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ネビウスクロニクル  作者: 石井
牢獄の都編
215/259

第215話 最期の牢獄(1)

牢獄の都編「最期の牢獄」はじまり

 月の半島に凍てつく風が吹き始めていた。

 冬の終わりの月にはカミットは十四歳の誕生日を迎える。

 終わりの島(エンドランド)では、十四歳は成人の歳である。子供は大人になり、共同体の中で生産者あるいは保持者の役割を担わねばならない。

 成人するということでは、ミーナもそうであった。夜の呪いを身に宿したプロメティアたちは十四歳になった瞬間に、人々を助けるたった一人の守り子になるか、共同体の負の遺産である呪いの化身になるか、という二つの在り方のどちらかを強いられることになる。

 カミットは彼なりに月の化身(ルナテイア)に接近する努力をしてきたが、その取組みはほとんど無意味に終わった。牢獄の都(ラクリメンシス)で過ごした九ヶ月近くのほとんどを、カミットは墓荒らしや気ままな探偵行為に費やしただけだった。

 そして秋にはバルチッタが逮捕されるという大事件が起こった。ネビウスはそうならないようにバルチッタが牢獄の都(ラクリメンシス)を離れるように仕向けてきたが、その試みは上手くいかなかった。バルチッタ逮捕の報を聞いたネビウスは「いつかはこうなると思っていたわ」とあっさりとべた。

 今、カミットはミーナを守り子にすることとハルベニィの孤立を助けることという、二つの難事に悩まされていた。彼は五体もの魔人を殺してきて英雄と言われるようになったが、それよりよっぽど困難な状況に直面していると感じた。

 ミーナは相変わらず物覚えが悪く、体調も優れず、なんとなく守り子にはなれなさそうな気配が漂っていた。どう足掻あがいたところで、彼女が守り子になれるかどうかは、月の化身(ルナテイア)の機嫌次第と思われ、カミットにはできることがなかった。

 問題のもう一人の方、ハルベニィはバルチッタが逮捕されてしまってからというもの、塞ぎ込みがちになって、物もあまり食べないで、元々痩せた体型だったのがさらに病気でもしているかのようにげっそりしてしまっていた。

 緊急の度合いはハルベニィの方が高いように思われ、カミットは毎日欠かさずに彼の家を訪ね、ネビウスの料理を届けた。ネビウスの料理にはちょっとしたまじないがかけられており、一時間近く運んでいっても作りたてのように温かいままであり、さらに食欲をそそる匂いを放って、実際に食べれば大変な美味であり、それはどんな落ち込んでいる人でも食べたくなるものであった。朝に届け、カミットが夕方に様子を見にいくと、ハルベニィはネビウスの料理をきちんと食べ終えているのであった。

 そうした日々が続いていると、ハルベニィが十数日ぶりに言葉を発した。

「あんなどうしようもないクズ野郎は捕まって当然なんだよ」

 カミットはハルベニィの突然の発言に驚き、何と言うべきか迷った。

「バルチッタはハルベニィのお父さんなんでしょ」

「あいつは馬鹿で、短気で、我慢ができなくて、普通のことが何一つできねえゴミクズだった」

 ハルベニィは唇を噛んで悔しがった。

「救いようがねえんだ。ネビウスに助けられて、弟子になって勉強させてもらって、そうだっていうのにあんなクズになった」

「でもさ、ハルベニィは家族が大事だったんでしょ?」

「家族なんてもんは最初から無かったんだ。ただ自分が生きるだけ以上のことなんてできやしない」

 ハルベニィの悲しみは彼が家族を失い、天涯孤独の身になりつつあることに発していた。

 カミットは最も安易な案をまず口にした。

「バルチッタが助かるようにネビウスに相談しようよ」

「ネビウスがその気なら最初からやってるだろうよ」

「じゃあ、このままにするの? バルチッタが死んじゃうよ?」

「バルチッタを脱獄させろってか?」

「うん。そうしたら良いと思うよ」

 カミットはあっさりと賛同した。彼は元よりそのつもりであった。

 ハルベニィは少なからず驚き、カミットを危ぶんだ。

「地下街でろくでもない連中とつるんでるから感覚がおかしくなってるぞ。脱獄はやべえ掟破りだ。軽く思うなよ」

「んん? でもさ、太陽の都(ソルガウディウム)でもおきてが上手くいっていないときには、コウゼンはあまりおきてを気にしていなかったよ。コウゼンは後からおきてに特別例外を申請してどうにかしてた」

「状況が違うだろ。バルチッタはしっかりと悪いことをしてきたやつだ」

「だけどさ、バルチッタが死んだら困るでしょ」

 カミットがこのように言うと、ハルベニィはため息をついた。ハルベニィは少しだけカミットの意見に傾きつつあった。

「死刑囚の牢獄破りは難しんだよ。牢獄の都(ラクリメンシス)は衛兵の数がとんでもねえんだ」

「こっそりやればいいよ」

「そんなことできやしねえ」

 ハルベニィは髪を掻きむしったり、ときどきカミットをちらりと見たり、そうしてまたうつむいてうなったり泣いたりを続けた。

 カミットは彼が何かを言いたいのだろうと察した。

「僕も手伝うよ! 一緒にバルチッタを助けよう!」

「それはだめだ。お前は分かっちゃいないんだ。誰にも見つからなくたって、精霊は見てるんだよ。だから罪が見逃されることはねえ。お前は関係ないんだ」

「関係はあるよ。僕たちは友達だよ!」

阿呆あほうめ。大人は友達となかよしごっこなんてしないんだよ」

「でも僕はまだ大人じゃないし。ハルベニィだってこの前まで子供だったし」

「ごちゃごちゃ言うな。この話しはしまいだ! もうここにも来るなよ!」

 その翌日のこと。

 カミットはハルベニィのアパートの戸を叩いた。

「ハルベニィ、おはよう!」

 いつも通り勝手に入っていこうとすると、戸が施錠されていた。カミットは怪しく思い、回り込んで窓から中を覗いた。そのときはたまたまハルベニィは不在なのだろうと考えたが、それ以降ハルベニィがその家に戻ってくることはなかった。



