第203話 岬の古塔(5)
神殿のおくすりはカミットを不思議な夢の中へ連れて行った。その夢は毎回決まった場所で同じような内容であった。
プロメティアたちは月夜の海で小舟を出し、そこで金色の兎が物語るのを熱心に聞き、ときには問答し、そうすることによって幻想の世を確かな物にしていくのであった。
小舟が向かう先には岬の尖塔があった。講義はそこにたどり着く前にいつも終わってしまう。
金色の兎が示唆したことには、
「真実に辿り着くプロメティアはただ一人だけである!」と。
カミットはどうにかその尖塔に行けやしないかと思い、その方法を探り始めた。色々な舟に乗ってみたり、とぼけて海に飛び込んで泳いでいこうとしたり、様々試した。しかしどの方法でも岬の尖塔に辿り着くことはなかった。
カミットが必死になって泳いでいると、小舟がすうっと近づいてきて、上から金色の兎が話しかけた。
「この水を浴びて不死になることを期待したか? そういう効果はここにはないぞ」
カミットはぷかぷかと泳ぎながら会話に応じた。
「死ぬことなんてどうでもいいよ。僕はあそこに行きたいんだ!」
「なんと! その魂はおびただしい命の上に紡がれた。だからお前はそのように死を軽んじるのだ」
「僕はミーナが死ななければ、それでいいよ」
「プロメティアは皆が等しく価値ある犠牲なのだぞ」
「僕はそうは思わないな! 大事なのはミーナだけだよ!」
「なにを! わがままなやつは懲らしめてやる!」
金色の兎はぴょんと飛んで、カミットの水面に出ている頭を踏みつけた。
カミットは「んぐごっ」と呻いて、金色の兎を払いのけようとしたが、兎は纏わりついて離れず、カミットの頭をぽむぽむと踏みつけ続けて、そうしているうちにカミットは満足に息継ぎができなくなり溺れてしまった。
苦しくて、辛くて、こんな夢があってたまるかと思っていると、カミットはいつもの講堂で目を覚ました。夢の中ではおぞましい秘密が明かされ、ろくでもない展開になり、そして夢から覚めるというのがいつものお決まりだった。
これらの体験はカミットを少しばかり疲れさせたが、彼の精神の核の部分は全く損なわれなかった。それどころかミーナが置かれている不幸な状況を理解するにつれ、それを打ち破ってやろうという気持ちが燃え上がった。
カミットはすでにヒントを得ていた。おくすりがもたらす夢の世は繰り返される実体を伴っており、それ自体はたしかに存在する空間のように思われた。すなわち夢の月夜の海で真実のプロメティアに辿り着きさえすれば、ミーナは守り子として見定められるに違いなかった。
現実の牢獄の都は冷風の吹きすさぶ月の半島にあって、その先端の岬には塔の魔人が占領していた古塔が佇んでいた。その姿は夢の月夜の海で見た尖塔と似通っていた。
あそこに何かあるぞ、とカミットは確信した。
その夜、槍を携え、弓を背負い、彼は岬の方へ出かけた。
月夜の雲に紛れ、ふわふわと綿の葉の羽が浮かんだ。森の呪いはあらゆる植物を生み出し、それらを組み合わせて用いることで様々な道具を作ることができる。綿の葉の羽に蔓を結び、大きめの葉っぱを折り曲げて椅子にすれば、カミットは空を飛ぶことだってできた。
地上の街はたくさんの衛兵が見張っており、岬の方はより厳重に警備されていた。警戒の目をかいくぐるのは困難であり、そこで彼は空を飛んだのである。
塔の魔人亡き今、都の空は無防備だった。カミットは兵隊たちを眼下に見て、悠々と飛んで、いよいよ岬の尖塔に迫った。
カミットが上手くやって着地しようと企んでいたところに突風が襲った。
綿の葉の羽は制御を奪われ、風に吹かれた。
カミットは操作のための蔓を引っ張るも全く効果がなく、パニックになってわあわあと騒いだ。
そうして彼が乗る植物による飛行装置は引き寄せられるようにして飛んでいき、岬の尖塔にふぁさりと被さって止まった。
カミットはぼそりと呟いた。
「危なかったァ……」
そのあとは彼はすぐに落ち着いて、蔦を渡って、塔の最も高い部屋の窓に移った。そうしてから綿の葉の羽を枯らして処理した。
