳躍によって振り落とされそうになったが、森の呪いが蔓でがっちりと固定したおかげで落ちないで済んだ。

 そうして彼らは棺船ひつぎぶねの船上に降り立った。

 船の甲板かんぱんには水の呪いでどろどろに覆われた者たちが弱々しく這い回っていた。彼らは手足が溶けて失われ、呼吸は水のどろどろの中でしかできず、それでも息継ぎは苦しそうにして、常に口をぱくぱくとさせていた。

 カミットはハルベニィがこのような様子にされてしまっていてはたまらないと思い、早く助け、ネビウスに治療させねばならないと思った。

「ヤージェ! ハルベニィを探して!」

 こう言われるまでもなく、ヤージェは鼻をひくつかせて臭いを探し、てくてくと船内へと入っていった。カミットはこれに着いていった。

 船内では通路やあらゆる部屋に水の呪いで蝕まれた罪人たちが転がっていた。中にはまだ人の骨格を保っている者もいたが、そういう者はむしろ正気でいるせいで待ち受ける運命に絶望して活力を失っていた。

 完全に呪いの化身けしんとなった者だと、他の罪人に襲いかかって食らいついている者もいた。カミットは通路に化身けしんを見つけると、雷の槍で突き刺して排除した。

 水の呪いがもたらす惨状はカミットに太陽の神殿の戦いを思い出させた。種類は違えど、呪いがもたらす究極的な終末はその絶望的な状況において似通にかよっていた。

 こんな場所はまっとうな人間の居るべき場所ではないとカミットは思った。

 だからこそ彼は友を助けなければならなかったのだ。

「ハルベニィ! どこ!?」

 カミットはそこそこ鼻が効くし、耳も良い。だがどこもかしこも腐臭だらけの棺船の中ではただ一人の臭いを見つけ出すことはできなかった。

 だがヤージェは迷わなかった。彼の歩みは常に確信に満ちていた。

 そうしてたどり着いた部屋は施錠されていた。

 カミットはヤージェと一緒になって、蹴ったり体当たりしたりして、最終的にはヤージェが炎の突撃によって扉を破壊した。

 その瞬間、大きな部屋の中に満ちていたドロドロの水が解き放たれて、その勢いでカミットとヤージェは押し流された。部屋の中には罪人たちが満杯に押し込められていたのだ。

 カミットは呪いの液体で体中が汚れて、口や鼻、耳までそれが入って、げほげほとき込んだ。髪や顔中がどろどろになって、カミットはそれらを手で拭い去った。

 大変に不快な思いをしたが、それを気にしている余裕はなかった。カミットは部屋に入り、罪人たちを一人ひとり確認していったが、数十人もいてらちが明かなかった。

「ヤージェ! なにしているの! 手伝ってよ!」

 このように叫んだのだが、ヤージェの反応が無かった。「あれェ?」と叫び、カミットは入口の方へ戻った。ヤージェは部屋を開け放ったときの勢いで罪人たちに押しつぶされ、呪いの水によって火の呪いの力を封じられていた。彼は元の小さな体に戻ってしまって、危うく窒息するところだった。カミットはどうにかヤージェを救出したが、ヤージェはすっかり元気を無くしていた。

「どうしよう!? ヤージェ、がんばってよ!」

 カミットがヤージェを抱き上げて揺すると、ヤージェは弱々しくある方向を向いた。カミットは部屋のすみうずくまっている罪人を見た。

「ハルベニィなの?」

 ヤージェがそうだと言うのだから、そうに違いなかった。

 その罪人、ハルベニィの体はどろどろの液体に覆われ、膝を抱えて小さくなって、目をつむり、眠っているようだった。他の罪人に比べれば、むしばみの程度ははるかに軽いように思われた。

 カミットは彼に駆け寄り、どろどろの水に手を突っ込み、そのせた体に手を触れた。そして強く揺すったのだが、それでも彼は目を覚まさない。

「こんなもの!」

 カミットは癇癪かんしゃくを起こし、ハルベニィを覆っているどろどろの水を乱暴に払い始めた。ところがいくら取り除こうとしても、水は次々染み出して、ハルベニィの体を覆ってしまう。

「なんで! どうしよう!?」

 カミットはパニックを起こし慌てふためいた。

 そうしていると、背後からつんつんと触られ、カミットはそちらを振り向いた。そこには森の呪いが低木を生み出しており、そこから伸びるつるから花が咲き、その香りがカミットを落ち着かせた。

