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ネビウスクロニクル  作者: 石井
序章
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第2話 秘境の里(2)「秘境の里の軽やかな滅び」

 カミットが十歳になるまでの間で、森の呪いがネビウスの家を吹き飛ばしたのは、合計二十三回であった。ネビウスは家が壊れる度に「困ったもんだわ!」と軽い愚痴ぐちを言い、悠久ゆうきゅうの丘に向かって指笛を鳥の鳴き声のように響かせた。そうすると丘に点在する住居から友人たちがぽつぽつと出てきて、彼らはネビウスの家の建て直しを手伝ってくれた。

 十歳になったカミットはすっかり自分で考えて、動くようになった。最後の家の建て直しになったその日、彼もノコギリやトンカチを持って、木材を切ったり、釘を打ったりしていた。

 カミットが周りを見ると、十人以上も集まったネビウスの友人たちはせっせと作業をしているというのに、家主のネビウスは庭先に移動させた安楽椅子いすで揺られながら、丘の向こうの空を眺めていた。カミットはネビウスにそっと近づいた。


「坊や。いたずらはお止し。今は構っていられないのよ」


 ネビウスは後ろに目がついているのか、忍び寄るカミットの気配を察して注意した。

 カミットは首をすくめて、ネビウスの近くに寄った。なまけているならおどかしてやろうと思ったのだが、ネビウスの横顔は真剣そのもの。彼女の瞳は左右で青と赤の異なる色であやしく煌めき、ただ美しい景色を眺めてているわけではなかった。普段ならばカミットのいたずらをまんまと食らうこともあるネビウスが、今は感覚を研ぎ澄ませているのだ。

 カミットはネビウスの普段と違う様子に不安を感じた。彼は恐る恐る尋ねた。


「どうしたの」

「あれをごらん


 ネビウスははるか遠くの空の黒々とした嵐雲らんうんを指差した。時折雷鳴が響き、鋭い光が放たれていた。かなり遠いにもかかわらず視認できるということは、その雷光はとてつもなく激しいのである。ネビウスは怪談話のような雰囲気で抑揚よくようたっぷりにして言った。


「あの雷はよそ者の仕業しわざね。それで、空の化身(アデケレ)が縄張りを荒らされて怒っているの。困ったわねェ」

「なんで困るの? 遠いところのことでしょ」

「遠くても関係はあるわ。風の守りが無くなったら、この里がダメになっちゃうのよ」


 カミットは息をんだ。物心ついてからずっと当たり前にあった秘境の里を失うなど、彼には想像すらできなかった。


「みんなはどうなるの」

「もしも本当にそうなったら、私達はそれぞれ散らばって、居心地の良い場所を見つけるまで旅をする。でもね、私は連中と違って、ぼんやり待っている性格ではないのよ」

「うん」


 ネビウスはゆっくりと立ち上がって、カミットの肩に手を置いた。


「里の外を見に行くわ。坊やのことはどうしようかしら」

「僕も行くよ」

「子どもと一緒に旅はできないのよ。坊やはヴェヴェに預かってもらいましょ」ヴェヴェとは里長さとおさの名前である。


 ネビウスが有無を言わさぬ恐ろしげな雰囲気だったので、カミットは食い下がることができなかった。





 丘の上の大岩は翼獣プテリオキロスの特等席だが、近頃はいていることが多かった。カミットはねてしまって、持ち場を放棄ほうきして、切り立つ大岩の上でだらりとしていた。

 呪い持ちのカミットにとって、近隣の山に住む巨獣たちは都合の良い友人となった。カミットがうっかり森の呪いを暴発させて巨樹でなぐってしまっても、巨獣の大きくて頑丈な体ならば大事にはならないからだ。

 カミットは指笛を高らかに鳴らして、友人たちに語りかけた。

 するとすぐに、遠方より羽ばたく影が見えて、だんだんと近づいてきた。羽音が聞こえそうなほどになったとき、翼獣プテリオキロスの大きな頭の無数の牙を持つ口が唾液であふれていることが分かった。翼獣プテリオキロスの目は瞳孔どうこうが開ききっており、その目から理性は消え去っていた。