尖塔の周囲には海と牢獄の都が広がり、海の向こうには何もなく、街の向こうには巨獣山脈が横たわって、その絶壁が牢獄の都を封鎖して、月の半島はこの世とは思われない隔絶された空間のように思われた。
その全てを見やることができるのが岬の尖塔だった。
カミットはため息をついた。
なんて寂しい場所なのだろう、と思って。
彼は部屋の中を見渡した。
塔の魔人が暮らしていたと思われる部屋は、家具や調度品は古めかしく豪華な物ばかりで揃えられていた。手入れが頻繁にされているのか、生花の飾り付けが美しくされており、その趣にカミットは不思議な懐かしさを感じた。
彼は花びらがかけられた絨毯の上を歩いた。
部屋の壁一面に掘られていたレリーフ画を見たとき、彼は息を呑んだ。
終わりの島と思わしき島の上に巨樹が描かれていた。その巨樹を崇める人々、さらにその人々の周りには獅子、兎、鳥、鯨が描かれていた。
カミットはそれを観察し、ぽつりと呟いた。
「大地の化身がいない……?」
考え込んでいた彼の背後に人が立った。その人物がカミットの耳元で囁いた。
「あなたは誰?」
カミットは驚いて飛び退いた。ほとんど反射的に彼は槍を構えてしまっていた。
話しかけてきた女の子は森のドレスを着て、フードを被って顔を隠していた。
その女の子はカミットが槍を向けていても気にしておらず、さらに質問した。
「ここへどうやって来たの?」
カミットは槍をしまってから、落ち着いて言った。
「僕はネビウス・カミット! よろしくね!」
「ネビウスですって?」
「うん? 僕はネビウスの子のカミットだよ! 君はネビウスの友達?」
「……いいえ。その人と私は友達ではないわ。どこかで聞いたような名前と思っただけ……」
「そっか!」
窓の方から差し込んでくる月明かりだけでは、女の子の顔がよく見えなかった。
とはいえ、カミットはその女の子の正体が分かっていた。
「君が本物のプロメティアだね!」
この質問に女の子は答えなかった。彼女はフードで隠された暗がりの中から、カミットを観察して、そして質問した。
「あなたは何をしにきたの?」
「あのね! 僕の妹のミーナが守り子になりたいんだ! 会ってあげてほしい!」
「そういうことなのね。あなたは妹思いの優しい男の子なのね」
女の子がしみじみと言ったので、カミットは照れた。
「そうでもないけどね。ミーナは僕の妹だからさ!」
「そう。……でも、私がその子に会うことはできないわ。それを決めるのは月の化身なのだもの」
「なんで!?」
カミットはその女の子に怒って近づいた。
女の子はひらひらと走って逃げて、寝室のベッドに倒れ込んだ。
「こっちよ、こっち」
女の子はからかうようにカミットを呼び込んだ。
カミットは女の子の顔を見てやろうと思って、そのフードを中を覗き込んだ。
ちょうど月光が差し込んで、少女の顔を照らした。
それは干からびた少女の遺体だった。
しかも、それは舌が切り取られて、呪詛を発することがないようにされていた。
先程まで生き生きとしていたのが、今は動くことがなく、ベッドの周りの溢れんばかりの花に囲まれて眠り続けている。
カミットは仰天して、ひっくり返り、いったいどういう幻覚を見ていたのかと怖くなり、走って逃げ出した。
するとちょうど同じタイミングで、塔の下層階が騒がしくなり、戦士たちが突入してきた。カミットが侵入したことが発覚したのである。
カミットは階段を降りて逃げることができなくなり、入ってきた大窓から綿の葉の羽で飛んで逃げようと企んだ。
だだだっと大窓に向かって駆けていったとき、彼が勢いよく飛び立とうとしたその瞬間に、窓全体を覆う蔦の葉が張り巡らされて、カミットはそれに阻まれて止まるしかなくなった。
カミットはそれをしたのが彼自身の森の呪いだと思いこんで怒った。
「なんだこれ! 邪魔しないでよ!」
彼がぎゃあぎゃあ叫んでいると、その背後から落ち着いた女性の声がかけられた。
「カミット、止まりなさい」
カミットはその声を知っていた。正体が分かられてしまっていては、ここから逃げても無駄であり、彼は観念した。
その人は継承一門の十二剣師、かつて森の王家の姫であったその人の名はレッサであった。




