第211話 兎の巣穴街(7)
夏の終わりの満月の夜。
兎のふりをした獣たちが巣穴から這い出てくる。彼らは久しぶりの月明かりを眩しがり、影を好んで歩く。
地下では最も恐れられるグリンベルが今は空を気にしていた。
「塔の魔人は死んだって言われているが本当だか」
「死んだよ。僕が倒した」
「ああん? 何言ってんだ」
「本当だよ」
今宵、グリンベルの傍らには彼の側近の男が二人と、それに加えてカミットがいた。
グリンベルが率いるのはいつも少数の精鋭だけであり、それは彼自身の強さゆえに、誰かに守られる必要がないからであった。また地上に出るときでは、衛兵や魔人に見つからないようにするためでもある。
牢獄の都で随一の強者であるグリンベルはカミットに他者とは少し異なる言い方でなにやら実感の籠もった口調で語った。
「魔人は死にやしねえ。簡単に殺したとか言っちゃならねえ」
「うーん。……そうかも」
カミットにとっても、ほんの数ヶ月前に森の魔人が復活したことは記憶に新しかった。しかもそれは以前よりも遥かに強大な力を伴う劇的な復活であった。このことがあって、カミットは塔の魔人が完全に死に絶えたとまでは思っていなかった。
そうではあるが、今はたしかに牢獄の都の空は恐ろしい翼の大蛇とその乗り手である塔の魔人から解放されていた。
地下の罪人たちは最初は隠れて歩いていたが、塔の魔人が本当に不在にしていると感じ始めた。そのうち彼らの中には堂々と通りを行く者まで現れた。
そんな中でもグリンベルはこのように言って、影の中を歩いた。
「魔人が死んでも翼の大蛇は生きているんだ。目立たないに越したことはねえ」
墓荒らし衆は全員が呪いのマントで気配を消しており、徹底して闇に潜んだ。彼らは地上の街を行く人々の視線を避け、その存在が月明かりに暴かれぬようにした。
そのようにひっそりと歩いていくとき、牢獄の都のどこからでも大神殿の尖塔が見えていた。
それは月の守り子の居城であった。月の守り子は月の化身と交信を通して、都市の全域の呪いの巡りを監視しているとされる。
カミットは感づいた。
「あれェ、もしかして会合の場所って……?」
牢獄の都の中央には月の大神殿がそびえ立つ。大神殿は普段は閑散としており、人がいるとしても神官の見定めを受ける市民がぱらぱらと訪れるくらいである。
そうだというのに、この夏の終わりの満月の夜には、怪しげな者たちが月の大神殿に集まってくる。彼らが信心深いはずはなく、またその身に負った罪の償いをするつもりもない。
それにもかかわらず彼らはまるで模範的な信仰者であるかのようにして、礼拝堂で祈りを捧げる。
墓荒らし衆は礼拝堂の前方座席の一角を占領した。カミットはグリンベルの隣に座って静かにしていた。
やがて鐘が鳴った。
からからと音をさせて、車椅子の女の子が現れた。金色の髪が美しく、消え入りそうな華奢な女の子である。彼女は神官の列を率いて祭壇上に王者のように君臨した。彼女は集まった者たちに語りかけた。
「最も罪深き者たちよ。お前たちはこれまでの全ての夜を穢してきた。これからの全ての夜もまた、お前たちによってより暗く、惨めにされるのだろう。
月の化身は見ている。
その御前にて、その罪を告白しなさい。」
この言葉が会合の始まりの合図だった。
それぞれの座席で話し合いが始まる。グリンベルは近くの席に集まっていた商人衆と話し合いを始めた。
カミットはそれらの話し合いには関係がないので、彼は勝手に動き始めた。探していたのは元神官の罪人たちから成る背信仰衆の罪人たちである。
ところがカミットは礼拝堂の中を一通り歩いて様子を伺ったところ、それらしき人々は見つからなかった。
こうしてうろちょろしていると、カミットはふと視線を感じた。
祭壇を見やると、車椅子の少女が虚ろな様子でおり、彼女の背後には神官が並び立っている。この者どもがいったいどういうつもりでこの場にいるのか、カミットは不思議に思った。
カミットが祭壇に近づいていくと、神官たちが進み出てきて、カミットの前に立ちふさがった。会場の話し合いが一瞬止まり、全ての視線がカミットに注がれた。
一悶着が起きそうになったとき、奇妙な声が響いた。
「案ずるな、罪深き者たちよ。お前たちの了見ではない」
神官たちがばっと横に退き、カミットの前に車椅子の女の子が再び現れる。
その膝には金色の兎がちょこんと座っていた。ミーナやプロメティアたちとのおくすりによるお勉強で、夢の世で出会っていた金色の兎である。声や仕草もそのままであり、やはり夢と現実が繋がっていたことが明らかとなった。
カミットは確信して言った。
「君が月の化身なんだね!」
金色の兎は目を細め、カミットを睨んだ。
「お前の考えなど知らぬ。こんなところにまで来しまって、私は呆れているぞ」
「あのさ! 神殿から盗まれた物を僕が取り返してあげるよ!」
「何のことやら。私にはさっぱりだ」
「だからミーナを守り子にしてよ!」
「分からぬことを言うな」
ここでカミットはふと浮かんだ疑問を口にした。
「その女の子が守り子なの?」
「そう呼べば、そういう存在にもなり得ような」
金色の兎はもったいぶった口ぶりで曖昧に答えた。
そんな風なので、この会話はほとんど意義をなさなかった。
ところが最後に一つだけ、カミットが聞いてもいないのに、金色の兎の方から語った。
「一本の名簿書簡がどこかに行ってしまったのだ。もう一度作れば済むことではあるが、我々はそれをどこに落としてきたのかと不思議に思っているのだ」
この後、会議は終わり、カミットはグリンベルのところに合流した。グリンベルはカミットを褒めた。
「よく大人しくしていたな」
「んん? まあね。神殿の名簿が盗られたんだって」
「市民名簿か」
「そんな物を盗んでさ、意味あるのかな?」
「分からねえな。人探ししているやつがいるのかもな」