 そのとき巨樹が大岩の下から回り込むようにして爆発的な勢いで発生して、翼獣プテリオキロスの巨体が突っ込んできたのを受け止めて押し返した。

 カミットは衝撃で吹き飛び、大岩の上から落下した。地面に激突しそうになったとき、土から急に生えた草花がクッションとなって、カミットを保護した。

 もしも森の呪いが無かったなら、カミットは突っ込んできた翼獣プテリオキロスに食べられていただろう。カミットが呆気に取られている間も、翼獣プテリオキロスと巨樹の激しい戦いが繰り広げられた。翼獣プテリオキロスは素早い動きで空を舞い、するどい爪と牙で巨樹を傷つけた。しかし巨樹は圧倒的な再生力で傷を修復した。そしてついには、巨樹は鋭く尖らせた根や葉を使って翼獣プテリオキロスを切りつけ弱らせ、伸縮自在のつるで縛り上げて殺してしまった。

 異変に気づいた里の民が駆けつけた頃には、翼獣プテリオキロスの巨体が流血にまみれて、大地を赤く染めていた。誰ともなく、指笛を鳴らし合い、やがて里の民の全員が集まってきた。

 ネビウスは里長さとおさと共に最後にやってきて、翼獣プテリオキロスむくろを見て、小刻みにうなずいただけだった。

 里長さとおさおごそかに語った。


「ついにとうとい血が流れた。獣たちは牙を向けてくることになる。里を放棄ほうきせねばならぬ」


 カミットは取り返しのつかないことをしでかしたのだと察した。人々の顔を見ていられなくなり、体中から汗が吹き出しながら、だまってうつむいているしかなかった。里の民と違って、それほど精霊の感じが良いわけでなくても、これまで自分を暖かく包み込んでくれていたこの世の全てが態度をひるがえし、他人のように振る舞い始めるのを予感していた。

 里の民は慌てず淡々と荷造りをし、準備ができた者からそれぞれ一人か二人で里を離れていった。ほとんどの民は昼過ぎには出発して、流血騒ぎから数時間で里から人の気配が消えてしまった。

 ネビウスも大急ぎで支度したくをしていたが、彼女の場合はカミットのことがあるので、里長と相談していて出だしが遅れた。

 カミットはもしや捨てられるのではと不安に思って、ネビウスの様子を注視していた。にわかに寒くなってきて、カミットがくしゃみをしていると、ネビウスが毛皮の上着をよこして、「ぼーっとしてないで、準備をするの。坊やは私と行くのよ」と言った。カミットは嬉しくなって、小さな革のかばんにナイフとランプ、それからおやつのパンを詰めた。

 夕方になってしまうと、夜の山越えは無理だったので、カミットとネビウスの出発は翌朝に持ち越された。

 その夜はとてつもない吹雪ふぶきが里を襲った。年中温暖な気候に包まれた里にしては異常なことであった。打ち付ける風と雪が建て直し途中のネビウスの家を吹き飛ばすのではないかと思われた。窓や壁を叩く音は絶えず鳴り続け、カミットは寒さに加えて恐怖に苛まれた。

 ネビウスは居間いま暖炉だんろに薪をくべて、火を保ち続けた。カミットは彼女の横で毛布に包まっていた。


「ネビウス、ごめんね」


 カミットはゆらゆらと揺れる火を見つめながら呟いた。

 ネビウスは火に手をかざしながら、あくびをした。


「坊やのせいじゃないわ。誰も文句を言わなかったでしょ?」

「でも僕のせいで里がダメになっちゃったんだ」

「私達は強いから。安住の地なんて無くても平気よ」

「この吹雪ふぶきは加護が無くなったせい?」

「そうね。翼獣と仲違なかたがいして、風の精霊の贔屓ひいきが無くなったのよ。風の精霊が上手いこと吹雪ふぶきを防いで、あたたかい大気を運んできてくれていたの。晴らしたり、必要なら雨を降らしたり、好き放題やってきたのも、これでおしまい」


 ネビウスは落ち込んでいるカミットを見て、くすりと笑った。


「里の外を知れば、坊やも私達がいかにインチキをやってきたかを知って愕然がくぜんとするんだわ。そうしたら、きっと私達に悪いと思っていた自分が馬鹿馬鹿しくなるわ」


 やがてネビウスはカミットよりも先に眠ってしまった。カミットも睡魔すいまに誘われ、頭がぼんやりとしてきて、やがて眠りに落ちた。

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