第201話 岬の古塔(3)
ミーナが体調を崩した。
ネビウスは一番最初にミーナが神殿で薬を飲んでいるのかを確認した。
このときミーナは「飲んでいる」と嘘を言った。実際には彼女はカミットが唆した日から数日の間、薬を飲んでいなかった。
ともあれネビウスが看病し、その間はたしかに薬が与えられたので、ミーナはまた元気になった。
そのすぐあとにネビウスはカミットを呼び出した。カミットは叱られると思って恐々としていたが、彼の予想に反し、ネビウスは淡々と講義を始めたのであった。
「牢獄の都ではね、ミーナは呪いの蝕みを緩やかにするためにお薬を飲まなければいけないのよ」
カミットは心から謝るつもりでいたのだが、彼の関与がネビウスに知られていないと気づくと、すっかり安心して、余計なことを言わないでおいた。そうすると気になってくるのはミーナとプロメティアたち、そして月の化身のことである。
「なんで? ミーナは今までは平気だったのに……」
「この土地ではそうなのよ。ここでは夜の精霊の影響が強いから」
「だったら、こんなところは出ていこうよ。ミーナが調子悪いなら、ネビウスが見ていてあげればいいんだよ」
「それはできないの。私がミーナと一緒にいられるのは彼女が十四歳になるまでだから」
「なんで?」
「そういう決まりごとなのよ」
「ミーナが月の守り子になるの?」
「それは分からないわ」
「月の化身が決めることだから?」
「そうよ」
カミットがさらにあれこれ聞こうとするも、ネビウスは制して言った。
「そういうわけだから、ミーナはおくすりを飲まないといけないの。あなたも少しだけで良いから心配してあげてちょうだい」
「分かったよ」
この日からカミットはミーナを少し注意して観察するようになった。
ミーナは牢獄の都に来て以降、しばしば咳き込んでいたり、熱を出したり、お腹を痛くしたり、ひどい時ではめまいを起こして転倒したりと、様々に体調を悪くしていた。
その様子を見ているのは居たたまれず、カミットはどうにかしてミーナを牢獄の都から連れ出せないかと思案して、ネビウスに何度も提案した。
ネビウスはカミットのしつこい訴えを退けるのが面倒になってか、あるときあっさりと真実を白状した。
「プロメティアは十四歳になるときに牢獄の都にいないとね、闇の呼び声で化身にされてしまうのよ。そのときにミーナは月の化身の見定めを受けないといけないのよ。だからミーナをこの街から出すことはできないわ」
カミットは言葉を失って、その場に立ち尽くした。
このようにカミットが狼狽していた一方で、当事者であるミーナは最初からその運命を知っていた様子であり、実に穏やかなに日々を暮らしていた。日に日に痩せて、顔色も悪くなっていくというのに、彼女はその苦しみに不平不満を言うことなく耐えていた。
そのミーナがふらつく足取りで台所へ向かっていって、夕食の料理をしようなどという。
このような状況に至り、カミットの中に気の毒な妹を思いやる気持ちが急に湧き上がってきた。
「僕がやるよ! ミーナは休んでていいよ!」
「え、でも。お母さんが家事をやりなさいって言ったの……」
「ネビウスには僕が言っておくからね!」
カミットは実にほぼ一年以上ぶりに台所に立った。
彼の前には物言わぬ兎が横たわっていた。
包丁を不慣れな手付きでぐっと握り、兎の首に振り落とした。
どすんとやると、ぶしゃあと吹き出した。
カミットが思っていたよりも血の出方は激しかったが、怯まずにどすどすと包丁で叩き切った。夢中でやっていると、台所はあちこちが真っ赤っ赤である。
あまりにもどたばたやっていて、心配したミーナが様子を見に来た。
「大丈夫? やっぱり私がやろうか?」
カミットはミーナをきっと睨みつけて、
「ミーナは休んでいるんだよ!」と言いつけた。
「……うん。ありがとう」
カミットは包丁をぎこぎこやったり、無理やりに内蔵を引っ張り出し、力ずくで皮を剥いだりと懸命に取り組み、ようやくして食べられる肉を取り揃えた。
