第216話 最期の牢獄(2)
ハルベニィは様々な道具を使い、牢獄に侵入した。壁や天井を這うためのグローブや靴があり、窓の鉄格子を静かに切断するナイフがあり、水中で息をするためのマスクがあり、どんな扉も開く鍵があり、姿を隠すマントもあった。
ところが牢獄の中には衛兵が見張っていて、侵入の困難な通路や扉もある。ハルベニィは自衛のための雷の杖を持っていたが、それを使いたがらなかった。
そういうときにはカミットが森の呪いで毒の粉を撒く草花を作り、それによって衛兵を眠らせた。この日の森の呪いはカミットが意図したとおりに働いた。
カミットは得意になって無邪気に喜んだが、ハルベニィは不安がった。
「殺してねえだろうな?」
「眠らせただけだよ」
「それならいいけどよ」
「僕の森の呪いは人を殺したことが無いんだよ。僕が困ったときに助けてくれる良い呪いなんだよ」
「そうかよ。よくできた友だちじゃねえか」
「まあね!」
牢獄破りは順調に進んだ。呪いの道具や森の呪いはあまりにも万能であり、ハルベニィとカミットはいとも簡単にバルチッタの牢屋まで辿り着いた。
牢屋の前でハルベニィが姿隠しのマントを脱ぐと、バルチッタは柵に駆け寄ってきた。
「ようやく来たか。待たせやがって! 早くこの牢を壊せ!」
「ちょっと待ってろ」
ハルベニィは呪いのナイフで鉄の柵をぎこぎこと切り始めた。
ここでカミットも姿隠しのマントを脱いだ。
バルチッタはカミットを見て喜んだ。
「お前も来ていたか! ネビウスの言いつけか?」
カミットは「違うよ」と淡白に言って、バルチッタとはほとんど会話をしなかった。
彼はハルベニィに聞いた。
「ナイフはもう一本ないの?」
「ねえよ。お前は見張ってろ」
「分かった」
こうしてバルチッタを牢屋から出したらば、後は牢獄から逃げ出すばかりとなった。
そのとき警報の鐘が鳴り出した。
同時に身の毛のよだつ腐臭が漂い始めた。
古き処刑人たちの影が時を超え、月下の牢獄に集まってきていた。
月追いはその顔に口だけしかなかった。その裂けた口がそれぞれ同じ言葉を語る。
「月は見ているぞ……」
彼らは大きな斧を軽々と持ち、罪深き者を処刑せんとして彷徨い歩いた。
牢獄の衛兵たちは月追いの訪れに恐怖して逃げ出した。
カミットはもはや慣れたものだったが、ハルベニィとバルチッタは震え上がって狂乱した。この二人は大慌てで逃げ出してしまい、カミットも彼らの後を追った。
ところがそのあとすぐに狭い通路で向かいから月追いの恐ろしい黒い影が向かってきて、三人は絶体絶命の状況に陥った。
ハルベニィとバルチッタがおろおろしていている間にも月追いは歩いて近づいてくるので、カミットはあまり深く考えずに槍を持って駆け込んだ。
月追いは大斧を振り回した。たった一撃であっても、罪人の命を断つには有り余る力があった。
これに対し、カミットは正面から突っ込むと見せかけて、森の呪いで蔦や蔓をどっと生み出して、月追いをほんの数秒ではあったが拘束した。
「今だよ!」
カミットはハルベニィたちに叫び、月追いを通り過ぎて走った。ハルベニィとバルチッタもそれに続いた。
牢獄の地上に出ても、十数体もの月追いが徘徊しており、危険は続いた。
三人はひたすら走り、牢の塀で駆けた。
後少しであった。
その塀を登り、牢獄の外へ飛び出せば自由が手に入るのだ。
そのとき周囲に少女の声が響いた。
「月は見ているぞ」
どこからか金色の髪をした美しい少女たちが集まってきており、彼らはカミットたちの周りに取り囲んでいた。
彼女たちはプロメティア。夜の呪いを身に宿す呪い子たちである。
その美しい少女たちは両手を合わせ、神聖な様子で祈った。
「月よ、見よ。罪を断ち切りなさい」
そう告げた直後、彼女たちそれぞれの影の中から人の姿が立ち上り、月追いが現れた。
このときカミットは足元に森の呪いで巨樹を生み出した。巨樹はカミットたちを押し上げて、牢獄の塀の外へと運ぼうとした。
ところが月追いの大斧が呪いの巨樹を根本からばっさり切ってしまった。
カミットたちは伸びつつあった巨樹の上にいたが、巨樹が転倒しだしたことで足元がぐらついて振り落とされそうになった。
カミットは自分自身のことはどうにでもなると考えて、ハルベニィとバルチッタを逃がすことを最優先に考えた。そこで二人を森の呪いで綿のクッションに包み、巨樹の力を振り絞らせて、塀の向こうの遠くへと投げ飛ばさせた。
