第183話 太陽の祝祭(28)「火口の魔人」
実りの宮殿の展開に対して、いち早く反応したのは仙馬と彼に乗る雷の騎手だった。彼らは空から雷を降らして、伸長する木々を焼き払おうとした。しかしその試みは彼ら自身が降らす雨によって阻害されていた。
そうであるならばと、彼らは元凶たるネビウスを排除しに出向いたが、すぐには襲いかからず、ネビウスが立つ花園の周囲をうろちょろして様子見をしていた。
ネビウスは赤い薔薇の剣をちらつかせた。仙馬がその剣を嫌がって近づかないでいるので、ネビウスは意地悪く笑った。
「うふふ。これはさすがに怖いみたいね」
両者が睨み合っている間にも、木々はさらに増殖と融合を繰り返し、ついには神殿広場全体を空まで覆い尽くして、太陽の火山の山頂に巨大な大樹の傘がかかった。その姿は神話に伝えられる世界樹のようであった。木々の樹皮には不思議な花が咲いて、それらの花の中から光を纏った虫たちが、すなわち精霊が飛び立った。
見渡す限りが精霊の光によって幻想的に彩られていた。
仙馬のもたらす雷は精霊と干渉して弱められていた。
ネビウスは剣を構えた。彼女の背には黒いマントが舞っていた。
そのマントが翻ると、突風が起きて、ネビウスを一瞬で運んだ。花びらが舞って、精霊の光が混じると、それが色とりどりの火の粉が散るかのようであった。
ネビウスが薔薇の剣で斬りかかると、仙馬の騎手は左手に雷の盾を現して、剣を弾こうとした。
薔薇の剣は強力だった。その剣は雷の力が凝縮して作られた盾を粉砕して、発生する放電を舞い散る花びらによって封じ込めた。その花びらが触れると、仙馬の皮膚を細かく切り裂き、彼の血を吹き出させた。
仙馬はたまらずネビウスから離れ、空に向かって駆け始めた。
ところがもはや空は存在していなかった。
実りの宮殿の天蓋は閉じられていて、仙馬は大神殿の周囲を出口を求めて駆け回った。
ネビウスはこの様子を愉快に思い、キャキャキャと高笑いし、邪悪な笑みを浮かべて言った。
「逃がさないわ」
ネビウスは夜のマントによって飛翔し、仙馬たちを追いかけた。
仙馬の行く手には外壁を取り囲む大樹の壁から太い梢が次々伸びてきて、彼らの逃走を妨害した。
ネビウスが仙馬たちを仕留めるべく本気で襲いかかると、仙馬はいかにも腹立たしげに嘶いた。
すると太陽の神殿の方から火口の魔人の不気味な猫の顔が出てきて、その口がネビウスに向かって間抜けに開かれて、ごうごうと火炎が吐き出された。高密度な火炎が絶えず吐き続けられて、次第に光線めいた見た目になった。
ネビウスは右目の赤い瞳を煌めかせて睨んだ。
火口の魔人の炎はネビウスを持ってしても無効化することはできず、彼女自身は業火に飲まれても無事でいたが、その火は彼女の背後まで大気を焦がすようにして伸び、実りの宮殿の壁を貫通して大きな穴を作った。
仙馬は火口の魔人が作った大穴から飛び出していった。
ネビウスは仙馬がそう簡単に降参するとは思っていなかったので、すぐさま追いかけねばならなかったが、火口の魔人が実りの宮殿を破壊することも防ぐ必要があった。
「さあ、あなたの出番よ!」
ネビウスが呼びかけると、彼女の周囲に火の粉が散り始め、それらが爆発すると灼熱の鬣を持つライオン、太陽の化身が現れた。
太陽の化身が威嚇の咆哮をあげると、火口の魔人は神殿の内部へ隠れるように顔を引っ込めた。太陽の化身はそれまでの鬱憤を晴らすように、太陽そのものが現れたかのような巨大な火を纏って駆け、神殿に向かっていった。
これを見送ったあとで、ネビウスは仙馬を追うために、実りの宮殿の外に飛び出した。
※
戦いの規模は人間の手に追える範疇を越えていたが、神殿内部では人間と呪いの化身の集団どうしの戦いが続いていた。