それをそのまま鍋に放り込もうとしたとき、カミットはまた背後に気配を感じた。
「ミーナはあっち行ってて! って、あれえ!?」
彼が振り返って注意しようとすると、そこに居たのはネビウスである。
ネビウスはにこにこと笑って、カミットに優しく話しかけた。
「珍しいことしているのね」
「うん。ミーナが体調悪いから、僕が料理をするんだ」
「あらまぁ。そしたら、私が教えてあげるわ」
「僕、肉を焼くくらいできるよ。あとは野菜切ってくっつけるだけだよ」
「ちゃんと下味つけて作れば、もっと美味しくなるのよ」
「ふーん。そっか」
ネビウスが一緒にやってくれるとなると、カミットは急にやる気が萎んでしまった。あれをしろ、これをしろと言われてやる料理は面白くなかった。
カミットは骨にこびり付いた肉片をかじったりして、ネビウスの手際をぼーっとして眺めた。
ネビウスはカミットを注意した。
「生肉は食べちゃだめよ」
「んん? だめなのは知っているけど、でも美味しいんだよ」
「お腹を壊すのよ」
「僕は大丈夫だよ。コウゼンも食べてたよ」
「病気が入っていることがあるのよ」
「コウゼンは元気だよ?」
「あんな屈強な男が何かのときにコロリと逝くのよ。積み上げてきた実績とか努力がそれでおしまいよ」
「……本当に?」
「本当よ」
「うーん。そっか」
カミットは口の中で咀嚼していた肉をぐぺっとゴミ箱に吐き捨てたのであった。彼は一応はネビウスの言うことを聞き、一緒に料理に取り組んだのであった。
その後もミーナは体調を悪くしたり、回復したりを繰り返しながら、それでも神殿通いを続けた。ただでさえ健康が優れないというのに、それなりの距離を毎日徒歩で行き帰りするのは彼女にとって大きな負担だった。
そこで、カミットは手持ち無沙汰な日々を過ごしていたこともあって、ミーナの送り迎えをしだした。ミーナが道端で倒れたりしないように助けるためである。
このときカミットは名案を思いついた。彼の相棒の子猪のヤージェがミーナを乗せてやれば良いのだ、と。
ところがヤージェは人間の膝くらいの背丈しかない本当に小さな子猪である。呪いの力で一時的に体が大きくなることはあるが、普段はそうはならない。
それでもカミットはこの考えを強行した。彼はヤージェを引っ張ってきて、ミーナの前に立たせた。
「ほら、乗ってみて!」
ミーナは不安がった。
「え……、でも、ヤージェが潰れちゃうよ」
「大丈夫だってば!」
よいしょ、どすん。ぶぎいっ……!
ミーナが乗っかった途端に、ヤージェは悲鳴を上げて潰れてしまった。カミットは大慌てでミーナを引っ張り起こして、ヤージェを助けた。ヤージェはカミットの無理強いを恨めしそうに睨んで、威嚇の唸り声を出していた。
こうしてカミットの試みは失敗したが、ミーナはその後の神殿通いのときには辛そうに歩きながらもよく笑った。
「カミットが一緒に居てくれるだけで元気になるわ」
「本当は神殿通いなんかしないで済んだら良かったのにね!」
「お勉強しないといけないから」
「なんで勉強なんか……、そんなことしたって意味ないよ」
「うん。きっとそう。たぶん私じゃ無理だわ」
「無理って?」
「月の化身の見定めがあってね、私達の中の一番賢くて優れている者だけが次の守り子として認められるのよ」
「へえ。合格するのは一人だけ?」
「うん」
「なんだかなあ。合格しなかったら普通の神官になるの?」
「えっと。……あのね」
「ん? なに?」
ミーナは少しだけ言い淀んでから告げた。
「十四歳で月の化身から選ばれなかったプロメティアは月の化身の母霊に捧げられるの。そうしないと私達は呪いの化身になってしまうから」
呪いを背負う者の最期は終わりの島のどこであっても同じだった。それがいつになるかが厳密に決まっていることを除けば、夜の呪い子であるミーナもまた例外とはなり得ないのであった。




