第185話 太陽の祝祭(30)「炎の猛進、雷の槍」
今、ヤージェはカミットの隣で一時的な体の肥大化をしていた。ヤージェは本来は人が抱えられるくらいの大きさの子猪だが、彼は呪いの影響により体を変質させ、大きくさせることができた。
このとき不思議なことには、ヤージェに取り付けてある手綱もまたその長さが伸びて、大きくなったヤージェにぴったりの様子になった。その手綱がヤージェを落ち着かせ、彼をカミットの隣で待たせていた。ほんの一ヶ月前まで野生動物であった彼をこのように理性的にさせたことこそが、その封呪の手綱の力であった。
太陽の化身の光の火がその手綱を輝かせ、カミットに意識を向けさせた。太陽の化身は人間の言葉を話さず、意思疎通も曖昧であったため、カミットはすぐには要領を得なかった。
「んん? なんだろう」
カミットは不審に呟き、その手綱を手に取った。
その瞬間、すべきことが閃いた。
まだあまりにも鮮明な記憶として、雷の騎手が仙馬を操って、ネビウスを打倒したことが思い出された。
終わりの島では戦士による騎乗は行われていなかった。馬や家畜は荷車や資材を引いて運ぶための輸送手段でしかなかったからだ。そのためカミットはシグルマという魔物飼いがヤージェを譲り渡してきたときの「最強の騎馬になるぞ!」という言葉の意味を理解できなかったのだ。
しかし今は分かっていた。
見様見真似をするならば、その見本はただ一つしか知らなかった。
ネビウスの仇を手本にするなど、カミットには度し難いことであったが、今はそうするしかなかった。
カミットはヤージェによじ登り、跨ってみた。獣の背は丸みを帯びてごつごつとしていて、乗り心地は良くはなかった。
そのあとしばし無言でいた。
カミットは首を傾げた。
「あれ? これをどうしたら良いんだろう」
ヤージェも困惑していて、不安そうにブギィと鳴いた。彼はとっとと戦いに向かいたかったが、カミットが謎の行動をするのに付き合わなくてはならなかった。
カミットとヤージェがまごまごしていると、それを待っていられなくなったのはカミットと同化して姿を消している太陽の化身であった。
二人の背後で太陽の火が爆ぜた。
ヤージェは驚き、どどっと駆け出した。火の呪いは彼の脚力に甚だしい力を与えており、その走りはとてつもない速さであった。
突然の発走にカミットは振り落とされそうになったが、手綱は手放さず、彼はなんとかヤージェにしがみついた。
彼らは火口の真上の生贄の間でそういうハプニングを起こしていた。
つまりその周囲は煮えたぎる溶岩で満ちていた。
「あっ、待って。ヤージェ!」
カミットは叫んだが、ヤージェは興奮していて止まらなかった。
爆走の勢いそのままに、彼らは火口の岸を突き抜けて、炎の海の上を飛んだ。
あわや獄炎の中に飲まれるかと思われた時、彼らの背後に炎の円環が現れ、それが爆ぜることで推進力を与えた。太陽の化身による補助であった。
カミットとヤージェは空中で勢いを増して、対岸の回廊に着地した。ヤージェの火の呪いを宿した足は石材の床を強靭に踏み、着地の跡を黒く焦がし、煙を起こした。
ヤージェはなおも止まらず、そのまま火口を囲む回廊に沿って走り続けた。
カミットはたった今死にかけたことには無頓着であった。それどころかヤージェに乗ったことで得られた未体験の速さに酔いしれた。
「すごいよ、ヤージェ!」
こうしてようやく魔人と戦う用意ができたのであった。
カミットがもたもたしていた間にも火口の魔人はどんどん神殿の上層階に上がってしまっていた。
神殿の多層構造を階段を使って上り下りするのでは、ヤージェの速さを活かせないように思われた。
中央火口に接する回廊は激しい戦いによって、あちこちが破損していた。床が抜けているところや、手すりや柱が崩壊しているところもあった。