 次に低木の根がハルベニィへと伸びて、呪いの水を吸い取った。そうして徐々にハルベニィを覆っていた水が消え去り、中のハルベニィだけが残った。

 カミットは喜び、ハルベニィをがんがんと揺らした。

「起きて、ハルベニィ!」

 ハルベニィはうめきながらも反応を示した。

「なんだァ。うるせえなァ。俺はもういいんだよ……」

 最初は鬱陶うっとうしそうにして動き出さなかったが、ヤージェがハルベニィのかたわらから鼻を押し付けると、そちらは優しく撫でた。

「ヤージェかよ。お前は賢い豚だよなァ。阿呆あほうなカミットにはもったいねえよ」

「なんで! ねぇ! 僕もいるよ!」

「なんだか、うるせえのがいるなァ」

 ハルベニィはようやく顔を上げ、カミットを見た。カミットは呪いの水を浴びて、顔も体もどろどろに汚れていた。

「ひでぇ面だな」

「まあね!」

 ハルベニィはまだ寝ぼけていて、状況を理解していなかった。

「……ここはどこだ?」

棺船ひつぎぶね!」

「まじか!? もう死ぬのか!」

 ハルベニィは驚いて叫び、勢いよく立ち上がった。彼はカミットに聞いた。

「お前も捕まったのか?」

「僕はハルベニィを助けに来たんだよ」

「あぁ? 何言ってんだ?」

「早く逃げよう! 海の化身(ヴェイテ)がすぐそこまで来てる!」

 カミットは説明している時間もないので、ヤージェを抱え上げて、部屋の外へ走り出した。

 部屋もそうであったが、通路には呪いの化身やら罪人やらがあちこちに這い回っていた。ハルベニィはこの絶望的な状況に甲高い声で悲鳴を上げ続けた。

 カミットがハルベニィを守りながら、彼らはどうにか甲板まで出てきた。

 そのとき周囲の海面が幻想的な白の輝きと蒸気によって彩られ、きらきらと輝いていた。

 船の真下に巨大な白いクジラの影が現れていた。それが一度深海へ潜ったためにその影が小さくなり、その数秒後には海の化身(ヴェイテ)の巨体が勢いよく海上へ現れ、その大口が棺船を丸呑みした。

 船は丸ごと飲み込まれ、跡形も無かった。

 その後、海の上空にぷかぷかと浮かぶものがあった。

「ふぅ。危なかったァ!」

 カミットは綿の葉の羽を作り、海の化身(ヴェイテ)の激突の勢いで空へと跳んだのであった。白い蒸気が湧き上がる海の上では、カミットの綿の葉の羽はいつまでも跳んでいられた。

 ハルベニィはカミットに抱きつきながら、きいきいと叫んだ。

「高い、高い! 怖ぇ、怖ぇよぉ! 死んじまう!」

「降りた方が死ぬよ」

 ヤージェは森の呪いの蔓でカミットに括り付けてあり、こちらも無事であった。

「あとは海の化身(ヴェイテ)が帰ってくれたら、そのあとゆっくり帰ろう!」

 このときカミットはこのように楽観的に考えていたが、しばらくしても海域の白い様子が消えることはなかった。

「あれェ?」

 カミットはぽりぽりと頭をかいて、首を傾げた。

 海の化身(ヴェイテ)の白い影が海面近くまで上がってきた。海の化身(ヴェイテ)は凄まじい勢いの潮吹きをし、輝く水を空へと撒き散らした。虹のような輝きがあちこちにきらめいて、実に美しい様子であったが、その水と輝きがカミットの綿の葉の羽に触れると、その葉がたちまち溶かされて枯れた。

 カミットたちは空を飛んでいられなくなり、海に落ちてしまった。カミットとヤージェはどうにか泳いだが、ハルベニィが泳げずに溺れそうになっていた。カミットはハルベニィを支えて、どうにか助けた。ハルベニィはカミットにえた。

「俺は泳げねえんだぞ!」

 カミットはいい加減に怒った。

「そんなの知らないよ!」

 ところが今はハルベニィと言い合っている暇などなかった。カミットは森の呪いでどうにかカミット自身とハルベニィとヤージェを繋ぎ止めた。また溺れないように気泡を含む葉なども繋ぎ合わせ、浮袋の代わりにした。

 ハルベニィはカミットにしがみつきながら聞いた。

海の化身(ヴェイテ)が食いに来るのか?」

「うん。そう」

「もう無理なのか!?」

「大丈夫。きっと僕の森の呪いがどうにかしてくれる」

「そんないい加減な大丈夫があるかよ!?」 

 カミットは狂乱に陥っているハルベニィを強く抱きしめた。

「大丈夫だよ」

 彼らの直下に海の化身(ヴェイテ)の大きな口が開いて迫った。

 この状況に至ってなお、カミットは確信していた。

「僕の森の呪いはすごく強いんだ!」

 海の化身(ヴェイテ)がカミットたちを飲み込もうとした、

 そのときだった。

 巨大な樹木が立ち現れ、それが海の化身(ヴェイテ)を横殴りにして押し倒した。

 大きな波が起こり、カミットたちは押し流された。波を被り、水上へ出たり入ったりを繰り返して、酷い有り様になったが、それでもカミットたちは海の化身(ヴェイテ)に食べられずに済んだのだ。

 海の化身(ヴェイテ)は潮吹きによって呪い殺しの水を撒き散らし、呪いの樹木を枯らしにかかった。その効果は絶大で、呪いの木はたちまち枯れた。

 しかしカミットの森の呪いはそれしきでは終わらなかった。

 巨大な樹木は次々現れ、それらが互いに結びついて、やがてある姿をかたどり、大化身に対抗し得る巨獣を生み出した。

 それは花びらのたてがみを持つ緑の獅子ライオンであった。

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