第180話 太陽の祝祭(25)「雷の騎手」
かなり手こずりはしたが、ネビウスにとってみれば、大きさならば通常の獣と変わらない怪物を一頭倒すくらいは出来て当たり前のことであった。分かりやすい弱点が露出していればなおさらである。
ネビウスは仙馬を倒した後は森の魔人を始末しなくてはならなかった。彼はまだ神殿の屋根の上にいたので、ネビウスはまた登っていかねばならず、面倒に感じて、ため息をついた。
気合を入れ直して、もう一仕事に向かおうとしたとき、ネビウスは神殿上空の嵐の空を見上げて、訝しんだ。
仙馬が起こした雷雨はなおも止まず、それどころか雨の水滴がドロドロとした粘り気を持ちだして、いっそう霊気に満ちる様子を見せ始めた。
経験豊富なネビウスですら異様な気配にぞっとしていた。彼女は不安になって呟いた。
「まだ何かあるの?」
ぶわりと不気味な風が吹いた。
急に雨が止み、大気はからりと乾いた。
石畳の広場が異国の荒野のような趣をしだした。
神殿の方から歩いてくる人影があった。
ネビウスは目を凝らした。
顔貌や体の輪郭はぼやついていて、はっきりとしなかった。精霊が凝縮して人の形を象っているのだろうと思われた。ネビウスが知る限り、その存在の原理は魔人のそれとほぼ同じもののようだった。
ついに魔人が姿を現したのかと思われた。
ネビウスはその考えを直ちに否定した。彼女は魔人ごときに恐れを抱くはずはなかったからである。
それはもっと得体の知れないものに違いなかった。
ネビウスがじっとして事態の成り行きを見守っていると、不確かな何者かはネビウスを通り過ぎていった。
そのまま彼が歩いていった先には仙馬の折れた角があった。
彼がそれを手にしたとき、その折れた角は雷を放った。莫大な力の奔流がそれを手にする者に明確な人の姿を与えたのだ。それまで不確かでぼんやりとしていた影の存在の輪郭が急速に鮮明になった。
雷そのものが人に成り代わったかのように、彼の姿は輝きを放っていた。雷の激しい力の流れが人の姿を象っていた。
さらには折れた角は雷の力によって伸長し、長い槍に変化していた。
終わりの島の民は知るはずもなかったが、ネビウスには知識があった。
その者の立ち姿は異国の神話が伝える天空神さながらの様子だった。ときには雨に姿を変え、雷を支配し、必殺の槍を手にする姿はまさにという感じであった。
倒れていた仙馬が立ち上がり、前足を振り上げ、歓喜に嘶いた。彼は雷の写し身とでもいうべき男の元へ駆けていき、自らに跨がらせた。
仙馬自身は角が折れたことで雷の力を失っていたが、今は角が折れる前よりも力強い様子であり、天空神らしき男という最高の騎手を得たことによって全能感を漂わせていた。
彼らが何事もなく済ませるはずもなく、その男は仙馬の手綱を引いて、その手綱はどこからともなくいつの間にか現れていた、とんでもない暴れ馬であるはずの仙馬を完全に支配している様子で、その向きを変えさせた。
そして彼らは角を折った相手であるネビウスに向かってきた。
ネビウスは再び剣を構えた。折れた角が全ての起点であるように思われたので、ネビウスは男が持つ槍をもう一度叩き折ってやればよいのだと考えた。
ところがネビウスを異変が襲った。彼女は普段ならばどんな相手の攻撃も完全に見切ることができたが、このとき相手の雷の槍の攻め筋がさっぱり読めなかったのである。
何が起きたのか分からず、彼女は混乱した。
最初の一撃は咄嗟に横っ飛びに転がって躱した。
しかし仙馬たちはすぐに引き返して襲いかかった。
ネビウスは慌てふためき、相手の攻撃から逃れるだけで精一杯になった。
