第218話 最期の牢獄(4)
大神殿の講義室では毎日勉強会が開かれている。そこでは百人ほどのプロメティアである少女たちが信仰について学んでおり、彼女たちの中から次の月の守り子が選ばれる。
講堂には月の化身を模した兎の石像が鎮座しており、彼女がプロメティアたちの学びぶりを常に見守っている。
祝祭が近づいてくると、プロメティアたちは自ら発言し、自分の覚えたことを披露する。誰か一人が発言すると、それに他の女の子たちも続いて、口々に暗唱しだす。
最初に発言する権利は最も年上である十三歳の女の子たちのものであり、さらにその中でも日によって持ち回りが決まっている。
そういったお決まりの中でも少しずつ変化が生まれていた。
最近ではミーナが優れた知識量で他のプロメティアたちを引き離しつつあった。旅をしてきた成果なのか、彼女は多くのことを知っていて、今では終わりの島の古き伝説や信仰について、以前の彼女では考えられないほど流暢に披露するようになっていた。
カミットがしばらく見ていない間に、ミーナはこのように劇的な成長を遂げていたのである。カミットは大変に驚くとともに、ミーナの努力と成長を大いに褒めた。
「すごいよ、ミーナ! これなら守り子になれるかもしれないね!」
ミーナは照れて、えへへと笑った。
その直後、ミーナはふらふらとして、倒れそうになった。カミットの前で良いところを見せられたことは良かったが、そのせいで緊張から解放され、日頃の体の辛さが一気に襲ったのだ。
夜の呪いはプロメティアたちの心身を蝕み、犠牲の儀式に向けて、その侵食はさらに加速していた。ミーナ以外の十三歳のプロメティアたちはもはや自発的な意思表示すらもほとんどできなくなり、神殿で寝泊まりして勉強のときだけ起き上がってくる生活をしているのであった。
カミットはミーナの体調を心配しつつも、他のプロメティアと見比べて、ミーナの容態はいくらか良さそうであると評価した。また本当に守り子になれそうであるとも思い始めた。希望が見えてくると、それを応援したい気持ちがさらに大きくなった。
そうして気持ちがしっかりしつつ合った頃、地下街で世話になった面々に挨拶を済ませたりして回っていた帰り道のことである。
黒い梟が建物の軒に立ち、カミットを睨んでいた。黒い梟は夜の王と呼ばれる古き怪物であった。そこは路地裏の道で辺りに人はおらず、闇に潜む者らしい現れ方であった。夜の王はネビウスの旧知の友であり、ほんのときどきだけ現れることがある。カミットが彼に会ったのはこれで四回目である。
カミットは嬉しくなって、彼に呼びかけた。
「あれェ、久しぶり! 元気してた?」
夜の王はカミットにだけ聞こえる声で言った。
「お前はいつまでも経ってもそのような様子でいるようだ」
その言いっぷりがあからさまに失望している風だったので、カミットは反感を持った。
「急になんだよ!」
「お前の妹であるプロメティアについて、お前は興味が無さすぎる」
「そんなことない。僕はミーナを大事に想っているよ」
「では言ってみよ。あの娘の生まれと育ちはどのようであるか?」
「そんなのどうでも良いことだよ」
「重要なことだ。少なくとも守り子になろうとする者の場合はな」
「ふーん。ミーナは牢獄の都で生まれたみたいだよ」
「それで?」
「その後、ネビウスの娘になった」
「あァ……、だめだな。お前の分析は雑過ぎる」
夜の王はこのように言い捨て、飛び去ってしまった。
カミットはこうまで言われては何かしらを調べねばならないと思い、大神殿にミーナを迎えに行ったときに直接聞いた。
「ミーナが生まれ育った家はどこにあるの?」
ミーナはハッとして、急に思い出した様子で言った。
「私、お母さんにおつかいを頼まれていたのに、ずっと出来ていなかったわ」
※
牢獄の都はどこもかしこも貧しくて荒れた様子の町並みだが、その中でも地下街の外れの方の貧民街はさらに貧しい。
ミーナはその街の一角のとある長屋の前まで迷うことなく辿り着いた。彼女は一階の隅の一室の前できょろきょろして、そこが彼女のかつての家らしかった。
ところがその部屋に暮らしていたのは、ミーナとまったく関係のない人々だった。
