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ネビウスクロニクル  作者: 石井
牢獄の都編
219/259

第219話 最期の牢獄(5)

 いにしえの民が孤児を育てることは本来はありふれた習慣であったが、近年の終わりの島(エンドランド)ではその伝統は廃れつつあった。かつてなら彼らの養子や弟子を通じて、古き知恵が社会にもたらされたものだが、その継承も途絶えようとしていた。

 最も古き文明の担い手たちが終わりの島(エンドランド)を離れることになる、その最後の数年でしきりに言われたことは、呪いの巡りが乱れているとか、滞っているとか、あるいはあふれ出ているというようなことだった。

 呪いは平たいお皿に安定して注がれていなければならず、皿から皿へと移動するときもその様子は穏やかで滑らかでなくてはならない。

 その大皿を左右に二つ吊り下げているのが価値の天秤であった。価値の天秤は大小様々あるが、主要な都市や街の神殿には必ず存在する。その皿がどういう理屈であるのか、この世に蔓延はびこる呪いを量り取り、古めかしい表現で言うところの「土壌どじょう」がしっかりしているというような状況を可視化してきた。

 呪いの頂点に座すは大化身であり、その大いなる存在と分かち合うことが可能なのが神殿をべる守り子である。

 そこでシリウスという女がある考えを持ち、彼女はネビウスに手紙を書いた。その書き出しは次のようであった。

「夜の呪いによって大いなる才能が見出された。あなたが育て、このプロメティアを真実のそれに育てよ」

 奇しくもその手紙は太陽の都(ソルガウディウム)のネビウスが長く不在にしていた家に届けられたため、結局数年がかりで後から発見された。そうではあるが、運命ならば変わらなかった。

 シリウスが呪いの加護を与えた少女は自力で巨獣山脈を超え、ネビウスの元まで辿り着いたからである。シリウスが画策した炎の賢者によってプロメティアを理想的な守り子に育てるという計画は走り出したのである。

 かつてシリウス・プロメティアを名乗っていた少女は今はネビウス・プロメティアとなり、その本当の名を普段は名乗らず、彼女はミーナと自称している。

 ミーナは十四歳を目前にし、いよいよ呪いの蝕みによって体調を崩しがちになっていたが、月が出ている夜には元気になる傾向にあった。

 さらに秋の終わりから冬にかけてはいつでも第二の月が空に浮かんでおり、この頃のミーナは夜になるとやたらと活動的になった。彼女は外套(コート)のフードで顔を隠し、街のあちこちを徘徊はいかいした。

 ときどきは海の方にも出かけた。海だとか夕日だとかを見たいのだといつも理由を述べたので、ネビウスもそれを止めることはなかった。

 月の海では波が激しく打ち付けていた。

 冬は海に漁に出てはならないので船は出ていない。冬の月の海には水の呪いの化身が泳ぎ回るからである。

 そうだというのに、ある男の子が岩礁から勢いよく海に飛び込んで、荒波の中を泳いだ。彼の周りにはたちまち不気味な黒々とした影が集まって、彼と一緒に並んで泳いだ。

 ミーナは海水に手を浸し、水の塊を手のひらの上に踊らせた。それに唇を付けて、こぽり、こぽり、しゅーしゅー、と不思議な調子で音を立てた。

 その音は奇妙に伝播でんぱして、海中まで届いていた。

 泳いでいた男の子は恐る恐るといった様子で、頭をちょっとだけ海面に出して、ミーナを観察した。

 この世で最も美しい少女が純白の僧衣の上から恐ろしげな黒い外套(コート)を着ていた。それがミーナであった。

「哀れな葉魚人ジューグぞくが鏡を手にしたわ。あれを取ってきなさい」

 その男の子は言葉の交流が不自由だったが、ミーナの言うことはなぜか理解できた。

「鏡があれば、本当のあなたを見つけられるはずよ。そのために鏡が必要なのよ」

 ひたり、ひたりと水を滴らせ、男の子が海から上がってきた。

 葉っぱの髪をして、緑色の鱗の肌をした、ジュカ人とヨーグ人の半々の見た目を持ち合わせた男の子であった。

 彼はまだ名が無かった。

 そこでミーナが彼をこう呼んだ。

「ジオクラテル……」

 後にはそのように正式に名が決まる男の子であるが、彼はまだ人の言葉を知らなかった。ミーナがこの名で呼びつけることによって、彼はその音の並びが彼を呼ぶ合図なのだと理解するようになった。