最も危機的なときには、神官と継承一門の戦士が火口の魔人の圧倒的な制圧力と森の化身による包囲によって絶望的な状況に陥っていたが、外部から救援に入った傭兵の活躍により窮地を脱した。
カリドゥスたちは遅れて神殿に突入したが、彼らの目的は本来の魔人との戦いとは異なっていた。彼らはカリドゥスの母であるドゥリメを助けるために、ドゥリメがいるであろう階層に向かって進撃していた。呪いの化身たちが彼らの行く道を阻もうとしたが、今や歴戦とも言える経験を積んだ戦士たちは止まらなかった。
彼らは神殿上層の大回廊を駆けた。
大回廊からは赤熱した溶岩の海が波打つ火口を臨む。
すなわちそこには火口の魔人がいて、その巨体で暴れているのがまざまざと見えた。火口の魔人が手足を振り回すと、危険な火が撒き散らされた。カリドゥスたちは柱の影に隠れることでその火を防いだ。
今までの魔人とは危険の度合いが違ったことをカリドゥスは理解した。彼は火口の魔人に正面から挑まなかったことを正しい判断だったと思った。
カリドゥスたちはドゥリメが逃げ込んでいるかもしれない、そういう部屋を手当たり次第に見て回った。するとある部屋が中から封鎖されていて、外からは扉を開けることができず、戸を叩くと人の声が答えた。その部屋にはドゥリメはいなかったが、カリドゥスは数名を護衛に任じ、民間人の脱出を助けた。
このことはカリドゥスに微かな希望を与えた。彼は仲間たちと共に呪いの化身を倒し、そして人々を助けた。
階層を登り、残る部屋が少なくなるほどに希望は絶えていった。ある部屋を開けたときに、そこに小さな子供を抱いた女が植物に食われて死んでいるのを見た。火で焼かれている者もいた。
「……ここは地獄だ」
カリドゥスは無意識に呟いていた。険しい環境で戦い続けてきた中でも、これほどの惨状に立ち向かうのは初めてだった。彼の仲間たちも同じだった。
助かった人々は幸運に恵まれた者たちであり、逃げ遅れたほとんどの人は既に死んでいた。
そのとき神殿上空から太陽の化身が飛び込んできて、火口の魔人と戦い始めた。その影響で、いっそう激しい火が回廊のあちこちに降り掛かった。
引くべき時を見極めねばならなかった。カリドゥスは汗と煤にまみれてドロドロの状態の仲間たちを見やった。
「お前たち、よくやってくれた」
戦士たちは「諦めるな!」とカリドゥスに進言したが、カリドゥスはこれ以上の救出活動は無駄であると判断した。
「もう戻ってくれ」
「あんたが帰るなら、帰るけどな!」
そのときだった。
大神殿の中央の生贄の間に別の動きがあった。
カミットが魔人の前に駆け込んできたのだ。
彼の隣にはヤージェが走った。ヤージェは魔人の火を浴びても平気であり、それどころかその火を吸収して体を大きくさせた。ヤージェはカミットに襲いかかる火の化身を体当たりで追い払い、森の化身のことは突進して、火の牙で突き刺して倒した。
カミットは破魔の矢をしゅぱしゅぱと放ち、火口の魔人の耳を狙った。魔人の巨体はカミットにとっては好都合であり、矢は魔人の耳に命中した。その効果ははっきりと現れ、太陽の化身に抗っていた魔人は明らかに弱って、太陽の化身によって押し込まれ始めた。
魔人の暴れ方はいっそう激しくなって、火や溶岩は波のように降り掛かった。カミットはちょこまかと走って逃げた。彼は実に運が良く、火に巻き込まれないで済んでいた。
この様子を見て、カリドゥス配下の戦士たちが大喜びして言った。
「あれを見ろ。命知らずの馬鹿がいるぞ」
カリドゥスは我慢できなくなり、いつもの彼の調子で言った。
「俺はもう、お前らの頭の悪さには呆れ返った。死ぬも生きるも、勝手にしろ」
傭兵たちは「そうさせてもらう」と言って、カリドゥスが再び進み出した後にぞろぞろと着いていった。




