第192話 関所の街(1)
牢獄の都編 はじまり
荒野をふらりと歩けば、遺跡が草木に覆われて佇んでいる。終わりの島ではありふれた光景である。そういった遺跡には古代の呪術師が作った信仰の祠があって、そこにある祭壇は魔除けの重要な役割を果たしてきた。
ネビウスは旅の道中でそのような祠を見かける度に立ち寄って、修繕作業を行った。彼女はそれを始めるときに、連れている子どもたちに宣言などしない。彼女にとって当然やるべきことを勝手に始めるだけである。
そうなるとカミットは「また始まったな」と思う。ネビウスの作業はだいたい半日程度を要するので、カミットは何かしらをして時間を潰さねばならない。
十三歳になった彼は近頃はすっかりネビウスの保護監視を外れつつあり、また生きていくためには稼がねばならないことを理解していた。ネビウスの指示が無くとも、彼はネビウス家の家計を維持するための行動を取った。
カミットは弓と槍を担いで、荒野に繰り出していく。鼠を捕まえることもあるし、運が良ければ鳥や兎を捕まえられることもある。
その日は調子が良かった。夕方頃に彼はネビウスたちのところに戻って、獲物の兎を差し出した。
ミーナはカミットのことをたいそう褒めて、
「今夜はお肉のスープが作れるわ」と言った。
ミーナはネビウスから料理を教えられてきたので、ネビウスが忙しければその代わりを務める。ミーナは兎の皮を剥ぎ、血を抜き、解体し、その肉を焚き火の上で炙った。皮や骨は様々な用途に使えるので、ミーナはそれらについても丁寧に処置をして保存した。
カミットはミーナがそうして働いているのを、焚き火に当たりながら、寝転がって眺めるのがお決まりだった。カミットの観察によると、複数の仕事を並行してこなすのは決して簡単ではないようだった。ミーナは必ずしも効率の良い仕事ぶりをするわけではなかったので、ときにカミットは助言をした。「鍋がふきこぼれているよ」とか「内蔵がそのままになっているよ」などと言ってやるのである。特に生物の始末をし忘れると悪臭の原因となるので、カミットは警戒していた。
ミーナはカミットの彼なりの親切に対して素直に応じた。だいたいは「ごめんね。すぐやるね」などと言って。
カミットとミーナは共に十三歳であり、彼らは血が繋がっていないとしても、ネビウスからは等しい価値ある子供たちとして扱われてきた。
ところがこの兄妹どうしの直接の関係では、カミットが明らかに優位だった。兄は妹に思ったことを何でも言えたが、その逆は違った。ミーナがカミットの言うことを聞かなかったり、何かを言い返したりということはこれまでに一度もなかった。ミーナが家族に加わってから三年の月日が経る間に、現在の二人の関係は構築されていった。
家族と過ごすときのカミットが家事仕事を手伝わないことも、その家族の時間経過の中で決まった習慣であった。彼は世の男達がそういうことをしないのを知っていて、母であるネビウスからもそれを要求されてこなかったからである。
その日の晩ごはんの兎の肉のスープはカミットの仕事により得られたものであった。彼が思うに、腹を満たすことこそが人間の二番目に重要な生命活動であった。
したがってその大仕事を為しているという理由で、カミットは世の中の父親たちと同じ振る舞いをして良いのであった。
人間の最も重要な活動は何であろうか。
それは安全の確保である。ときには命すら懸けてでも果たさねばならない男の責務である。
カミットはこのことにこそ絶対的な自負を持っていた。というのも、彼はこれまでに終わりの島の平和を脅かす闇の魔人を四体も倒してきたからだ。
※
その道は罪人街道と呼ばれた。その街道を行き来する馬車が載せているのは鎖で繋いだ罪人だからである。その移送は終わりの島の各地から絶え間なく行われていた。
罪人街道は切り立つ山々の谷間に細く暗い様子で伸びている。
その途中を石造りの巨大な長城が封鎖していた。長城には関所があり、そこを通り抜けなければ牢獄の都に行くことはできないのだ。
ネビウス一家が目指しているのは牢獄の都であった。牢獄の都は終わりの島最北端の月の半島に位置しており、その手前には巨獣山脈が横たわる。
巨獣山脈は終わりの島で最も危険な場所であった。そこは巨大な魔獣の巣窟だからである。巨獣がその山から降りてくることはないとしても、人が迂闊に踏み入れば、ほとんどは帰ってこられない。海あるいは空を進むとしても、終わりの島北部ではそれらの場所もまた凶暴な魔獣たちによって封鎖されている。
牢獄の都はあらゆる場所から隔絶されているのである。
人々にとって都合が良いことが一つだけあった。巨獣は山脈の高所から降りてこないのだ。
したがって牢獄の都に行くための道は一つである。山脈の谷間の罪人街道を行き、関所を通り抜けるのだ。山々の絶壁の斜面を見上げながら進めば、やがては冷風吹きすさぶ月の半島が見えてくる。
その道は普通は馬車のみが移動するものだが、徒歩でそこにやってきたネビウス一家は風変わりに見られた。ネビウスが馬車を使用しなかったのは、罪人輸送を専門とする業者でなければ、牢獄の都行きの馬車を運行する者がいなかったからである。
ネビウスの予定ではこの関所の通過はすんなりと終わるはずだったが、通過手続きの申請は受け取られすらせず、次の抽選を待たねばならなかった。
関所の手前の宿場町では粗雑な作りをした留置場建設が続いて、その棟数は数十に及んでいた。
ネビウスはその様子を見て苦笑いして言った。
「牢獄の都の二号店を始めるつもりかしら」
なぜそのようなことになっているかというと、この関所では通過する者について厳格で慎重な精査をし、本来は罪のない者を誤って通すことのないようにするからである。
ところが近年では終わりの島で罪人が増加しており、関所の処理能力が追いついていないのだ。当然だが、ネビウスのように罪とは無関係な人物の相手をしている暇が関所を管理する月の神官たちには無いのである。
そのような事情があって、査定待ちの罪人たちを留置するための施設が連日建設されており、それに関わる神官や馬車業者のための施設も増えて、今や関所は小規模ながらも街として見なされるまでになりつつあった。
それがすなわち関所の街である。
ネビウスは関所審査をどうにかして抽選ではなく優先的に捩じ込むつもりでいたが、到着してその日の内にというのは不可能だった。
彼らは宿を取らねばならなかったが、予約なしで急に宿泊するためには、宿に対して法外な金額を支払わねばならなかった。ネビウスは宿の店主と大いに揉めたが、結局彼女は子どもたちの安全のために通常の五倍の銀貨を支払った。
その晩のこと、街の鐘が打ち鳴らされて、警報が響き渡った。
ネビウスはすぐに目覚め、ミーナは飛び起きた。そういう中でもカミットは熟睡していたが、ネビウスに起こされた。
宿は安全な地域に建てられており、騒ぎの現場のことは翌朝になるまで不明だった。ネビウス一家は不安な夜を過ごした。
その夜、盗賊が罪人の留置場に襲撃してきたのだ。盗賊は彼らの仲間が関所を超える前に助け出そうとしたのである。このようなことが最近では頻発していた。盗賊が暴れ回った際に馬や食料などの資産を奪われる業者は珍しくなかった。
これが宿の価格高騰の理由だった。宿場町では安全確保のために傭兵を常時雇っていたりして、普通の都市とは全く異なる治安の中で営業していたのである。
関所の街は今や牢獄の都に次いで危険な場所になったのである。




