第194話 関所の街(3)
その晩もまた鐘が打ち鳴らされた。賊による襲撃である。
あまりにも頻繁であり、カミットは「またか」と思うだけで、すぐ寝ようとした。
ところが、いつも一緒に寝ている子猪のヤージェが興奮して、寝台の上で暴れた。カミットはヤージェを蹴って追い払おうとしたが、そのとき鼻を突く異臭がして、飛び起きて叫んだ。
「月追いが来た!」
ネビウスはミーナが震えているのを抱きしめながら、宿の部屋の窓から外を警戒していた。彼女はカミットに指示した。
「いつでも出られるように準備して」
カミットは衣類などの散らかっている荷物をまとめながら聞いた。
「森の魔人もいるのかな?」
「いるかもしれないわ」
「ネビウスは戦うの?」
「いざとなったらね。でも、ちょっとおかしいのよ。私達を追ってきている感じではないわ」
カミットは外の様子が気になって仕方なかった。
するとネビウスが言った。
「カミット。関所の方を、ちょっと様子を見てきてちょうだい」
「良いの!?」
「連中が何をしに来たのか知りたいけど、私が出ていくと騒ぎになるでしょうから」
「分かった!」
カミットは槍を背負い、すぐに宿から飛び出した。これにヤージェも着いてきて、彼らは一緒に夜の街へ繰り出していった。
宿の近辺は異変も無かったが、関所の方は違った。
衛兵と賊が激しく戦っていて、さらに付近には月追いの腐臭が漂っていた。
ヤージェが注意深く臭いを追うと、彼は夜空に向かって吠えた。空には雲の合間にぼんやりと月が出ていた。その光の中にちらちらと飛ぶ影が見えて、それは月追いが跨る翼の大蛇たちに違いなかった。
カミットが不思議に思ったことには、衛兵と賊は月追いの腐臭を気にしていなかった。彼らは戦うことに夢中だからか、その恐ろしき存在が月夜を背にして迫っていることに気づいていなかった。
カミットは戦いに巻き込まれないようにしつつ、関所の近くをうろちょろして、月追いの動向を注視した。
「なんで降りてこないのかな」
などと呟いたとき、ほどなくして雲が動き、月の輝く全貌が現れた。
十数匹の翼の大蛇たちが一斉に降下してきて、関所の長城の上に並び立った。
月追いたちが長城の上に足をつけると、彼らの足元から黒々とした霧が流れ落ちてきて、強烈な腐臭が立ち込めた。
ここに至り、人々は月追いに気づき、戦いが一時的に止まった。
たちまち賊が逃げ出す。
衛兵たちは勢い付いて、逃げる者どもを追いかけた。
一方で月追いたちの動きは緩慢だった。彼らはゆっくりと辺りを見回し、それから向かった先は罪人たちの留置所であった。
月追いは顔に口だけがある異形の怪物で、黒いボロ布の外套を着て、その背には大きな斧を背負っている。
古き時代には、彼らは処刑人であった。
その夜、斧が容赦なく振り落とされた。
悲鳴に次ぐ悲鳴が一晩中鳴り止むことがなかった。
一夜にして大量の罪人が執行処理されたことで、翌日の関所の審判業務はほとんど無くなってしまった。
そのため一般市民の通過審査の枠が大幅に拡充され、ネビウス一家は関所を通過できることになった。
※
太陽の都はざわついていた。
関所の街に月追いが一斉に現れ、まるで古代の伝承を再現するかのように、罪人の処刑という、その本来の役割を為したからである。それが今の価値観に照らし合わせて適切であるかどうかは別として、しばしば人々に恐怖と害を与えるだけの存在であった者たちが、まるで何かの意思によって統率されているかのような振る舞いをしたことが、強烈な違和感を放っていた。
太陽の都は継承一門の十二剣師であるイヴトーブとレッサを筆頭とし、剣師二十名からなる査察団を牢獄の都に送り込むことにした。
この派遣が決まる前にも、太陽の守り子のコウゼンは幼い頃からの親友であるイヴトーブとよく話し合っていた。コウゼンはイヴトーブに警告した。
