第186話 太陽の祝祭(31)「英雄の代償」
カミットは爆風によって吹き飛ばされても平気でいて、すぐに神殿に向かった。
炎がカミットを呼んでいた。彼は太陽の化身と一体化して、帰るべき場所は火山の煮え滾る獄炎の中なのだと思って疑わなかった。
カミットは生贄の間から火口の方へふらふらと歩いた。
ヤージェがカミットに噛み付いて引き戻そうとしたが、太陽の化身の黄金の火がヤージェを追い払ってしまった。
そこへコウゼンがやってきた。
「カミット! 戦いは終わったぞ。君が魔人を倒した!」
カミットは意識がぼんやりとしていて、コウゼンの呼びかけに応えなかった。彼はコウゼンを無視して、そのまま歩き続けた。
「太陽の化身! カミットを返せ!」
コウゼンが叫ぶと、カミットを包む黄金の火はいっそう強まった。まるで太陽の化身はコウゼンの言い分など聞かぬと言わんばかりであった。
コウゼンが必死で訴えているところに、彼の親友である剣師のイヴトーブもやってきた。イヴトーブはグウマの息子だけあって、呪いの理解が深かった。彼はカミットがどのような状態に陥っているかを正しく理解した。
「カミットはあまりにも大きな返りを受けた。代償を支払うのは彼にしかできないことだ」
「子供が無邪気にやったことだ。その責任は我々にある」
「そうだが、太陽の化身にはそれを知る由もない」
そうしていると、コウゼンの元へ継承一門の戦士や神官が集まってきた。彼らは戦いの勝利を祝すつもりでいたが、火口に向かっていくカミットを見て、誰もが言葉を失った。
黄金の火に包まれて、コーネ人のように変貌した男の子が火口に進んでいく様子は、古代の生贄の儀式を彷彿とさせた。
とうとう観念して、コウゼンは跪いて祈った。
「英雄に尊敬と感謝を捧げよう」
コウゼンに倣い、他の者達も膝を付いて祈り始めた。職人組合職員なども集まってきて、彼らも祈り始めた。
そういう人々の間をエニネがずんずんと歩いてきた。歩き方にも怒りが満ちていた。彼女はコウゼンのところまでやってきて、彼を見下ろして言った。
「守り子だったら、太陽の化身から彼を取り返しなさいよ」
「不可能だ。太陽の化身は絶対に譲らないという気持ちでいる。彼はカミットを食うつもりだ。ネビウスならば何かできるかもしれないが、呼びに行く時間もない」
こうして話している間にも、カミットはふらふらと歩いて、火口に近づいていく。
エニネはコウゼンとの言い合いを止めて、カミットに向かって行った。
コウゼンは慌てて、彼女を追いかけたが、黄金の火がその行く手を阻んだ。
エニネとて太陽の化身の火によって火傷を追っていたが、今の彼女は負けん気が人間の形をした存在になっていた。つい先ほど兄のカリドゥスが母のドゥリメを助けてきたのを迎えたばかりで、その兄の影響を受けて、エニネは普段の彼女なら考えられないような勇気に突き動かされていた。
カミットは溶岩の海に飛び込もうとしていた。
それをエニネが掴んで引き寄せた。
太陽の化身の黄金の火が吹き上がった。その火はエニネの肌をみるみるうちに焼いた。
エニネは叫んだ。
「カミットを返しなさいよ! ネビウスの飼い猫如きが偉そうに!」
このとき太陽の化身はあくまでカミットの中にいて、小さな男の子の体を操っていたのでは、エニネの手を振り解くことができなかった。
太陽の化身は我慢ならなくなって、カミットから離れて、その真の姿である灼熱のライオンに戻った。彼は業火を撒き散らして、エニネに向かって吠えた。
エニネはカミットが抵抗しなくなった拍子に、エニネが彼を引っ張っていた力が過剰になって尻もちをついた。
それでもエニネはカミットを離すまいとして抱きしめて、こちらも負けじと太陽の化身に向かって威嚇した。コーネ人の威嚇は牙を剥き出して、「シャーッ」と鳴くのである。
