第195話 牢獄の都(1)
山脈の谷間の暗く細い街道の最後はトンネルを通る。その先は永劫の暗闇に続いていくように思われた。そのトンネルは、通行人の利便のためではなく、そこを逃げ出そうとする者を容易に通過させまいとして、迷路状に作られていた。
ネビウス達はランプに明かりを灯して歩いた。ネビウスはカミットに教えた。
「このトンネルは古代の技で作られたの。通ることが相応しい人には正しい道が示されて、そうでない人はこの暗闇に食べられちゃうのよ」
カミットはすぐにピンときた。彼は似たような古代の建築物を知っていた。
「太陽の都の火山の遺跡と一緒だね!」
ネビウスは頷いた。
「そう、そう。あそこと同じような設計がされているのよ」
カミットが歩いていると、からんと音がして、物を蹴ったりした。ランプで足元を照らせば、骸骨である。
「迷子になった人かな」
「この道を通って逃げようとした罪人でしょうね」
「悪いことしたのに逃げちゃだめだよ」
「ええ、……そういう考えでこのトンネルは作られたわ」
このときカミットはネビウスが彼の発言に対して同意していないと気づいていたが、ことさらに彼の正しさを主張しようとは思わなかった。カミットにとってネビウスは慈しむべき家族であり、多少の意見の違いがあろうとも気にしないのであった。
何と言っても、やはりカミットはネビウスと一緒にいると心強く感じて、暗闇の中でもちっとも怖くなかった。
やがて暗いトンネルの先に光が見えてきた。
カミットは出口に向かって走った。
走るほどに、光が彼を招いた。
暗闇の中から外へと一歩を踏み出すと、そこは雪に積もられた針葉樹の森であった。カミットはこの近くの山育ちであり、彼には懐かしい景色だった。
トンネルの出口は標高が高く、見晴らしの良い高台からは北の海を一望できた。
海に突き出た半島には都市があった。
カミットは声をあげた。
「牢獄の都!」
ネビウスとミーナもやってきて、月の半島にあるその古代都市を見やった。
牢獄の都は、陸は巨大な城壁に囲まれ、また半島は怪物だらけの月の海によって封鎖されている。煉瓦を積み上げた街並みは堅牢で、要塞のようであった。そして岬の先端には古塔がそびえ立つ。
ミーナはネビウスの腕に抱きついて、か細い声で言った。
「お母さん。私、やっぱり行きたくないわ」
ネビウスはミーナを優しく撫でた。
「大丈夫よ。私がついているわ」
ミーナは牢獄の都出身だった。その三年ぶりの帰郷は彼女が望んでいることではなかった。
カミットが初めてミーナに会ったのは荒れ地の林でのことだった。そのときのミーナは奴隷のような身なりで倒れていた。ミーナは牢獄の都から逃げてきたのだろうと、カミットは今では理解していた。
兄は妹を励まさねばならないと、カミットは思った。彼は力強く言った。
「僕もいるからね!」
この言葉に対し、ミーナは控えめに笑い返した。彼女は「私、がんばるわ」と言った。
カミットはミーナが何に怯えているのか分からなかった。牢獄の都における下級市民の暮らしは悲惨であるということは想像できたが、それもネビウス保護下にいれば回避できるに違いなかった。
都市に近づくほどに、牢獄の都の巨大な城壁が圧迫感を持ち出し、その名の通り牢の役割を果たすものであるという印象を強めた。見張り台の衛兵はもちろん外も見張っているが、彼らは城壁の中をより注意して監視していた。
牢獄の都はその城壁を通過するには関所の街以上に厳しい審査を受けなくてはならない。
ネビウスは市民腕章を持っていたから審査を受けずに済んだが、子どもたちは別だった。
城壁の門に入ろうというときに、ナタブの衛兵によってカミットはネビウスから引き離された。ミーナも他の場所に連れて行かれた。
城壁の近くには小さな神殿があった。その礼拝堂の祭壇には天秤が置かれており、カミットは職人組合の銅の腕輪を差し出して、それを罪の重しによって量り取られた。何事も無ければ、兎の刺繍をされた腕章を渡されて、これからは牢獄の都を自由に歩けるようになる手はずであった。
ところが、カミットの罪を検分した神官が何やらもごもごと言い出した。次にはカミットは鎖で繋がれて、街の中枢にある月の大神殿に連れて行かれた。
大神殿の礼拝堂にはとてつもなく大きな天秤が置かれていた。その皿は人も簡単に乗れるくらい大きくて、実際にカミットはその皿に乗ることになった。
月の神官たちは天秤の反対側の皿に罪の重しをせっせと運んだ。カミットは皿の上で座り込んで、あくびなどして、その作業が終わるのを待った。カミットが乗っている皿は傾いたままで、反対の皿にいくら重しが積まれようとも、ぴくりとも動かなかった。
そうしていると、神官の不穏な声が聞こえてきた。
「重しが足りなくなってしまいました」
「他の地区の貯蔵庫から持ってきますか?」
「いいえ、その必要はないでしょう。これからすべきことは彼をいかなる罪人として処すべきかの判断だけです。守り子にお伝えしましょう」
カミットはようやくして「良くないことが起こりそうだ」と察した。彼は鎖に繋がれていて、手足を不自由にしていた。
神官たちが不始末をして、カミットの罪の計量を間違えているに違いなかった。カミットは終わりの島の英雄であり、何かの手違いであったとしても、罪人の扱いを受けることには我慢ならなかった。
そこで長年の相棒である森の呪いに念じて「これを外してよ」と頼んだ。
カミットの手足から細い木の根がしゅるしゅると伸びて、それが鎖の錠の中をカチカチと弄って取り外した。
カミットは神官たちが集まって話し合っているのを横目に、こっそりと皿から下りた。そういうつもりであったのだが、反対の皿には大量の罪の重しが置かれていて、カミットが皿から離れた瞬間にそちらの皿が勢いよく傾いて、ずどんと音を立てたばかりが、載せられていた重しが引っくり返って、どっしゃんがっしゃんと散らばった。
大神殿が騒然とするなか、カミットは神殿内の人々の間を駆け抜けて逃げた。
カミットの森の呪いはしばしば彼の思い通りにはいかなかったが、このときは実に反応が良かった。カミットはその呪いが生み出す木々や根、蔦や蔓によって牢獄の都の煉瓦の街の家の壁や屋根を軽やかに渡り歩いた。
ともかくもネビウスと合流し、彼女の保護を受ける必要があった。
カミットは目立つ場所で待つのが良いだろうと思い、街を見渡した。
岬の方に塔がそびえ立っていて、カミットはそこから呼ばれたように思った。




