第222話 最期の牢獄(8)
ネビウス家では毎年冬の終わりに子どもたちの誕生日会を開いてきた。一家の唯一とも言える恒例行事であり、牢獄の都における最も特別なその冬においても変わらず開催される運びとなった。カミットは家の仕事を何もしないが、一方のミーナは料理を手伝うのがお決まりだった。
その日の朝、ネビウスはカミットが出かけようとしていたのを引き止め、その上でミーナにこう言った。
「ミーナ。今日はあなたは手伝わなくていいわ。カミットと遊んできなさいな」
ミーナは一瞬喜んだが、すぐに困りだし、もごもご言った。
「お家で家事をしないで、外で遊んでいるのを神官たちに見られたら……」
「たしかにそれは気まずいわね」
ネビウスはカミットを見た。カミットはネビウスに引き止められ、家の出口の方で貧乏ゆすりをしていて、今にもミーナを置いて走って出ていきそうだった。ネビウスはそんな風なカミットに言った。
「カミット。今日はミーナといっしょに遊んであげてちょうだい。神官とか他のプロメティアに何か言われたら、あなたが追い払うのよ」
「んん? べつに良いけどさ。ミーナは病気で休むって言ってたんじゃなかったっけ? 外行くなら、神殿の仕事をしなきゃいけないのが決まりでしょ。それにミーナは体調も良くないしさ、家で休んでいた方が良いんじゃない?」
カミットがあからさまに嫌そうにしたので、ミーナは悲しげに俯いた。
ネビウスはカミットに聞いた。
「何か予定があったのかしら?」
「べつになんにもないけどさ」
「ミーナのことをお願いね。神殿の人たちに何か言われたら、あなたが追い払ってあげるのよ」
「分かったよ」
こうしてカミットは渋々了承し、ミーナを連れて出かけた。
街へ出るなり、彼はミーナに言った。
「僕、本当は行くところがあるんだよ」
「そうだったの? お母さんには秘密なのね?」
「そう! 僕ね、今日は岬の古塔にもう一回行こうと思ってたんだ」
「そうだったの」
ミーナはわかりやすく動揺し、目を泳がせた。
それでもカミットはミーナの変化に気づくことはなく、彼は自分の言いたいことを一気に話した。
「月の化身と関係の深い第二剣師の霊があそこに眠っているんだよ。明日の儀式の前にあの女の子に話せば、もしかしたらミーナを守り子にしてくれるかも! 前は断られたけど、もう一回頼んでみようと思うんだ!」
「始まりの守り子様は大昔に亡くなっているわ」
「死体はまだあそこにあるんだ。霊は残って、あの塔に居続けている。でもミーナは体調が良くないから連れていけないし……」
「そうね。……ごめんなさい」
ここでミーナがふと言った。
「カミット。始まりの守り子様の遺体は明日の儀式のためにきっと運び出されるわ。塔に行っても、たぶん会えないと思う」
「ええ!? そうなんだ!」
カミットはいかにミーナを置いていくかばかり考えていたところで、その必要がなくなり、ぱっと笑顔になった。
「そしたら神殿に行こう!」
「えっと。でも今日はまだ運び出されないかも」
「そうなの?」
「明日だから、きっと今日の夜。それまではすごく厳重に警備されて、きっと近づけない」
「それじゃあ今日の内にお願いに行くのは無理かァ」
「うん。明日ならもしかしたら」
「なんだァ。やることなくなっちゃったよ」
カミットはぽりぽりと頭をかき、ミーナを見た。
「どこか行きたいところある?」
ミーナは少し考え、あることを思いついた。彼女は口角を上げ、笑みを浮かべて言った。
「港に行きましょ」
※
牢獄の都の港は造船所を併設している。そこで作っているのは途方もなく大きな船である。それは航行を目的とした物ではなく、ある一定の沖合まで出て、決して帰って来ることのない棺であった。それに乗せられるのは海送りが決まった罪人たちなのだ。
そして港の広場ではその罪人たちの裁判が連日行われている。
ミーナは病気の体だというのに、いつになく活力に満ちた様子でカミットの手を引いて歩いた。
二人は裁判を見物するのにちょうどよいベンチに座った。そこでネビウスから持たされたお弁当を食べたりしてまったり過ごそうというのである。
そんな二人の眼前では罪人たちの裁判が行われている。
カミットは罪人たちを見て驚いた。
罪人たちはいずれも半身がどろどろとした粘液に覆われ、肌の一部は鱗のようになって、不気味な様子だった。
