第184話 太陽の祝祭(29)「太陽の怒り」
カミットは戦意に燃えていた。戦いの場の高揚感が彼にただ突撃のみを命じていた。
癒しの花園で怪我を治した後では、襲い来る火の粉も波のように降りかかるどろどろの溶岩も、少しも怖くなかった。
しかし実際にはそれらの火の力は一瞬にして命を奪い去る脅威であった。カミットは無自覚で運良く避けられていたが、あるとき溶岩が飛び散って、雨のように降ってきた。その範囲は広く、逃れることは困難だった。
そのときカミットの頭上に火の傘が現れて保護を与えた。
カミットはそれも気にせずに、彼は火口の岸のぎりぎりのところに立って、夢中で弓を構えていた。
するとゴツンと杖で頭を叩かれた。
「痛い!」
カミットが怒って振り向くと、杖で叩いたのは守り子のグウマであった。彼は半身を火の呪いによって蝕まれ、今は半人半化身の状態であった。コーネ人である彼が半身を火によって蝕まれた姿は火口の魔人とも似ていた。
カミットは驚いて、グウマを心配した。
「大丈夫!?」
グウマはいつもながらイライラしていた。
「大丈夫でないのはお前の頭だ。こんなところで何をしている?」
「戦ってるんだよ!」
彼らが話している間にも、火は降り掛かった。グウマは杖を軽く振るだけでそれらを弾いた。
グウマは太陽の化身が火口の魔人と戦っているのを見やった。
カミットはコウゼンに言われたことを思い出した。
「グウマが戦いを終わらせてくれるってコウゼンが言ってた!」
「そうだ。私が終わらせる。太陽の化身も戻ってきた。準備は出来ている。しかしそれにはお前が邪魔なのだ」
「なんで? 一緒に戦おうよ!」
「お前は神殿を離れろ。神官や継承一門も避難を始めている」
「何かするの?」
「太陽の化身の太陽の怒りによって、まもなくこの神殿は火山に飲み込まれる。神殿にいるものは全て死ぬ」
「ええ!? 駄目だよ! 神殿にはカリドゥスたちがいるんだ!」
「誰だ? 傭兵か?」
「うん。他の傭兵の人たちもいるでしょ!」
「多少の犠牲はやむを得ぬ」
実のところ、グウマは傭兵が嫌いだった。彼は継承一門や都市の憲兵には敬意を持つが、傭兵は商売戦士であるところを軽蔑していた。だから彼は傭兵の犠牲をほとんど犠牲とも思っていなかった。
しかしグウマはカミットのことは死なせたくなかった。
「時間がないのだ。お前はすぐに去れ。お前が生贄の間を出たらば、まもなく太陽の怒りが起こるであろう」
「いやだ!」
「……聞き分けのない子供め。ならば、お前は私と共に死ぬだけだ」
「やだよ!」
グウマはカミットを無視して、生贄の祭壇へ向かった。古代の文字が記された祭壇は、かつて古の民が火山の揺れや噴火を制御するために用いた意思伝達装置であった。歴代の太陽の守り子はその装置の使い方をいくつか教わっていて、その最後の指令は太陽の怒りと名付けられた神殿の自爆自壊であった。
グウマがその作業を進めようとすると、カミットが彼を引っ張って止めさせようとした。
「だめだよ! やめて!」
「ええい、邪魔だ!」
グウマは反射的に自由に動く方の手で、すなわち火の呪いによって蝕まれたドロドロの火の手でカミットを打ち払った。
カミットは悲鳴を上げて、のたうち回った。
「熱い! 痛い!」
「ああ、なんということだ。貴様、……むう」
グウマは意図していなかったとはいえ、カミットを火傷させてしまったことに動揺した。このことは彼がやろうとしていることと矛盾していた。太陽の怒りが引き起こされれば、神殿にいるものは全て太陽の火山に飲み込まれるのだから、カミットもまた死ぬのだ。今ここで彼が火傷に苦しんだとて、結果ならばもっと残酷なことになるのだ。グウマがこの些細な出来事に心を惑わされる必要はないはずだった。
彼は自分に言い聞かせた。
「そうやって、未熟で、近視眼的な者が過ちを犯す。私には責任がある」
グウマが再び祭壇の方に向き直ると、今度は火の猪のヤージェが突進してきて、グウマをふっ飛ばした。グウマは火の傘で守ろうとしたが、ヤージェもまた火の呪いによって牙を燃やしていて、彼の突進はグウマの火の守護を突破した。
グウマは怒りに震えて言った。
「子供! 獣! 貴様らは何も分かっていない。お前たちではこの世は成らぬ」
カミットは起き上がって、グウマに言った。
「僕が魔人を倒すよ!」
「出来もせぬことを言うな」