カミットは銅貨を放り投げ、そこら辺をうろちょろしている者たちに知っていることを話させた。彼らによると、数年前までこの家に暮らしていた者たちは憲兵によって逮捕され、どこかにやられてしまったらしい。
カミットはまたもや牢獄破りをせねばならぬのかと思い、うんざりした気持ちになった。しかしミーナのためならばと気を持ち直していたところ、ミーナが自ら語りだした。
「きっともう死んでいるわ」
「数年前だとそうかもしれないね」
面倒事を避けられて、カミットはホッとしていた。彼はミーナがまったく辛そうにもしていないことが気がかりだった。
「ミーナの本当のお母さんは……」
「私のお母さんは今のお母さんよ」
「ネビウスの前のお母さんが居たんでしょ?」
「もう一人のお母さんだったら、私達のお母さんがいたわ」
「うーん。どれがどれだか分かりづらいな」
ミーナはすたすたと歩いていき、ちょっとした庭先にある墓石の前でしゃがみ込んだ。その墓石を愛おしそうに撫でながら、彼女はぶつぶつ言った。
「かわいいミーナ。大きくなったら、食べられちゃった……」
その墓石は彼女がかつて飼っていたとかいう兎の墓らしかった。
カミットはミーナの気持ちを想像しつつ、彼なりの考えを述べた。
「ヤージェみたいに呪い子だったら良かっただろうけどさ。ただの動物だと最後は食べるしかないよ」
そのときミーナがまた何かに気づいた顔をした。
「だからお母さんは私に呪いをかけたの!」
「ええ!? でもミーナは人間だよ?」
「お母さんは私を牢獄の都から出すときに言ったわ。
ネビウスを探して、って!
次のお母さんなら私の呪いだって愛してくれるはずよ、って!」
「へェ! そっか! じゃあミーナの本当のお母さんはネビウスの知り合いだったんだ! そういえばネビウスもそんなこと言ってたかも!」
今のネビウス一家はある運命的な導きによって必然的に形作られたもののように、カミットは感じだした。ミーナはこれまでは彼女自身に関することを語りたがらなかったが、牢獄の都に来てからは過去を隠さなくなっていた。そもそもカミットが自分自身のことしか頭になかったので、ネビウスやミーナの秘められた繋がりにまるで気づかずにいたのだ。
しかし秘密が明らかになろうとしているとき、その隠された真実はカミットの好奇心を強烈に刺激した。隠しているということは、なにかやましいことがあるのではないかとも思われた。
今も昔も何事においてもネビウスの真意はぼやかされてきた。ネビウスが子どもたちを愛しているということは疑いなかったが、しばしばその行動は秘密主義的過ぎたのだ。その大いなる実力に反して、世の中の厄介事に対して常に消極的な態度を貫いてきた点は、カミットには理解に苦しむ部分であった。
そんな折のこと、ある朝にネビウスが急に一家で墓参りに出かけると言い出した。
牢獄の都郊外の古代の祠の近くに、墓石がぽつんと置かれていた。ネビウスはカミットとミーナに墓の中の者について語った。
「私の友達のシリウス。彼女はミーナのお母さんね。生きていてと願っていたけれど、結局見つからなかった。大神殿の天秤もシリウスの霊を量り取らなかった。彼女はもうこの世にはいないわ。ミーナが儀式を受ける前にどうにか再会させてあげたかったのだけれど、こういう形にするしかなかったの」
ミーナはまるで興味なさげにしてぼんやりとしていたが、カミットの方はわあわあ言った。
「このお墓の人がミーナの本当のお母さんなの!?」
「そういうことになるわ」
「つい最近さ、ミーナの昔の家に行ってきたんだけど、ミーナの残りの家族もたぶん死んじゃったかもしれないんだ」
「ミーナの残りの家族?」
ネビウスが聞き返したので、カミットは首を傾げた。
「……んん?」
「いいえ。なんでも無いわ。その人達が亡くなったのだとしたら、とても気の毒ね」
「うん。そうなんだよ。だからミーナの家族は僕たちだけなんだ。だから僕たちはこれからも仲良くやっていかないと!」
カミットは近頃はすっかり家長になる気で居て、一家をとりまとめるようなことを宣言した。
これに対し、ネビウスは柔らかく笑い、
「あなたならきっとできるわ」と述べた。




