第200話 岬の古塔(2)
階段を降りていくと、その地下に街が広がっていた。
牢獄の都には終わりの島の罪人が運び込まれ、その数は年々増えている。しかも彼らは罪人とは言っても、牢獄の都では市民として普通に暮らすので、結婚もすれば子供も生まれる。
その結果、牢獄の都は北の半島の小さな都市としてはとてもではないが収まりきらない人々を抱えて、しかもそれが増加の一途を辿っている。その莫大な人口を収容するために、地下都市は無制限に拡張されてきた。
その人口の大多数はナタブ人種からなり、彼らの様子は簡潔に述べるならば、貧乏で不潔である。
臭い! 汚い!
カミットは地下街に入るなり、最初にそのように思った。終わりの島の都市はどこでも管理が行き届いて清潔にされているものだが、牢獄の都の地下はどこもかしこも汚く、道にはゴミが散らかっていた。
通りには、ボロ布を着た人々が行く。道の脇に人が転がっていると思って見れば死体である。街中では強盗や殺人が日常茶飯事であり、カミットがほんの少し歩いた間にも、街角では騒ぎが起こっていた。
大変なところに来てしまったのだとカミットはようやく理解した。こんなに危険な場所ならば、事前にそうと教えておいて欲しかったとネビウスを恨んだりしつつ、カミットは外套を着て、フードを深く被って、目立たないようにしてこっそりと歩いた。
地上の神殿に対応する場所には、地下にも神殿の塔があった。その塔は地上の神殿と繋がっており、市民の管理を円滑にするのだろうと思われた。
各地には大小様々な神殿があり、その周囲には精霊の光がぽわぽわと浮かんで舞っていて、それが地下街全体を照らしていた。
カミットは金色の髪の女の子の行方を追っていた。なぜこんなにも気になるのか、彼自身が不思議がったほどだが、それはきっとその女の子が他の市民とは違った存在のように感じられ、その正体を明かす必要があるとなぜだか思えたからだった。
気配を追っていくと、気づけば彼は地下大神殿の前に来ていた。
カミットは何食わぬ顔で神殿の正門口から入った。
そこであの金色の髪の女の子を見た。彼女はさっと走って、神殿の奥へと消えていく。カミットは市民でいっぱいの礼拝堂を横切り、その女の子を追った。
大神殿の入り組んだ通路の中を彼は走った。
その女の子の影に導かれるようにして、彼はそこへ辿り着いた。
カミットが勢いよく駆け込むと、そこは円形講堂の壇上だった。周囲には座席があって、そこに金色の髪の女の子たちが百人以上も座っていて、彼女たちが虚ろな表情でカミットを見下ろしていた。
カミットは思わず叫んだ。
「ええ!? なんだここ!」
その声が講堂の静寂の中に響き渡った。そうだというのに女の子たちは一言も喋らず、ただ無言でカミットを見つめている。その女の子たちは全員が、ぞっとするほどミーナとそっくりな見た目をしていた。全員がこの世の人とは思われないほど美しくて、まるで作り物の人形のようだった。
カミットはいたたまれなくなり、その場から逃げ出そうとした。
ところが入ってきた扉が閉ざされてしまった。
ごうん、ごううん、と鐘が鳴った。
カミットがパニックになってあたふたしていると、一人の女の子が進み出てきた。彼女はカミットの手を引いて、席まで連れて行った。
「こっち」
「んん? ミーナ?」
「うん」
「そっか! 良かった!」
その女の子はミーナだったのだ。ミーナ以外の女の子も全員がそっくりな外見をしていて、カミットにはすぐには判別できなかったのであった。
「もうお勉強会始まるから」
「あのさ。みんな、ミーナとそっくりだね」
「うん。そうなの」
しばらくすると、車椅子の女の子が神官に付き添われて壇上に現れた。やはりミーナとそっくりな、金色の髪をした美しい女の子である。
その女の子が聴衆に向かって呼びかけた。
「こんにちは、私の中の私達」
それに女の子たちが応える。もちろんミーナも。
「こんにちは、私達の中の私」
呼びかけと応答は続く。
「今日も会えて嬉しいわ」
「私達も嬉しいわ」
「私を愛してくれている?」
「私達は愛しているわ」
「ありがとう」
「どういたしまして」
カミットは彼女たちのやりとりを眺めて、背筋が凍るような気がして、ぞっとした。人と人の温かみのある交流ではなく、奇妙に原始的で実感のない言葉の投げ合いがされているように思われたのだ。
「お勉強の前におくすりを飲みましょうね」
受講者の女の子たちに小瓶に入ったおくすりが配られた。それが何故か、カミットの前にも一本置かれていた。
「んん? なんで僕の分まで」
カミットが首を傾げていると、ミーナがにこりと笑いかけて言った。
「一緒にお勉強しましょ?」
「えぇ……。僕はそういうのはしたくないよ」
ミーナはカミットに一緒にしようと言ったが、当の本人はその薬を飲むのを躊躇っていた。カミットはそれで閃いた。地上の路地裏で怪しげな集会が開かれていたが、彼らのスープは「おくすり」だったのだと思い至ったのだ。
それならばその不味さも頷けるところであり、いったいどうしてそのおくすりが必要なのかカミットには分からなかった。
「ミーナはどこか体が悪いの?」
「え……。うん、きっとそうなの」
「でもネビウスは何も言ってないよね?」
「うん」
カミットはニタニタと笑って、ミーナの薬を引き寄せ、自分の物と一緒にして、それを手元で呪いの植物によって吸い取らせた。
ミーナは目を丸くして、次には慌てた。
「飲まないと怒られるのよ」
カミットは悪い顔で笑って、平然と言った。
「ん? 今飲んだよ?」
「でも……」
「何か言われたら僕が言い返してあげるよ。ネビウス以外の人が作った薬なんて飲まない方がいいよ」
「……うん。わかった」
二人でこそこそ話している間にも、空き瓶が回収されていく。
そして講義が始まったのだが、カミットは話を聞いているとたちまち眠くなって、講義が終わってミーナに起こされるまで熟睡してしまったのであった。
カミットはさすがにこれは失敗したと思い、心配して、ミーナに聞いた。
「先生は怒ってなかった?」
「ううん。私達は私達以外が見えていないから」
「どういうこと?」
「え……。どうって、そういうことだけど」
「なんで? だって僕は目の前にいるんだよ?」
「なんでって言われても……」
ミーナが要領を得ないことを言うので、カミットはこのことは帰ってからネビウスに聞くことにした。
彼はもう一つ気になっていたことがあった。
「なんだかここの人たちはミーナとそっくりな見た目だよね」
「うん。だって私達は元々一緒だから」
「んん? ……どういうこと?」
どうせミーナはまた分からないと言うのだろうと思いつつ、カミットは期待しないで聞いた。
ところがミーナは滑らかに答えた。
「私達はプロメティア。月の化身の零れ落ちた涙が弾けた粒たちの内の一つ。私達の誰かが月の守り子になるの」
重大な秘密が明かされたように思われ、雰囲気がにわかに緊迫した。
カミットはごくりと息を飲み、もう一度聞いた。
「それって、どういうこと?」
するとミーナは困り顔になって、
「どういうことって言われても。分からない」ともごもご言った。
カミットはがくりと肩を落とし、ハァと大きくため息をついた。彼にしてみると、ミーナはやはり愚図で冴えない妹なのであった。