カミットは名案を思いついた。
彼は手綱をしっかりと握り、ヤージェの爆走を意図する方向へと誘導した。
その方向とは火口の方であり、カミットはヤージェに再び炎の海の上に飛び上がらせた。
太陽の化身はカミットの意思を汲み、爆炎による推進力に斜め上方への角度を加えた。
これによりカミットたちは上手いこと上階層の回廊へ移動できた。
要領を得たらば、カミットはその調子でどんどん神殿の上を目指した。
火口の魔人は回廊の内壁に張り付いて暴れていた。
そのときある傭兵たちが魔人に抗っていた。
彼らはカミットと縁の深い傭兵団「三体殺し」の者たちであった。
「ヤージェ! 太陽の化身! あそこ!」
カミットはそこを指さして大声で叫び、爆炎に乗って、その連鎖によって、神殿を一気に上った。
ヤージェの牙が黄金の火を纏った。
火口の魔人が大口を開けて火を吐こうとしていたとき、ヤージェの突進が魔人の横腹に突き刺さった。
その衝撃により、魔人は回廊内壁から引き剥がされ、落下していった。
カミットは手綱だけは離さなかったが、激突の衝撃により、ヤージェの上から放り出されていた。空中での制動は困難であったが、太陽の化身が再び補助をして、カミットとヤージェは傭兵たちがいる階の回廊に降り立った。
このときカミットは太陽の化身との融合以降でコーネ人のような見た目に変わっていた。
そのため傭兵たちはカミットが彼であるとすぐには気づかなかった。
ただカリドゥスだけは理解が早かった。彼の妹であるエニネは十五歳のときにナタブの見た目からコーネ人の見た目に変わっており、それを身近に経験していたからだ。
「カミット。変貌はめでたいことではあるが、お祝いは後だな。俺は彼らをここから脱出させなくてはならない」
カリドゥスは傭兵たちに守られているコーネ人豪族、そして彼の母であるナタブのドゥリメを示した。
カミットの心はこの上ない喜びに満ちた。
「お母さん、生きてたんだね! 最上階の職人組合の人たちが使ってた部屋の窓から逃げるときに、外に木の階段を作ったよ!」
カミットは回廊の手すりから見を乗り出し、その部屋の方を指さした。
カリドゥスは頷いた。
「よし。そいつを使おう」
「屋上には森の魔人がいるから気をつけて!」
「もし会ったら、もう一回殺してやるさ」
「うん! じゃあまたあとで!」
カミットはヤージェの手綱を引いた。ヤージェは太陽の化身の脅かしが無くとも、カミットの意向に沿って走り出した。
カミットたちは上がってきたときと同じように、火口の上を飛び渡りながら、神殿の階層を下りた。
そうしていると、火口の魔人が下の方から火球を吐いて、カミットたちを狙い撃った。
カミットは一瞬ひやりとしたが、太陽の化身の光がその火球を打ち消した。
魔人を倒す準備は完全にできていた。
カミットはヤージェに跨って走り、飛び、そして弓矢で矢を放った。太陽の化身の光を纏った矢は火口の魔人の大きな耳を左右を連続で撃ち抜き、破壊した。
魔人は悲鳴を上げて、暴れまわり、やがて力無く火口の中に沈んでいった。
「やった! 倒した!」
カミットは歓喜の声を上げた。
ところがしばしばそうであったことには、魔人はただでは死なない。森の魔人は今や堂々の復活を遂げ、入江の魔人は最期に死の毒を撒き散らし、峰の魔人は隠していた一撃であわや守り子を殺しかけた。
火口の魔人の場合は入江の魔人に近い現象を起こした。
彼が力尽きたと思われたその直後、太陽の火山の大噴火が起きた。
火口から火柱が立ち上がった。
ネビウスとカミットの森の呪いが張り巡らした実りの宮殿の囲いを破壊し、火炎は天まで伸びるように思われた。実りの宮殿は炎上し、たちまち崩壊し始めた。
その火は持続的に吹き上がり続け、やがて不気味な影を作った。
