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ネビウスクロニクル  作者: 石井
牢獄の都編
202/259

第202話 岬の古塔(4)

 現在、ミーナは十三歳である。彼女は十四歳になったときには月の化身(ルナテイア)の見定めを受けて、それに合格すれば月の守り子になるが、もしも不合格になればそのまま生贄いけにえとして食べられてしまう。

 近頃のカミットは猛烈に頭を悩ませていた。彼はなんとしてもミーナを月の化身(ルナテイア)の見定めに合格させ、彼女を守り子として生き延びさせねばならないと思うようになっていた。

 それは彼がミーナの兄だからであった。兄とは父に次いで責任ある地位であり、十四歳にもなって成人すれば、父不在のネビウス一家においてはカミットが家長になる。家長は家族を守る義務があり、それをカミットはうっすらと自覚しつつあったのだ。

 ミーナの誕生日は冬の終わりの月であり、今は春の真ん中の月である。残された時間は決して長くなかった。それまでにミーナを守り子にふさわしい人物に仕立て上げねばならなかった。

 月の化身(ルナテイア)の見定めがいかなる内容なのかは謎に包まれていたが、プロメティアたちが神殿で熱心に勉強していることから、信仰に関わる知識の習熟度を問うものと予想された。

 そこでカミットはミーナの勉強を手伝ってやろうと考えた。カミットは職人組合ギルド職員の昇級試験に合格するために、大いに勉強したことがあった。その経験を活かして、ミーナを応援できると思ったのだ。

 ここで障壁が現れた。信仰の学ぶべき知識は文字で書き記されておらず、全てのことは講義で口伝えによって行われるので、その場で聞いて覚えなくてはならないというのだ。カミットは職人組合ギルドの試験においては師匠のエニネから秘伝の対策書を与えられて挑んだことで難なく合格を勝ち取ったが、そのやり方は今回は通用しないのである。

 やむを得ず、カミットは神殿のお勉強会に自ら乗り込むことにした。

 カミットが平然とミーナの隣に座っていても、誰も気にしていない。プロメティアたちは同胞の間だけで認知と交流をし、それ以外の他者を存在しないかのように扱った。このことはカミットにとっては都合が良かった。

 こうして彼は可哀想な妹のために勉強する環境を整えた。ミーナはあまり物覚えが良くないので、カミットがしっかりと知識を覚えてきて、それを家でミーナに復習させてやればよいのである。

 今日もまた、車椅子の金髪の女の子が講堂の壇上にやってきて、一同に挨拶する。

「こんにちは、私の中の私達」

 挨拶のあとには講義が始まる。

 そして気づけば終わっている。

「……あれえ、終わっちゃった!?」

 講義内容があまりにも退屈で、彼は開始早々に寝てしまっていた。カミットはミーナに揺すられて目を覚まし、驚愕したのであった。

 彼は自分自身に失望しつつも、問題は彼以外にもあると感じていた。率直に言えば、講義そのものがお粗末なのである。彼はこれまでに何人かの人に師事してきたが、それらの偉大な人々は誰もが専門とする分野について学ぶための明確な指針を示してくれたものであった。

 ところが信仰の学びは掴みどころがなく、何が重要であり、それが何のために活用され、どのように役立つのかが曖昧だった。しかも講堂の中で座って話を聞くだけなので、体験と実感に乏しく、それが生きた知恵として体に入ってこないのである。

 カミットが困っていると、ミーナが助言した。

「おくすりを飲むと、信仰のことがよく分かるようになるのよ」

「えぇ……。そうなのかなァ」

 このままではどうしようもないので、カミットはその次の講義のときには配布されたおくすりを飲んだ。舌先に触れただけでも酷い味がして、味を意識すると辛かったので、小瓶の薬をぐいっと飲み干した。

 その直後から頭がクラクラしだして、視界がぐるぐると回りだした。

 回転する視野の中で講堂の景色が雨溜まりの底の濁りをかき回すようにして変わっていき、深いきりの中に迷い込んだような錯覚に陥った。

 霧を進んでいくと、潮騒しおさいのざあざあという音がして、足元に小さな波がかかった。

 いくらかきりが晴れ、そこは月夜の下の海であった。

 岸には小舟がたくさんあった。

 そこに金色の髪の少女たち、月から零れ落ちたプロメティアたちが乗り込んでいく。カミットは彼女らと一緒に一艘の小舟に乗り、足が不自由な女の子を取り囲んだ。

 その女の子のひざには金色のうさぎがちょこんと座っていて、小舟が海へと漕ぎ出すと、そのうさぎが流暢に喋り始めた。

「精霊に見初められし者たちよ。永遠の国の民たちよ。真実のプロメティアはなお目覚めぬ。あのお方はひつぎで眠っておられる。今宵もまたお前たちの祈りが可哀想なあのお方を慰めるだろう」

 女の子たちは「まあ、すてき」「愛しいあのお方」「早くお目にかかりたいわ」などと口々に言って、きゃっきゃと喜んだ。ちょっと前まで講堂で無表情かつ無言でいた様子とは大きく違っていた。

 カミットは金色のうさぎに質問した。

「あのお方って誰?」

「んん? お前は誰だ」

「僕はネビウス・カミットだよ。よろしくね!」

「お前はプロメティアではないようだな。なぜここにいる?」

「僕も勉強したいんだよ。ねえ、あのお方って誰?」

「ふむ。それくらいのことはプロメティアでないお前も知るべきであろうな。あのお方とは、誰なのか? さあ、知っている者が答えよ」

 すると、ミーナが手を上げて、すっと立ち上がった。彼女はなにやら陶酔している様子で朗々と語りだした。

「あのお方は私達のお母さん。私達を愛し、私達をはぐくみ、私達をこの世へ送り出し、そしてあの世へと迎え入れてくれるお方。それが真実のプロメティア!」

 カミットは即座に疑問を持った。

「じゃあ、ここにいるみんなは偽物のプロメティアってこと?」

 この質問には別の小舟の女の子が答えた。

「いいえ。私達は私達全てがプロメティア。真実の内側から零れ落ちた小さな真実」

「それが私達、プロメティア。永遠の国を愛し、はぐくみ、夜闇の中に照らす」

 続々と女の子たちが語る。

天秤てんびんだけでは量り取れないものを見つける」

「ネビウス・カミット。あなたにはそれが見えていて?」

 誰も彼も、全員がミーナとそっくりであり、カミットはさっきまで隣にいたはずのミーナがどのプロメティアなのか分からなくなっていた。

 意味不明なことを語る女の子たちが気味が悪くなった。彼は隣に立っているミーナに呼びかけた

「ミーナ! ここは何だか変だ!」

「ミーナ? なぜその名前を知っているの? それはあのお家で飼っていたうさぎの名前よ。私がプロメティアになるときに、お祝いでみんなで食べたのよ。お肉を食べるのはとっても久しぶりで、本当に美味しかった。かわいいミーナはおいしく食べられて、みんなを幸せにしたのよ!」

 カミットは気分が悪くなってしまい、強い吐き気に襲われた。

 彼はげえげえ吐いて、涙と鼻水を流して苦しんだ。

 すると彼を優しく抱いて、助けてくれた人がいた。

 隣にはミーナがいた。彼女はカミットを心配して背をさすった。

 気づけば、そこは神殿の講堂であった。

 カミットがそのような状況になっていても、講義は何事もないかのように続いていた。現実のプロメティアたちはカミットをやはり認識していないようだった。

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