「月の力には波がある。まるでその満ち欠けのようにな。とはいえ、本来それほどまでに不安定で頼りないものではなかったはずなのだ。価値の天秤の支配の根幹に何か不穏なものを感じる」
実際にはそういう古い伝承や呪いのことには神官の家系であるイヴトーブの方が詳しかったが、彼はコウゼンに対して余計なことは言わなかった。
「よく見張り、異常があれば正す。継承一門の使命を果たすよ」
「レッサとも上手くやってくれ。彼女はカッとなるところがあるからな。無謀に突っ込んでいきそうなときには君が阻止してくれ」
「できるだけよく意思疎通できるようにするよ」
このような話がされた後で、イヴトーブとレッサが太陽の都を発ってからした会話は次のよう。
レッサは弟子やその他の戦士たちには基本的に冷淡な態度をしたものだが、イヴトーブとは昔なじみであり、親しげに話しかけた。
「コウゼンは自分で行くとか言い出すと思ったけど、違ったのね。少しは成長したのかしら」
「彼は太陽の化身との話し合いで忙しい。どうやら、かなり気難しいようだよ。とてもじゃないが、都を不在にできる感じではない」
「ああ、そういうこと」
「ネビウスは先に牢獄の都に着いているはずだ。君はあの都で恐ろしいことが起こると思うかい?」
「……間違いなくね」
「どのようなことが?」
「そんなの行ってみないと分かるわけないでしょ」
「それはたしかにそうだ」
レッサの物言いがあまりに偉そうだったので、イヴトーブはくすりと笑った。
レッサは彼を睨んだ。
「なにを笑ってんのかしら」
「君は勇敢だな。そこに何がいるかも全く分からないというのに、その恐怖の地に赴こうと言うのだから」
「継承一門の戦士がそういうものでしょ」
たしかにねと言って、イヴトーブは頷いた。終わりの島の各地に出没する呪いの化身はしばしば恐ろしい力を持つ。その実態が明らかでない状況で立ち向かわねばならない現場の調査員や戦士ではしばしば被害が生じる。
ただし牢獄の都への遠征はそういった継承一門の使命とも少し違うということを、イヴトーブはレッサに講義すべきと考えた。
「関所の街の向こう、終わりの島最北の月の半島は呪いの観点から言って、かなり特殊な土地だ。それというのは……」
この講義が始まると、レッサは露骨に嫌そうにして、弟子のジンを呼びつけて、
「この人の長話を聞いておいて」と命じて、自分は離れていってしまった。
イヴトーブはすまなそうにしているジンに「君も大変だな」と言って気遣った。
※
月追いによる一斉処刑が行われたことで、関所の街の通過はかなり容易になった。
この噂は商人たちの間にすぐに広まった。特に呪いの道具を扱う闇の商人たちには重大な報せであった。
それが牢獄の都出身の商人であるバルチッタにある考えをもたらした。彼は太陽の都のならず者市場で商売をしていたが、随分と溜め込んだ銀貨袋を収めた箱を眺めて言った。
「久々に家に帰るか」
このぼやきはバルチッタの徒弟であり、彼の実の子供でもあるハルベニィを大変に驚かせた。
「まじかよ。急だな」
「今頃はネビウスも牢獄の都に着いているだろうしよ。今年は良い頃合いかもしれねえ」
バルチッタには牢獄の都に残してきた妻と小さな子どもたちがいた。彼は家族の苦しい生活を打ち破るために、一番上の子供であるハルベニィだけを連れて、終わりの島のあちこちで銀貨を稼いだ。今や牢獄の都にいた頃では考えられないほど、バルチッタは財を蓄えた。
ハルベニィはしみじみと言った。
「四年ぶりだ。母ちゃんはきっと喜ぶぜ」
「そうだよな。よおし、決めたぜ!」
そうと決まってからすぐに親子は荷物をまとめて、帰郷の途についたのであった。