 地下街の最奥。

 遺跡から盗掘された遺物が散乱して山積みにされ、ゴミ捨て場の様相を呈している地域がある。そこは狐倶楽部ウルペスサークルの墓荒らし衆たちの縄張りである。

 その恐るべき首領はグリンベル。コーネ人クマ族の屈強な大男である。

 遺物を狙うあらゆる侵入者はグリンベルの嗅覚から逃れることはできない。グリンベルは誰よりも早く盗人に気づき、仲間たちに命令した。

「呪い子が紛れ込んだ。つまみ出すぞ」

 グリンベル自らが重要遺物の保管場所へ出向いた。

 そこに不気味な男がフードで顔を隠して立っていた。彼はボロ布の外套(コート)を着て、その手には斧がにぎられていた。

 一見すると月追い(ルナシーカー)であるかのようだったが、グリンベルは臭いによってその違いを見抜いた。

 その外套(コート)の中から六つの腕が生え、その全てにおのが握られていた。そのおのが振り投げられ、グリンベルの配下数名を瞬時に殺害した。おのはグリンベルには命中しなかった。

 グリンベルは生き残った者たちに下がるように命じ、彼一人が残った。

 にわかに周囲の気温が下がった。

 さらに地下だというに雪が舞い始めた。

 冷気の中心にはグリンベルが立っていた。

 雪が彼にまとわりつき、その姿を白く染め始めた。

 その様子を見て、襲撃者の方が興味を持った。フードが剥がれ、隠されていた蜘蛛くもの顔が明らかになった。

 その男、森の魔人がグリンベルに言った。

「雪の呪い子! 山々を守る偉大な一族の中から呪い子が出たか!」

 さらにもう一人がこの場に関係した。

 森の魔人の背後から、小さな少女であるミヤルが現れた。コーネ人の小柄な女の子は全身の体毛が真っ白であり、その瞳は血で染まったように赤かった。

 ミヤルは森の魔人に話しかけた。

「あの呪い子を食べても良い?」

「雪の呪いに手は出すな。山の主を刺激するかもしれぬ」

 このように言われても、ミヤルは食欲を抑えられなかった。彼女は呪いの力でねずみの群れを扇動して、グリンベルを襲わせた。

 ところがそれらのねずみの大群は吹雪ふぶかれて一瞬で凍りついてしまった。

 ミヤルは怒った。

「なんてことなの! 私の子供たちが凍らされちゃったわ!」

「雪の呪いは既に解き放たれている。お前の母なる力を恐れたのだろうが、不都合なことだ」

 森の魔人は要するにグリンベルと戦いたく無かったのだ。彼はミヤルを抱え上げ、その場を去ってしまった。

 戦いらしい戦いも起こらず、グリンベルは最初の立ち位置から一歩も動いていなかった。吹雪ふぶきは消えて、グリンベルはいつもの姿に戻ったのであった。彼は殺された仲間たちを見て、ぽりぽりと頭を掻いて、ため息をついたのであった。

 人員以外ではほとんど被害は出ていなかったが、その後の調査で古代の鏡が失われたことが発覚した。

 カミットはこの騒ぎを知り、すぐに墓荒らし衆のもとへ駆けつけた。

「グリンベル! 森の魔人が出たって!?」

 このときもグリンベルはいつもと変わらず、側近の女たちとイチャイチャしていた。

「こっちも呪いの道具を扱ってるからなァ。良くねえ連中が寄ってくることもあるんだ」

「ええ!? 普通のことじゃないよ! 森の魔人は何か企んでいるんだよ!」

「ったくよォ、ほしいモンがあるなら、金払えってんだ」

「仲間が殺されたんでしょ? やり返さないと!」

「墓荒らしのときもしょっちゅう死んでる」

 グリンベルは魔人の襲撃すらも重大ごととして捉えていなかった。彼は自らの力によって、最小限の被害で縄張りを守った。彼にとっては、話はそれで終わりなのである。

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