そのとき、溶岩がひときわ大きく波打って、その中から火口の魔人が這い出てきた。
魔人は太陽の化身から逃れようとして、火口をぐるりと囲む回廊の柱を登り始めた。魔人が纏うどろどろの溶岩が、登る内に落ちてきて、生贄の間に降り注いだ。神官たちは火の呪術で魔人を撃とうしたが、降ってくる溶岩に阻まれて上手くいかなかった。
グウマは焦った。
「撃ち落とさねば、また奴は外に火を撒き散らす」
「大丈夫だよ! 外は僕の森の呪いが守ってる!」
「木では火を防げぬだろうが」
火口の魔人が柱を登っていくと、高層階の回廊から傭兵たちが現れ、彼らが魔人を槍で突き刺した。
魔人は火を吐いて、彼らを燃やした。何人かの傭兵が一瞬で死んだ。またある者は魔人に掴まれ、火口に投げ込まれて死んだ。
そのようなことが起こっている一方で、火口の中から太陽の化身がゆっくりと上がってきて、グウマとカミットの前までやってきた。
太陽の化身はグウマが跪いて頭を下げると、彼に対して頬ずりをして、また呪いに蝕まれた彼の半身を優しく舐めた。
「偉大なる者よ。あなたの怒りを解き放たれよ」
グウマは願いを口にしたが、太陽の化身はこれに応じることはなく、今度はカミットを見下ろして、その冷厳な瞳で睨んだ。
カミットはかつて仙馬と交わした会話を思い出して言った。
「希望はあるよ! 僕は戦うよ!」
このときヤージェはすっかり怯えて、カミットの後ろで縮こまっていた。戦いの最中では火の呪いを受けて体を大きくしていたが、今は元の小さな大きさに戻ってしまった。
太陽の化身はもう一度グウマに顔を近づけた。
大化身と守り子は言葉ではなく、思念によって意思疎通した。
グウマは目を見開いた。
「太陽の怒りをこの子供に?」
太陽の化身はグウマの意思は聞かなかった。
彼は天高く吠えた。
太陽の火山が揺れ始め、火口の溶岩は断続的な噴火を始めた。
グウマはカミットに手短に説明した。
「太陽の化身はお前に力を貸す」
「どうやって? どんな風に?」
「作法は知らぬ。ただし、どんなものであろうと、あまりにも強大な火の力だ。ジュカ人であるお前には大きな危険が伴うだろう。太陽の化身の考えが上手くいくという保証はない」
こうして話している間にも、太陽の化身の姿が炎を散らしながら光に変わりだしていた。
グウマは言った。
「お前は魔人を倒すと言った。口にしたことはやらねばならぬ。その約束を必ず遂行しろ」
「分かった!」
カミットは力強く言った。
グウマは祭壇に向かい、杖を掲げた。
彼は祈った。
「大いなる者よ、太陽の怒りを英雄に授けよ!」
太陽の化身が火に包まれ、その姿が完全に光に代わり、その光がカミットの体に集まり始めた。
このときカミットは彼の体にかつて体験したことがない大きな力が宿るのを感じていた。
血が燃えて沸騰し、皮膚や骨まで全てが燃えているように思われた。
その火はあまりに激しかった。そのまま魂まで焼かれて、存在そのものが消えてしまいそうであった。
グウマがカミットに語りかけた。
「それが化身になる痛みだ。人が人であることを忘れ、呪いがもたらす衝動に支配されるのだ。英雄の責任を耐え抜けよ」
カミットの自我が失われそうになる寸前で、グウマの呼びかけが彼を引き戻した。
太陽の化身の力が宿り、カミットは体中を火に包まれ、ジュカ人の葉髪は火に燃えて、獅子の鬣のようになった。その顔貌までもがまるでコーネ人のように変化した。
カミットに融合した太陽の化身の意識が彼の体を突き動かした。
太陽の守り子が太陽の化身の奥義とも言うべき、太陽の怒りを発動するためには、守り子の命を犠牲にしなくてはならなかった。
グウマは跪いて祈っていた。
カミットは太陽の化身の火を纏った手でグウマに触れた。
グウマはたちまち黄金の火に包まれた。彼は最期に言った。
「さらばだ」
彼は燃えて、灰になった。
こうして儀式が完全に成立すると、カミットの意識は清明になった。彼はこの場でグウマが死ぬとは知らなかったので、大きな衝撃を受けた。
しかしグウマは消えたわけではなかった。火の呪いは循環し、太陽の化身の元へと戻る。グウマが灰になると、カミットの内にいる太陽の化身を通して、グウマの存在が実感された。グウマの死は決して無駄な犠牲にはならず、カミットは力と責任を継承したのである。
カミットは決意を新たにした。彼の隣には火の猪のヤージェが並び立った。