いくらエニネが負けまいとしていても、ただ事実は人間と比較して太陽の化身は強大であった。
太陽の化身はエニネとカミットを丸ごと食べてしまおうとして、その凶暴な口を開けて迫った。
そのとき、カミットが目を覚ました。
カミットはにゅっと起き上がり、太陽の化身の首に抱きついた。
「ありがとう! 一緒に戦ってくれて!」
太陽の化身は不意のことに怒って吠えた。彼はカミットを振りほどこうとして暴れたが、このときカミットの体のあちこちから呪いの草花がにょきにょきと生えて、太陽の化身に絡みついて嫌がらせを始めた。ネビウスを助けるために離れていたカミットの森の呪いがいつの間にか帰ってきていたのである。
カミットはふざけて戯れていたが、太陽の化身の方はカンカンに怒って、爆発まで起こして、カミットを吹き飛ばした。カミットは床の上をごろごろ転がった。彼は「あれえ、おかしいな。仲良くなったと思ったのに」とぼやいた。
カミットの森の呪いの帰還により、太陽の化身はカミットに手出しができなくなった。太陽の化身は怒り狂っていたが、仕方なく火口の中へ帰っていった。
こうしてようやく、全てのことが終わりつつあった。
エニネは緊張から解放されて、その場に座り込んでいた。コウゼンや職人組合職員が彼女に駆け寄って助け起こした。
カミットも駆け寄った。彼はエニネが太陽の化身に負わされた全身の火傷に驚いた。
「エニネ! 大丈夫!?」
「駄目に決まってるでしょ。すぐ医者を呼ばないと」
「僕が治せるかも!」
カミットは彼の森の呪いに念じて、エニネを治療してくれるように頼んだ。しかし森の呪いは反応しなかった。カミットはがっくりと肩を落とした。
神殿上空では嵐が止み、ネビウスが仙馬の背に乗っていた。カミットが火口の魔人に止めを刺したとき、雷の騎手が仙馬を乗り捨てて消えてしまったので、その隙にネビウスが代わりに乗ってやったのである。ネビウスは仙馬が抵抗すると思っていたが、実際には彼は大人しかった。というよりも、乗り手を失い、意気消沈していて、ネビウスのことなど気にしていない様子だった。ネビウスは彼のことが気の毒になってしまって、つい慰めたりなどした。
「あんたは良い馬だわ。思っていたのとは違うみたい」
仙馬は重々しい声でネビウスに話しかけた。
「あれは希望か?」
「そんなの知らないってば」
「私は本物のそれを知っている」
「はあ?」
「私はもう行く。降りろ」
「ちゃんと下まで降ろしてちょうだいよ」
ネビウスが冗談を言っていると、仙馬に向かって雷が落ちた。ネビウスはギャッと叫んで、落馬して、空から真っ逆さまに降下した。一応、夜のマントを身に着けている彼女は神殿前広場ですとんと着地して無事であった。
仙馬は東の空に向かって飛び立っていた。
※
ナタブ商人の徒弟であるハルベニィ少年は神殿の戦いが始まった当初にネビウスから重大な仕事を押し付けられていた。
そして戦いは終わり、夕方頃、彼は狂乱の神殿前広場からネビウスの子であるミーナを連れて避難するという重大事を完遂しつつあった。
ハルベニィとミーナがネビウスの家に向かって通りを急いでいると、その二人の行く先に真っ白な毛並みのコーネ人の女の子と葉髪のヨーグ人の男の子が現れた。
ハルベニィは彼らをひと目見て呪われていると見た。ハルベニィはミーナの手を引いて、彼らを無視して通り過ぎようとしたが、やはりそう簡単には行かなかった。
真っ白なコーネ人の女の子であるミヤルがミーナに話しかけた。
「こんにちは。私、ご主人さまに言われて来たの。渡したい物があって……」
ミヤルは小さな肩掛け鞄に手を突っ込んで、ごそごそとやり始めた。
ハルベニィはミーナに耳打ちした。