カミット自身も逃げたい気持ちはあったが、彼は月追いを足止めするために残ることにした。
※
ハルベニィはプロメティア襲来から森の呪いによる巨樹によって投げ飛ばされたことなどを、ほとんど何が起きたかも理解できずに、投げ飛ばされた先でモコモコの綿に包まれた状態で呆然としていた。
彼はどうにか綿から這い出て、近くで同じように転がっていたバルチッタを助け出した。
「街を出るぞ!」
ハルベニィが呼びかけるも、バルチッタはぼうっとして、遠くを眺めていた。バルチッタは彼の妻のことを想っているようだった。
「おい、聞いてんのか!?」
「分かってらァ! 逃げるぞ!」
親子はこれまでそうしてきたように二人で走った。
街の喧騒を駆け抜け、二人は城壁の門へ向かった。
衛兵たちはバルチッタの罪の腕輪を見つけて近づいてきた。それに対し、ハルベニィは煙幕玉を投げつけ、視界から逃れた。
二人は門を抜けた。
視線の先には巨獣山脈が太古の昔から絶壁のように横たわっていた。
終わりの島で最も危険な山だが、呪いの道具を惜しみなく使えば踏破できる可能性はあった。
二人は休みなく走った。
針葉樹林の雪原に彼らの足跡がぽつぽつと残った。
月下の夜に、雪が舞っていた。
月はあまりに明るく、逃げる二人をあえて照らすかのように思われた。
巨獣の縄張りまで入れば、あとは気配消しの外套を着て、そうすればもう牢獄の都からの追手は来なくなる。
二人は安心してこの夜を越すための天幕を設置した。
バルチッタがハルベニィに言った。
「カミットには感謝しなきゃな!」
ハルベニィは夕食の鍋の準備をしており、その手を一瞬止めて、気まずくなって言った。
「まあ、そうだな」
「あいつはお前のことを気に入ってるしよ。あいつはネビウスの倅で、お前は俺の娘。縁があるな!」
「馬鹿言うな。俺はそういうのは要らねえんだよ」
二人がいざ夕食を食べようとしていたとき、
少女の声がした。
「月は見ているわ……」
ハルベニィとバルチッタは悲鳴を上げて、大慌てで呪いの道具を手にした。バルチッタは呪い返しのマントを着て、ハルベニィは雷の杖を手にした。
やがて夜闇の中から一人のプロメティアが現れた。
ハルベニィは舌打ちした。
「くそっ! ここまで来てやられてたまるか!」
そのプロメティアはハルベニィをぼんやりと見て、小首を傾げた
「あなた、ハルベニィ?」
「ああん? なんで俺の名前を……、あっ! お前、ミーナか!?」
「いいえ。ミーナはあのお家で買っていた兎の名前よ」
「何言ってんだ?」
ここでバルチッタが口を挟んだ。
「お前、ネビウスのところのか!? お前が俺を助ければネビウスはきっと喜ぶぞ!」
ミーナはバルチッタの方を見た。
その目は黄金に輝いていた。感情を感じさせない恐ろしい目であった。
「お母さんは後悔しているわ。あなたはよくない人だったから。あなたはお母さんの失敗作なのよ」
ミーナは手を伸ばし、その指先から電撃を放った。
ところがその電撃はバルチッタの呪い返しのマントによって弾かれた。
防がれた電撃は周囲に飛び散った。
ミーナは軽く手で払うことによって相殺したが、ハルベニィはそうはいかなかった。彼は電撃を食らい、悲鳴を上げて倒れた。
「痛ぇ……、痛えよォ……」
ハルベニィは動けなくなって苦しんでいた。
バルチッタはそれを呆然として見ていたが、ミーナが迫ってくると恐怖に駆られた。
彼はハルベニィを置き去りにして逃げ出した。
その場にはミーナとハルベニィが残された。
ミーナはハルベニィを見下ろし、「どうしたらいいのかしら」と呟いた。
すると近くの木陰から人影が現れた。
彼は月追いと似たようなボロ布の外套を着ていたが、そのフードの中には恐ろしげな蜘蛛の顔があった。
その正体は森の魔人であった。
彼はミーナの前に膝をついて、頭を垂れて述べた。
「その者は墓荒らしと牢破りの罪人。優れしプロメティアの功績として献上すれば、月の化身は喜ぶでしょう」
「カミットは悲しむかもしれないわ」
「彼はきっと、あなたが守り子になれないことをより悲しむでしょう」
「たしかにそうね。きっとそうだわ」
ミーナの影の中から、月追いが現れた。それがハルベニィを抱えあげ、牢獄の都へと運んでいった。




