第223話 最期の牢獄(9)
お知らせ:本話より登場人物「ミャクラ」の名称を「ミヤル」と変更しています。
暁の空が黒い霧によって覆われ始めた。
数十人の月追いが翼の大蛇に乗って集まりつつあった。彼らは棺船に近づく者を排除しにかかった。
カミットとヤージェが海上の木々の上を走るところに、月追いと翼の大蛇たちが襲いかかった。
ヤージェの火はある程度の守りを果たしたが、月追いたちを追い返すことはできなかった。それどころか大蛇たちがその行く手に次々飛び降りてきて道を塞いだ。
カミットはヤージェの騎乗で槍を振り回して吠えた。
「こっち来るなよ、どっかいけ!」
そうして手間取っている間にも、棺船は海の向こうへ遠ざかっていた。
カミットは焦れて、怒りを爆発させた。
そのとき彼が発したのは言葉ではなく、獣の雄叫びだった。
以前にもあったように、このときも眼の前が真っ赤になり始めていた。
脳裏に血の泡がぼこりぼこりと浮かぶ音がした。
そして掠れた不気味な声が語りかけた。
「一門の宿命を継承せよ、それがお前の定め……。」
この声が響くと、カミットは底知れない力に満たされ始めた。肉体が黄金の体毛に覆われて変質し、手足には爪が生え、顔貌は獅子のそれに変わった。
残る面影は黄色の花髪だけ、本当にそれだけだった。
変身と同時に獅子の吠え声を鳴り響かせた。
それに呼応し、黒い霧に侵食されつつあった木々の足場が復活しだし、それどころか金属のような結晶状の植物に次々置き換わりだした。
カミットは森の呪いで弓矢を作り出し、それで月追いを射た。何を念じるでもなく、矢じりは神秘的な光を帯びて、その一撃は月追いをたちまち弱らせた。
結晶植物はめきめきと増えて、大蛇や月追いに直接襲いかかり出した。月追いたちはそれ以上は取り付けなくなり、徐々にその場を離れだした。
戦いの興奮はカミットに本来の目的を忘れさせた。
カミットは夢中になって矢を放ったり、槍を振り回していて、そればかりか逃げていく月追いを追いかけようとして、すっかり棺船のことを亡失していた。
しかし相棒の方はきちんと覚えていた。ヤージェは大暴れしてカミットを騎乗から振り落としたのだ。
そうするとカミットは怒り狂って、ヤージェにまで襲いかかろうとした。ヤージェはこの状態のカミットに怯みかけていたが、それでも激しい火を起こして抵抗した。
カミットが槍を振りかざして飛びかかったとき、これを森の呪いが蔦や蔓で縛って止めた。
カミットはそれでもしばらくガウガウ吠えて怒っていたが、やがて変身が解け出し、元のジュカ人の姿に戻ると、急に正気になった。
「あっ、もう船があんなところに!」
何事もなかったかのようにカミットはヤージェに飛び乗った。ヤージェはぶふんと不満そうに鼻息を荒くしたが、一応は主人が正しい目的を思い出したということで、これ以上の喧嘩はしなかった。無論、そのような余裕も時間もなかったのだ。
棺船は沖合に出て、その海域には不気味な白い輝きが帯び始めていた。
※
カミットが港で森の呪いで大騒ぎを起こし、大量の月追いを呼び出す事態になったので、牢獄の都の防衛体制が少なからず影響を受けた。
継承一門はカミットばかりでなく月追いに対しても戦士を送り込まねばならなくなり、その結果、岬の古塔の周辺警備が手薄になった。
森の魔人はそれを都合よく思い、好機と捉えた。
彼は夜闇に隠れて塔に近づき、その外壁を蜘蛛そのものの様子で六本の腕と足とで器用に登った。えっちらおっちらと塔を登る彼の姿を月の光が照らした。
最上階の部屋の大窓は草花で封鎖されていたが、森の魔人が撫でてやるとたちまち枯れた。
森の魔人は死者の寝室に入り、第二剣師の遺体を前にし、笑いを漏らして呟いた。
「こうも上手くいくと、我が望みは何でも叶うのではと思えてくるなァ」
このとき森の魔人は背後の気配を感じて振り返った。
「あなたもそう思うか? 森の姫君よ」
死者の寝室の入口には剣師のレッサとその弟子のジンが立っていた。ジンはすでに剣を抜いていたが、レッサはまだだった。レッサは剣師の掟に反し、呪われし者と話し始めた。
「第二剣師を蘇らせることがあなたの望み?」
「その先だ。まだ見ぬ未来、ありえなかった過去。呪いの化身と断じられた者たちの叫びをこの世に響かせ、聞かせる……」
「ネビウスはその考えに反対しているわ。もし第二剣師が蘇れば、均衡主義者はその対峙者となり、千年前と同じ歴史が繰り返されるだけよ」
「だとしても、大皿から零れ落ちた呪いどもは無かったことにはならないのだ」
「つまり話し合いは無駄ってことね」
レッサが剣に手をかけた。隣で黙って聞いていた弟子のジンもようやくかといった様子でため息をつき、次には表情に闘志をみなぎらせて一歩前に出た。
森の魔人も六つの腕に斧を現した。
死者が眠る寝室で、剣師と魔人が戦い始めた。
※
森の魔人は戦いの最中に大立ち回りして、古塔の他の階層へと移動した。彼はレッサたちを死者の寝室から引き離した。
入れ替わるようにして、ジオクラテルと名付けられた葉魚人の少年とミヤルという名の白毛のコーネ人の少女がそこへ現れる。
ミヤルはうふふと笑って言った。
「全部、御主人様の予定通りだったわね」
二人は死者の寝室へ入り、遺体を運び出した。
彼らは二人で協力してどうにか遺体を運んだが、階段を降りていけば、魔人と戦士たちの戦いに出くわしてしまうので、どうにかして大窓から出られないかと考えた。
ところが大窓の下は絶壁である。誤って落ちれば無事では済まない。
「ああっ、もう! どうしたら!」
ミヤルが困っていると、その隣でジオクラテルが何やら手先からグジュグジュとした苔を生み出して、それらを繋いで薄い膜のようにして、何かを作ろうとしているのだった。
「それって……、もしかして!」
ミヤルにとっては嫌な思い出であるが、かつてカミットが綿の葉の羽で浮遊するのをジオクラテルが見たことがあって、彼はそれを真似ているのだと思われた。
ジオクラテルはさらにもこもことした苔を第二剣師の遺体にくっつけて、万が一落ちたときのための緩衝材を作っていた。
ここでミヤルも「私もやるわ!」と言って、彼女の方は手先から茸を生み出して、それを第二剣師の遺体にぽこぽことくっつけた。
終わりには遺体はすっかり苔と茸で覆われて、繭で包まれたようになった。
「こんなものかしら! さぁ、行きましょう!」
二人は遺体の繭をずりずりと引っ張っていき、それを抱え、ジオクラテルが作った羽で飛び立とうとした。
えいっと飛び出したとき、作った羽は一瞬でぶちぶちとちぎれて、彼らは悲鳴を上げて落下していった。