「無視しろ。気味が悪い連中だ。相手にするな」
それまで従順だったミーナがこの日初めて、ハルベニィに意見した。
「カミットはあの子たちを殺したいのよ?」
「ああん? 何言ってやがる?」
「代わりにやってあげたら、カミットは私を好きになってくれるかしら?」
ハルベニィはべつにミーナが不自然なことを言っているとまでは思わなかった。カミットが傭兵業をやっていくなら、呪い子殺しに興味を持っていても不思議ではない。
ただし彼はミーナに説教はした。
「阿呆。傭兵てのは自分で殺して稼ぐ仕事だ。余計な手出しする女はクソだ」
「え……、そうなの?」
「それはそうとしてな、好きになってもらう、だってえ?? そいつは男に身を預ける考え方だ。そういう女は不幸になる。お前は考えを改めろ」
二人でこそこそ話していると、ミヤルが渡したい物というのを取り出した。
それは人間の舌であった。
ハルベニィはギョッとして仰け反った。彼はビビりながらも、ミーナとミヤルの間に割って入った。
「帰れ。そいつのは呪いの遺物だろうが」
ミヤルは必死に訴えた。
「でも! プロメティアが持っておくのが良いって言われたの!」
ミヤルはその人間の舌をミーナに押し付けて渡そうとした。ミーナは嫌がって、ミヤルを突き飛ばした。
ハルベニィはミーナを庇って、ミヤルをこれ以上近づけまいとした。
すると、それまで静かにしていた葉髪のヨーグ人の男の子がハルベニィに飛びかかって、噛みつこうとした。ハルベニィはぎゃあと悲鳴を上げた。
道行く人々は道端で子どもたちが喧嘩しているだけと思って無視していた。そもそも神殿で大事件が起きていて、人々の関心は全てそちらに向かっていた。
四人が大騒ぎしていると、そこへまた別の男の子がやってきた。
燃えるような赤毛をしたコーネ人の男の子だった。彼は子供っぽくない大人びた話し方で呼びかけた。
「呪いの者共。あまりはしゃぐな」
彼はミヤルが落とした呪いの舌を拾い上げた。彼はミーナに聞いた。
「本当に要らないのか?」
ミーナは緊張していて、無言でこくこくと頷いた。
赤毛の男の子はその舌をミヤルに返した。
「お前が持ち帰れ」
「でも……ご主人さまに怒られるわ」
「では俺が話をつけてやる。ご主人さまとやらに会わせろ」
こうしてハルベニィとミーナはその赤毛の男の子のおかげで難を逃れたのであった。
ハルベニィは「ふう、危なかったぜ」と言って、ミーナも「いい人だったね」と言った。
※
神殿での戦いの後、森の魔人はどさくさに紛れて退散していた。彼は体を人並みに縮めて、ボロ布の外套を着て、人の世に馴染んでいた。
ジュカ人の反乱者が潜んでいた貧民街の一画は今はすっかり寂しくなっていた。森の魔人が果実をぼりぼり食べていたとき、そこへミヤルたちが帰ってきた。
森の魔人は赤毛のコーネ人の男の子を見て、凶悪に笑った。
「おぉ、素晴らしき光。目が潰れそうだ」
赤毛の男の子は森の魔人の向かいの木の椅子にかけて、威圧的に言った。
「ネビウスを怒らせるな」
「火山の魔人も彼女を恐れるか」
この会話の通り、この赤毛の男の子の正体は魔人であった。
森の魔人は皮肉を言った。
「あんな図体が大きいだけの影法師だけを寄越すのでは、火の者共は心もとなかっただろうに」
「天秤の注文には応える。それだけだ」
火山の魔人は世間話をしにきたわけではなかった。彼は森の魔人に一言注意した。
「プロメティアはお前の管轄ではない。手出しをするな」
「もちろんそうだ。彼女は誰の支配も受けない。アァ……、彼女がついに帰ってくる。牢獄の都に!」
そのとき、太陽の都の黄昏の空に、赤々とした太陽と、それに並んで月がぼんやりと浮かんでいた。
太陽の都編「太陽の祝祭」 おわり