「あの人達は水に呪われているんだ」
「ええ、そうよ。海の藻屑の刑になる人たちだから」
「へェ。そういう人たちもいるんだね」
町中の裁判とは違い、ここで裁かれるのは呪われた者たちだけだった。水の呪いで体を侵された者たちは言葉を喋れなくなっている者が多かった。あるいはもとから地上の言葉を喋れない者たちなのかもしれなかった。
「ミーナは海賊に会ったことある?」
「ないわ」
「牢獄の都出身の奴隷の子孫は地上の言葉を喋れない人たちが多いんだよ」
「水言葉だけってこと?」
「そう! それで牢獄の都から出荷された奴隷のヨーグ人たちが逃げ出して、海賊になったんだ。そいつらは生まれたときからずっと海の中だから、地上の言葉を喋れない」
「それで海賊なんてやって、言葉も通じないなんて、嫌な人たちね」
「でもね。海賊の親分のドミニは頭が良くて、勇敢だった。もう死んじゃったけど、今はシラトビの英雄碑に名前があるんだ。生まれは悪くても、その後の行いはやっぱり大事だよ」
「ふぅん。そうなの」
カミットが話していても、ミーナは心ここに在らずといった感じだった。彼女は裁判に次々出てくる罪人を注視していた。
ある罪人が出てくると、ミーナは急に立ち上がった。そして広場の中央の裁判が行われている場所まで進んでいった。
その罪人はすっかり水の呪いに侵されて、どろどろとした液体で全身を覆われていた。
「見て、カミット。あの罪人はきっと処刑されるわ。あんな重い呪いを受けているんだもの」
ミーナが機嫌を良くして生き生きとしており、一方のカミットは戸惑った。
「そりゃあされるだろうけど。ちょっと最近は見飽きてきたんだよね」
カミットはまったく乗り気ではなかったが、罪人の名前が告げられると顔色を変えた。
告げられた名はハルベニィ。
カミットは一瞬驚き、その罪人をまじまじと見つめた。
「まさか。たまたま同じ名前なだけかな」
動揺するカミットにミーナがぴたりとくっついた。
「友達?」
「いや、ハルベニィは呪われてなんかいなかった」
「そう」
「ミーナはあの人の裁判を見たかったの?」
「ううん。べつに」
「そっか」
罪人本人は何も喋れず、ただ罪状が読み上げられ、天秤に罪の重しが置かれ、やがて海送りの判決が下された。
刑が決まった罪人たちは鞭で叩かれ、船の方へと追いやられていく。
カミットはその様子から目を離すことができずにいた。
そのときである。
カミットが右手に持つ手綱がぐいぐいと引っ張られた。
彼の足元にはいつでも子猪のヤージェがいた。カミットはいつでもヤージェを連れているのだ。
そのヤージェがふんごふんごと鳴き、何やら訴えていた。
夕日で赤々としだした海に棺船が出航する。二度と帰ることのない最期の旅へと向かって、数百人の罪人を乗せた船が進みだしたのだ。
ミーナは船出を見届けると満足した様子で、
「帰りましょ。お母さんが美味しいご馳走を作ってくれているわ」と言った。
「うん。そうだね」
「カミット。今日はありがとう。私、あなたが居てくれさえすれば、どんな運命になっても受け入れられるわ。今まで私は幸せだったのだもの。それはカミットのおかげなの」
「大丈夫だよ。ミーナはきっと守り子になるよ。明日も、来年も、僕たちはずっと一緒だ」
ところが本当に船が行ってしまい、港の先まで進んでいったとき、ヤージェが凄まじい火を起こした。ヤージェは呪いの火を爆発させ、その火を体にまとって巨大化したのだ
「ヤージェ! 落ち着いて!」
カミットはなんとかヤージェを落ち着かせようとして、彼を押し留めにかかった。
そのときヤージェの呪いの火を通して、その考えがカミットに伝播した。
ヤージェの鋭敏な嗅覚は見逃してはならない真実を捉えていたのだ。
今すぐあの棺船に追いつき、悲劇を阻止せねばならないとカミットは理解した。
彼はヤージェの背に飛び乗った。
そのときミーナが駆け寄って叫んだ。
「カミット! 駄目よ! 行かないで!」
カミットはヤージェの火に当てられて興奮していた。今はミーナの声がほとんど聞こえず、彼はただそうするべきと思った方へと手綱を引っ張り、ヤージェの腹を足で蹴って走り出させた。
ヤージェはカミットを乗せて海へと飛び出した。
カミットはヤージェの足場を作るために、森の呪いで海底から木々を生み出した。
海面を覆いだした植物を踏みつけ、ヤージェは飛ぶように走った。




