第198話 牢獄の都(4)
カミットは腹を立てていた。
その怒りは彼の森の呪いに対してである。カミットは森の呪いに力を貸してくれと頼みはしたが、人を襲う獣に変えてくれと頼んだ覚えはなかった。
カミットは魔人と戦うときには顔と体がコーネ人のように変わったことで、その身体能力を飛躍的に高めた。ところがその変化の最中では、カミットは理性を失い、敵味方の区別ができない状態に陥った。
幸いにして、その身体的変化は一時的なもので、カミットは今は元通りの緑色の肌のジュカ人の見た目に戻っていた。
一方で、もう一つの変化である黄色い花髪はそのまま咲いたままだった。カミットはこちらについては喜ばしく思っていたが、それにも余計な呪いがかかっていないか不安が付きまとった。
その不安もまた、怒りの種であった。
とにかく彼は怒っていた。
彼はネビウスに訴えた。
「僕は森の呪いなんか要らない! こんな言う事聞かないヤツとは仲良くできないよ!」
ネビウスは「まあ、まあ。落ち着きなさいよ」と宥めた。
この親子の十三年間を俯瞰すると、実は呪いに関わる事故は珍しくなかった。秘境の里に暮らしていた頃はカミットは森の呪いを暴発させて、ネビウスの家を二十回以上も全壊させ、その他の大小様々な事故は数えきれないほどあった。ネビウスやその他の里の民が危険に晒されたこともしょっちゅうであった。
そういうときにネビウスは何てことはないという顔をして、カミットが起こした騒ぎを上手く処理して、「大丈夫よ。心配はいらないわ」と声をかけたものであった。致命的な結果を招くことなく、ネビウスが毎回対応してきたので、カミットはそのことで一々悩んだり落ち込んだりしなかった。
今回カミットがネビウスに襲いかかったこともまた、彼の考えでは森の呪いが引き起こした不始末であった。一応は、カミットは彼自身にも部分的には非があったと認めていたが、そもそも怪しげな薔薇を持ち出してきた森の呪いこそが元凶と思われた。
カミットは妙案を思いついた。
今でこそヤージェという子猪は一家に馴染んで機嫌よく暮らしているが、本当の彼は暴れん坊の火の猪である。彼を飼育するには封印の手綱が必須であることは今も変わりない。
「ネビウス! 封印の道具で森の呪いを封印しちゃってよ!」
ネビウスは返答に窮した。
「えーっと、……あなたの呪いはそういうことができる種類の呪いではないのよ」
「なんで!?」
「できないものはできないのよ。なんとか上手く付き合っていってちょうだいな。これまでに色々助けてもらったことだってあるでしょう? どんなことにも良し悪しがあるのよ」
「そうだけどさ。今回みたいなことをされたら困るよ。必要なときだけ封印を解けたら、それが一番良いよ」
「そんな乱暴なことを言わないで、今回のことをちゃんと話し合って、伝えたら良いんだわ」
「話し合いなんて無理だよ。あっちは水言葉しか駄目なんだ」
カミットは真剣に訴えたが、ネビウスが新しく対応することはなかった。
というのは、ネビウスにとって、カミットが引き起こす事件には改めて特別視するようなことは何一つなかったからである。
ネビウスのカミットが鋭い牙で噛み付いたことによる傷跡は小一時間も経たずに消え去っていた。
※
塔の魔人は滅びた。
その噂が広まると、通りから人が消えた。牢獄の都の民は家の門を閉ざし、窓まで封じて、その中に引きこもったのである。
都市の始まりから今日まで、塔の魔人は恐怖による支配を続けてきた。その抑圧がなくなることで、凶悪な罪人たちが暴れだすと思われたのだ。
時を待たず、人々の不安は現実となった。
魔人が死んだ日の夜は都市のあちこちで火の手が上がり、強盗や殺人が蔓延った。都市の憲兵だけではどうしようもない状況に陥り、人々は絶望に苛まれた。
その晩は雲が多く、月は見えなかった。
終わりの島の最も恐ろしい者たちは月がなければ現れないが、この夜は違った。
あまりにも凄惨な罪の匂いを嗅ぎつけてか、その濁った夜空に翼の大蛇と月追いたちがおよそ百人以上も現れた。彼らは恐怖の象徴であり、しかもその数が尋常でなかったので、ただ現れるだけで罪深き者たちを震え上がらせた。
関所の街での惨劇は牢獄の都にも知られていた。この夜、全ての市民が処刑されるのではないかと思われ、人々はさらなる恐怖に陥った。ある者は逃げ出し、ある者はただ祈った。
また、ある者たちは普段と変わらず、静寂を保っていた。
それは月の神殿の神官たちである。月の神官のほとんどはナタブであり、彼らは漆黒の僧衣を着ている。彼らは罪の審判のときには、兎を模した仮面をつけ、天秤を持つこともある。
大神殿は荘厳な様子で都市の中央にそびえ立っていた。岬の古塔に対するかのように、一際高い尖塔を有しており、その頂上が月の守り子の居室であった。
大神官たちが塔の階段を列を為して登った。彼らは守り子に請願した。
「古き下僕たちが帰って参りました。彼らにすべきことを命じてくださいませ」
このとき月の守り子は窓にもたれ掛かって、外を眺めていた。守り子は特別であり、いつも兎の仮面を身に着けている。
彼女はくぐもった声で、ぽつぽつと言った。
「お母さんにどうしたらいいのか聞かないと……」
守り子がもごもご言っていると、大神官は進み出て述べた。
「あなたの母は言っておりますよ。罪を裁くのです。古き処刑人たちの斧がその命令を待っているのです」
守り子は頷いた。
「お母さんがそう言うなら、そうしましょうね」
彼女は窓を開け放ち、黒々とした空に杖を掲げた。
「我が君、月の化身。あなたの光で導いてくださいまし」
この呼びかけの直後、
闇夜の空の彼方に、ぽうと光の点が差した。空高くにある、どこかの浮島で月の化身が優しく輝くのである。
その光が徐々に強まり、月のように大きく膨れ上がったとき、都市の夜空を飛び回っていた月追いたちが城壁にそって円形に隊列を為した。
そして彼らは一斉に牢獄の都へと降り立った。
一夜が明けると、街はどこもかしこも罪人の死体で溢れかえっていた。
この過酷な夜をネビウスは長年の伝手によってどうにか宿を得て凌いでいた。
朝になってみれば、通りは凄惨な有様であった。
ネビウスはそれを眺め、ため息をついた。
そこにミーナが小走りでやってきて、ネビウスにぴたりとくっついた。ミーナはネビウスに聞いた。
「みんな殺されちゃったの?」
ネビウスは首を横に振った。
「いいえ。月追いたちはよく命令されていたから、殺されたのは昨夜の罪深い連中だけよ。刑は正しく執行されたみたい」
「そうなの。死んだのが悪い人たちだけで良かったね」
「本当にそうね」
ネビウスが同意したので、ミーナは嬉しそうにはにかんだのであった。
お知らせ
・2023年9月末頃まで更新休止とします。(不定期更新あるいは更新休止としていましたが、作者都合により休止とします。)




