第196話 牢獄の都(2)
古塔にて、翼の大蛇が羽を広げた。
その背に魔人が跨る。その体は黄金の輝きをして、彼の外套は黒い影そのものが衣のようになって、その黄金の姿を包む。むしろ、その黒い外套が人の姿を象ることで、魔人をヒトの姿にさせているようでもあった。
たんに塔と言えば、終わりの島の民ならば誰でも、牢獄の都の岬の尖塔を最初に思い浮かべるものである。
その塔の最上階には魔人が住んでいる。危機とは関係なく、常にそこに居て、ときどきは翼の大蛇に乗って都市の上空を周遊する。
塔の魔人は何かを探しているのだ、と伝承は語る。大人は子供にそのことを「悪い子を探している。」と教えるが、本当は皆分かっていない。
ただ一つ、必ず塔の魔人が動き出す条件がある。
牢獄の都では塔の魔人があらゆる呪いを見張っていて、許されざる呪いが現れた際には、魔人は直ちにそれを修正しにかかるのだ。たとえ軽微な呪いであろうとも見逃すことはない。
今宵、煉瓦の建物が並ぶ市街地に森の呪いがおびただしい木々や草花を生み出したとなれば、魔人が動き出すのも必然であった。
黄金に輝く魔人は舌なめずりをして、大気の何かを感じ取り、そうして彼は都市中央の方にある大神殿を見やった。
その原因はジュカ人の男の子であるカミット。彼は古塔に向かって、家々の屋根を渡ってきていた。そうしている間にも彼は森の呪いを盛んにさせて、牢獄の都の最大にして絶対の掟を破り続けていた。
塔の魔人は翼の大蛇を飛翔させた。
こうして魔人が動き出した一方で、
カミットは大慌てになって、家屋の屋根を渡り歩いていた途中で止まった。
彼は驚いて大声を出した。
「塔の魔人!? なんで!?」
もとより彼は魔人を倒すつもりで牢獄の都に来たが、到着して早々に相まみえるとは思っていなかった。槍とヤージェはネビウスに預けてきてしまっていて、今のカミットは丸腰であった。
そうだというのに、大蛇がふらふらと不安定に飛んで近づいてくる。塔の魔人の黄金の姿は曇り空の中で月のように光っていた。
その光がいっそう強まり、力に満ちた。
塔の魔人は弓矢でカミットを狙っていた。
カミットはひょいひょいと走って逃げた。そんな遠くから放たれた矢が当たるはずもないと思っていたのだ。彼は以前にも塔の魔人と戦ったことがあったので、その光の矢がどの程度の威力なのか知っていた。
しかし、ここは牢獄の都であった。
本拠地において魔人の力は漲り、その矢の威力はまるで違っていた。
光の矢が放たれると、それは曇天の空に彗星のように輝きの尾を引いて飛んだ。
光の矢はカミットに命中こそしなかったが、それが家屋の屋根に着弾すると、火花のような光を撒き散らして、ばちばちと激しく明滅した。
その光はカミットが生み出した呪いの植物を次々滅ぼしたので、カミットは滑りやすい足場で立っていられなくなって、屋根の上から転げ落ちてしまった。
幸いなことに、カミットは森の呪いが生み出す植物のクッションによって地面に激突せずに済んだ。
カミットが落下したのは通りを行く人々のど真ん中であった。
そこに向かって、さらに光の矢が降り注いだ。
人々は大騒ぎになり、逃げ惑った。
その最中で、今度は地鳴りが始まって、路面が割れて、巨樹がめきめきと育って現れた。カミットが呪いの巨樹を呼び出したのである。
光の矢が呪いを滅ぼす力を持つのであれば、呪いの木を出したところでほとんど無駄であった。案の定、塔の魔人は光の矢を呪いの巨樹に向かってばんばんと撃ち込んで倒してしまった。
ところが、そうして呪いの木が倒れた後で、塔の魔人は次の狙いを定められずに、都市の上空をふらふらと飛び始めた。カミットが囮にした呪いの木の存在感は大きすぎて、魔人はカミットを見失っていたのだ。