まるでコーネ人のような顔貌を象り、手がにょきにょきと生え、巨大な火炎によって火口の魔人の姿が再現されたのである。
神殿の屋上ではコウゼンと森の魔人が戦っていた。コウゼンは単独で森の魔人を抑え込むという難事を見事に果たしていた。
その彼らの間近で火口の魔人が最期の一撃を放つべく、巨大な姿を現していた。
コウゼンは顔を歪めて唸った。
それを森の魔人が嘲笑った。
「呪いの返りは必ず起こる。今に見よ、太陽がもたらした影の報いを」
コウゼンは以前から一貫して、闇の者の言葉を無視してきたし、今回もそうである。彼は森の魔人の斧の乱撃を剣で打ち返しながら、冷静に考えていた。
だから彼の言葉はほとんど独り言であった。
「空は仙馬の領域だ。火口の魔人は墓穴を掘ったな」
実りの宮殿が崩壊すると、仙馬の激しい風雨が再び辺りを支配した。
無数の雷が降り注いだ。
ただしその雷は純粋に見た目通りのものではなく、ある呪いを宿していた。
呪いの雷がもたらす影響は少し前には呪いの者たちに力を与えたが、今度は逆のことが起こり始めた。
その雷は人間の戦士たちに底知れぬ力を与えた。
コウゼンもその恩恵を受けた。彼は剣と斧の戦いの均衡を打ち破り、森の魔人を圧倒し始めた。
※
仙馬の雷の力はカミットに勇気とアイデアを授けた。
もはや神殿の階層を一階ずつ上るのは億劫であった。
カミットはヤージェを足の内側で叩き、前進させた。
「ヤージェ、ぐるぐると走って上るのが良さそうだよ」
ヤージェに言葉の意味が正確に伝わっているはずもなかったが、そうでなくともカミットは手綱を操って、それをやらせるつもりでいた。
太陽の化身もその意思に応えた。
火の輪の爆発が彼らを発進させた。
飛んで回廊に着地するのではなく、カミットが差し向けることでヤージェは回廊の内壁そのものに激突しそうになった。
するとヤージェは身を返して、壁を蹴り上がった。その勢いのまま、円形の神殿内の内壁を斜め上方に向かって駆け上がり始めた。太陽の化身による推進力の維持がその異様を実現させた。
ヤージェはさらに加速した。彼が踏んだ後にはあまりの衝撃で回廊が崩れ落ちる場所もあった。
回廊に沿って、火の渦を作りながら、ヤージェは神殿を上昇していった。
業火を伴う爆走はやがて天蓋の上まで突き抜けて、カミットとヤージェは火口の魔人の正面に飛び上がった。
火口の魔人は最期の一撃を都市に向かって放つべく、凄まじい熱量が濃縮された息を胸に溜め込んでいた。
カミットはヤージェと共に嵐の中を天高く飛び上がって、その様子を眺めた。
彼は雷の短槍を手にした。
それを投げるのである。
たった一度の投擲を成功させなくてはならなかった。彼はこれまでに何度か射るべき矢を外してきた。
今回だけは外したでは済まされなかった。
緊張は極限に達した。
空中で時が止まったかのような感覚に陥った。
カミットが槍を振りかぶったとき、誰かの手が槍を支えた。
雷が人の姿に成り代わった異形の存在、雷の騎手がカミットの背後に現れ、彼に槍の手ほどきをするかのような仕草をしていた。
眩い姿は輪郭をはっきりとはさせなかったが、カミットは彼の横顔をまるで太陽の化身のようだと思った。
霊的な陶酔がカミットに確信を与えた。
仙馬の雷の槍は必ずや敵を貫くのだ。
火口の魔人は裂けた口を大きく開き、その奥底から煮えたぎる炎を吐き出そうとしていた。
カミットはその口の中に向かって槍を投げ込んだ。
カミットと魔人の距離はかなり離れていた。
本来のカミットの肩の力ではとても届かなかったはずだが、このときの彼は体がコーネ人になっており、また雷の強い力が槍を稲妻のような速さで飛ばした。
必殺の槍は火口の魔人の中に溜め込まれていた力を粉砕し、爆散させた。
元々からして不安定であった魔人の姿はついに維持できなくなり、火口に向かって崩れ落ちていった。