 ハルベニィは生まれが貧困であり、小さい頃はいつもお腹を空かせていた。

 父親のバルチッタは医業を営んでいた。彼は掟破りの収賄により三度逮捕され、そのたびに残された家族は苦境に陥った。

 その頃の記憶がハルベニィは曖昧だが、大人になった彼が母親がどうにかしていたのだろうと想像した。

 一家がどうにかやっていけるようになったのは、ハルベニィが物心ついてからのことだった。ハルベニィは母親のすすめにより、商人の手伝いをするようになり、いくつかの知恵を学んだのである。

 そしてハルベニィはバルチッタが牢屋を出てくるなり、彼に商人になることを提案する。バルチッタは彼の娘が奇妙なことを言い出したのを笑って馬鹿にしただけだった。

「女は商人になれねえのさ」と言って。

 その直後に、ハルベニィは髪の毛をばっさり切った。嘆かわしいほどの目つきの悪さや骨ばった頬が露わになった。ハルベニィはわざと乱暴な、男の子っぽい話し方で言った。

「俺は商売をするんだ!」

 その後、バルチッタが商人として活動を始め、ハルベニィはその徒弟とていという扱いになった。

 その実態は、大人のバルチッタが表に出つつ、裏ではハルベニィが大方の主導権を握るという風になった。バルチッタは馬鹿で浅はかな性質だったので、とてもではないがまともに商売などできなかったからである。

 それでも親子の商売は困難を多くともなった。

 ハルベニィが少し目を離すと、バルチッタは目先の利益に目をくらませ、掟破りの商売に手を出した。ひどい場合ではバルチッタは逮捕されてしまい、危うく極刑になりかけたこともあった。

 そういうとき、ハルベニィは呪いの道具を駆使して、バルチッタの脱獄を助けた。助けられたバルチッタはというと「遅えぞ。このグズ!」とハルベニィをののしった。

 バルチッタはどうしようもない父親であった。ついには牢獄の都(ラクリメンシス)で逮捕され、極刑を言い渡されるに至るも、それはいつか来る確定的未来であったように思われた。

 その彼をいったいどうして助けなければならないのか。

 ハルベニィは彼自身を突き動かす衝動が信じられなかった。彼は世間の父親たちよりも遥かに劣るバルチッタをそれでも憎んだり見捨てたりすることができなかった。それどころかバルチッタが牢に入れられ、苦しい労役を強いられ、冬の終わりの極刑を待つばかりの拷問のような時を過ごしていることが自分自身の苦しみのように感じられ、今すぐ助けに行かねばならないと思った。

 必要な道具は全て揃えた。足りない道具は銀貨大枚を叩いて買った。出稼ぎで貯めた銀はこれによってほとんど使い果たしてしまった。

 それでも命あっての銀である。

 バルチッタを助け出し、また親子で一から始めるのだ。

 ハルベニィはそのやせ細った体にたくさんの道具を装備し、月が輝く闇夜の中に繰り出していった。

 見据える先には牢獄の都(ラクリメンシス)の大牢獄があった。

 牢獄の入り口や周囲、見張り台には常に衛兵が立っていた。

 まともに忍び込める場所などどこにも無いので、牢獄側面の石壁を登って侵入するつもりであった。

 ハルベニィは物陰で壁登り用のグローブを念入りに確認した。

 ふご、ふご。

 彼の足元で子猪こじしの鳴き声がした。

 ハルベニィがかがみ込んで見ると、カミットがいつも連れている子猪こじしのヤージェであった。

「まさか……」

 ハルベニィが呟くと、彼の前にカミットが現れた。

 カミットは能天気に言った。

「ハルベニィ、こんばんは!」

「お前、何しに来やがった」

「散歩だよォ」

「そんなわけねえだろ」

「ハルベニィこそ何しているの?」

「俺は……何でもねえ」

「僕は森の呪いで助けられるよ?」

「ネビウスには言ったのか?」

「ネビウスは関係ないよ」

「だめだ。お前はすぐ帰れ」

「そしたら僕は外で見てるよ」

「嘘つけ。森の呪いでかますつもりだろ」

 ハルベニィは真剣に話しているというのに、カミットはにたにた笑った。

「笑ってんじゃねえ!」

 ハルベニィが強く言うと、カミットは急に真面目な顔つきになった。

「ハルベニィ。あのね、僕はこういう作戦のことをちょっとだけ知っているんだ。ハルベニィ一人よりも、僕が協力した方がきっと上手くいく。僕がやるって言ってるんだから、ハルベニィは拒むべきじゃないよ」

 カミットが急に上級市民のような話し方をしだしたので、ハルベニィは面食らった。

「でも俺はお前に返せるものなんて何もねえ」

「僕って魔人を五体も倒したけど、べつにご褒美が欲しいわけじゃなかったし、そんな大したものはもらってきていないよ。やりたいからやった。それだけ。今回もそう」

 ハルベニィはうんうんと唸り、そして決心した。

「……どうなっても知らねえからな! お前が勝手にやったことだからな。後で恨んだりすんじゃねえぞ!」

「よし。それじゃ、がんばろう!」

 カミットは戦士がそうするように拳を突き出した。ハルベニィは乱暴に手を出し、カミットと拳を突き合わせた。

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