その間に、カミットはまんまと逃げていた。ジュカ人の狩人は森で危険な魔獣に遭遇したときには囮の植物を使って、場をやり過ごすか逃げるかする。カミットはその伝統的なやり方を実践したのである。
※
カミットは目立つ大通りを避け、路地裏に逃げ込んだ。牢獄の都では狭い土地の中に背の高い建物がぎっしりと並んでいる。路地裏では建物の陰に隠れやすく、魔人の目を逃れるのにぴったりだった。
塔の魔人が諦めるまではしばらく大人しくしているのが良いだろうと思われた。
そのときだった。
金色の髪をした美しい少女が道の先に見えた。神官の長衣を着ているようだったが、彼女はミーナに違いなかった。
「ミーナ!」
カミットは喜びの声を上げて、彼女のところへ走った。
するとその美しい少女はカミットの声が聞こえていない様子で、あらぬ方向へすたすたと歩いていく。少女は路面を滑るようにして歩くのだが、その速さは普通でなく、カミットが走っても追いつくことができない。
「ミーナってば! 待ってよ!」
カミットが呼びかけても、やはり少女は答えない。少女は入り組んだ路地を、すぅーっと進んで行き、ときどきは急に角を曲がったりして、カミットは彼女を必死で追いかけた。
誘われた先は薄暗い広場だった。広場は建物の壁によって囲まれていて、陽の光がほとんど差し込まない。
そういう場所に数十人の長衣を着た者どもがいた。彼らはその全員が鬱屈とした不幸そうな顔をしていて、伏し目がちにして他者と見合うことを避けていた。当然、互いに話すこともせず、彼らの中にはなにもない宙に向かってぶつぶつ言うものなどがいた。
カミットはなにやら気味の悪い連中の集会に紛れ込んでしまったと気づいた。ミーナは見つからなかったので、カミットはそっとその場から抜け出そうとした。
ところが入ってきた広場の入り口は門が閉じられてしまい、その他の出口も次々に封鎖されてしまった。
広場の真ん中には大鍋が置かれていた。その中身はどろどろの何かであり、それは肉なのか野菜なのかも判別できない状態で、しかも火はさらに強められて、いっそうぐつぐつと煮だつのであった。
その謎の煮汁の配膳が始まった。
一応、匂いは美味しそうであり、カミットは腹を空かせていたので、その配膳の列に並んでみた。
カミットは自分がもらえる番になると質問した。
「これは誰でももらえるの?」
老婆が答えた。
「望む者には誰にでも」
「じゃあちょうだい!」
「お前の椀は?」
「んん? じゃあこれで」
カミットは森の呪いで木のお椀を作った。それに謎の煮汁が注がれた。
その煮汁は、匂いは良かったが、味は最悪であった。
カミットはそれを二口目以降を飲むことはできず、人目を盗み、こっそりと排水溝に捨てた。
このあと異変が起こった。
それまでは普通にその煮汁を飲んでいた人々が、首を傾げるようになった。彼らは互いの様子を観察し合って「奇跡が解けてしまった」と言った。
彼らはその原因を探し始めた。全ての人々が広場にいる他者を一人ずつ確認していた。
やがてその視線が一斉にカミットに注がされ、彼らはわっとなってカミットに向かってきた。
カミットは森の呪いで撃退するつもりでいた。
そこへ火の矢が降り注いで、それが大鍋を破壊して、その中身をぶちまけた。
裏路地の広場は騒然として、カミットはこの隙に逃げようとした。
カミットは路地を走りながら、背の高い建物の合間に見える狭い空を見やった。
火の矢と光の矢が交差して、まばゆい輝きを放っていた。
都市の上空で、ネビウスと塔の魔人が戦っていた。




