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ネビウスクロニクル  作者: 石井
牢獄の都編
199/259

第199話 岬の古塔(1)

「岬の古塔」はじまり

 牢獄の都(ラクリメンシス)では、市民でない者が滞在するためには神殿で罪の刑量を受ける必要がある。その際に罪人相当のごうを抱えていると、そのまま牢獄の都(ラクリメンシス)の正式な市民になることができる。

 カミットはこの刑量で一度は市民の中の最もはなはだしい市民という判定を受けてしまったが、そのような事実はなかったので、彼は罪の計量をやり直すことになった。

 今度の刑量ではネビウスが付き添い、彼女はカミットの罪が量り取られる前に天秤てんびんに念入りに手を加えた。そうしてやり直しをすると、カミットは無事にこの都市に住まざるべき者と見なされた。

 こうしてネビウス一家の牢獄の都(ラクリメンシス)での生活が始まった。ネビウスは神殿の伝手つてを頼り、宿を得た。市民でない者は神殿が管理する集合住宅を利用することでようやく平穏で安全な滞在を得られるのであった。

 カミットは来訪して早々にとうの魔人を撃破しており、今や彼は終わりの島(エンドランド)の全ての魔人を倒した英雄であった。

 ところがその偉業の最後の戦いでは、カミットは森の呪いにほとんど操られるようにして成してしまったために十分な達成感を得られずに終わった。

 そして新たな目標はなく、生活は続く。

 ネビウスは朝からミーナを連れて神殿に出かけていくので、一家の仮宿ではカミットだけがぽつんと一人でいることになった。

 全ての事は勝手にせよ、というのがネビウスのカミットに対する方針だった。ときどきは助言や注意があっても、ネビウスはカミットに具体的には指示を与えてこなかった。たとえカミットがネビウスの言いつけを破ったとしても、そのときにネビウスは微笑ほほえみすらして「あらまあ。仕方ないのね」と言って済ませただけである。

 このことはネビウスがミーナに対しては神殿通いをさせて、呪いの扱いをつきっきりで指導することとは対照的だった。

 カミットは日中は働こうと思い立ったが、彼が驚いたことには、牢獄の都(ラクリメンシス)には職人組合ギルドが存在しなかった。さらには地元の政治を取り仕切る豪族もいない。これらのことは他の五大都市との決定的な違いであった。

 魔人はいなくなり、仕事もなければ、カミットは街をぶらぶらするばかりである。魔人討伐の予定がないので、やりの稽古などもちろんやらない。職人組合ギルドの中級職員になるための教養書をエニネからもらっていたが、それは一先ずネビウスに預けてしまっておいた。

 新しい都市はいつでも刺激的である。物珍しい景色や物や人を眺めて回るので当分は忙しくなった。生活のメリハリをつけるのが難しくても、まだ見ぬ土地へきたばかりならば、散歩の楽しみは尽きない。

 カミットには気になっていたことがあった。

 ある早朝に彼はミーナに話しかけた。

「街でミーナみたいな女の子を見たんだ。着いていったら、路地裏の変な人達の集まりに紛れ込んじゃってさ」

 ミーナは反応が鈍かった。

「そうなの」

「すごい不味まずいスープをみんなで飲んでいたよ」

「……ふぅん」

「どういう集まりだったんだろう?」

「分からない」

 二人が話している間、ネビウスはそれが聞こえていないかのように、無言でぼそぼそとパンを食べているのであった。カミットはネビウスにも聞こえるように大声で話していたが、ネビウスが何も言ってこないので、彼女には教える気がないのだろうと思った。ネビウスのそういう姿勢はカミットにとっては幼い頃から慣れたものだったので、あえて何かを聞くことはしなかった。

 カミットは街を探検するうちに、路地裏の怪しげな集会にもう一度潜入した。

 その路地裏の広場は周囲を建物に囲まれており、光がさえぎられていつでも暗く、湿気がこもってじめじめしていた。

 そういう場所に真っ黒な布の服を着た者たちが十数人くらいで集まって、彼らは互いに話すでもなく、それぞれが一人で離れて居た。ある者はちゅうに向かって、ぶつぶつと独り言に夢中になっていた。

 気持ち悪い連中だ、とカミットは改めて思った。

 牢獄の都(ラクリメンシス)の市民は巨獣山脈の鉱山か農耕の労働で忙しいはずだが、この集会の参加者たちは暇を持て余しても許される身分のようだった。

 この日も広場の真ん中の大鍋でスープが作られていた。いったい何が入っているのか、どろどろに溶かされた物が混ざり合って濁っており、その中にときどき固形物が輪郭を見せるが、その表面はどろどろの液体で包まれて中身は判別できない。

 カミットはそのスープを作っている老婆の一人に話しかけた。

「ここで何をしているの?」

 老婆は答えた。

「それはお前さんが決めることだよ」

「んん? みんな何もしていないよ」

「そうかもしれないね」

「このスープには何が入っているの?」

「それはお前さんが決めることだよ」

「どういうこと?」

「それもお前さんが決めることだよ」

「んん? んんー!?」

 カミットはいよいよ混乱して、その老婆との会話に辟易へきえきとした。下等市民が教養を持たないのはそれはそれとして仕方ないが、意味不明な言動と交流が困難であることは不快でしかなかった。

 そのうち大鍋のスープが配膳されだした。カミットはそのスープが大変に不味いことを知っていたので食べないつもりでいたが、人々があまりに美味しそうに飲んでいるのを見ていたら、もしかしたら今度は美味しいのかもしれないと期待を持った。

 そうして、彼が配膳待ちの列に並んで待っていたときだった。

 金色の髪の真っ白な肌をしたナタブの女の子が広場を横切った。

 カミットはスープを諦めて、その女の子を追いかけた。

 その女の子がミーナでないことは分かっていた。ミーナはネビウスと一緒に神殿に出かけているはずで、こんな場所にはいないからだ。ミーナは牢獄の都(ラクリメンシス)出身なので、もしかしたら一族の者たちがいるのではないかと思われた。

 カミットが必死で走っても、追いかけるのは大変だった。その女の子は地をすうーっと滑るようにして進んでいき、その速さは普通ではない。

 途中で見失ってしまうと、カミットは感覚を研ぎ澄ませて、女の子の匂いと足音に注意を払った。そうすると不思議と、女の子がどこへ行ったのかが分かってきて、カミットは入り組んだ路地を迷いなく進むことができた。

 そうしてたどり着いたのは、地下街に続く階段だった。

 なんだか危険そうだ、とカミットは思った。

 しかし彼は魔人殺しの英雄であり、一流の戦士であった。危険が何であれ、そこに強盗であったり、人食いの呪いの化身が現れたとして、そういう人でなしの者どもならば容赦なく倒してやろうと思い直した。

 カミットは暗い地下へと続く階段を降りていった。

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