千年以上も生きてきて、こんなことは初めての経験だった。
ネビウスはもはや自力でどうにかできるとは考えず、指笛を甲高く鳴らした。彼女は長年の盟友である夜の王を呼びつけたのである。
黒い梟が神殿広場の上空に現れた。その姿が弾け消え、黒い羽が舞い散った。
するとネビウスの肩から黒いマントが現れ、ばさりと羽ばたくように靡いた。こうしてネビウスは夜の王の力を借りて、仙馬たちを迎え撃とうした。
雷の槍がネビウスを捉えようとしていたが、これはネビウスにとっては狙い通りのことだった。夜の王と連携したことで、彼女は絶対的な自信を得ていた。
ところが予定外のことがまた起きた。
突進する仙馬たちの足元から、鋭い木々がどっと生えて、彼らをすっ転ばせたのである。
それをやったのはカミットの森の呪いであった。
このときカミットは神殿の屋根の上におり、彼はネビウスの危機を救わねばならないと考えて、森の呪いを使ったのであった。
雷の騎手は威厳ある様子であったのが、今は無様に転んでいた。彼は立ち上がると、神殿の方を見上げ、カミットを睨みつけた。
ネビウスと夜の王は互いの心中の意思疎通により短く話した。
「坊やが危ないわ」
夜の王は大人の男の渋い声で「やれやれ」とぼやき、皮肉めいた笑い方をして言った。
「向こう見ずの子供が死ぬようだ」
「守らないと」
「子供だから見逃されるかもしれぬ」
「そんな都合が良いわけないでしょ! もう倒し切るしかないわ!」
「では分析をして、作戦を立てろ。万が一のことがあるぞ」
「悠長なことを言っていられないわ!」
雷の騎手は仙馬に再び跨がり、空に飛び上がろうとしていた。
ネビウスは夜のマントを羽ばたかせて飛んだ。梟の狩りのようにして、仙馬たちの背後に取り付くと、雷の騎手が槍を振り回そうとも、マントによる飛行で完全に避けきった。
そしてここぞという隙を見て、ネビウスは雷の槍を叩き斬ろうとした。
斬った、と思われた。
その瞬間、稲妻が爆発的に放出されて、ネビウスを弾き飛ばした。ネビウスが纏っていた夜のマントも剥ぎ取られた。マントはネビウスから離れるや、黒い梟の姿に戻って、衝撃によってそのまま吹き飛ばされていった。そうして離れていく直前に夜の王が「逃げろ!」とだけ叫び、ネビウスがマントを失うのと同時に意思交信は途絶えた。
ネビウスは何とか立ち上がったが、仙馬たちが迫りくるのが見えて、雷の騎手の槍が折れていないのを見て、夜のマントを失っていることを知り、剣さえ弾き飛ばされたことで今は手元に無く、彼女はその場に立ち尽くした。
もう逃げるしかなかったのだが、ネビウスがたとえ古の民の特別な肉体をしていても、戦いによって負った痛みは彼女の体を蝕んでいた。たった今の雷の衝撃はネビウスが普通に動くことすらも著しく妨げていたのだ。
仙馬の突進の軌道に木々が現れて妨害しようとしたが、二度も同じ手を食わぬとばかりに、仙馬の蹄がすさまじい雷を放って、足元の木々を焼き払った。
そして雷の槍がネビウスを貫いた。
※
ネビウスが槍に貫かれて倒れていく様子を、カミットは神殿の屋根の上から不思議に思って眺めていた。彼は一瞬だけ驚いて言葉を失ったが、すぐに考え直した。ネビウスがやられたように見えても、きっと彼女はすぐに立ち上がり、まだ見せていない取っておきの秘策でやり返すに違いないと思ったのだ。
カミットは拳を振り上げ、声を張り上げて応援した。
「ネビウス、がんばって!」
ところがネビウスはぴくりとも動かなくなっており、いつまでも起き上がらなかった。カミットは次第に声を出せなくなり、手を下ろした。
それまで彼はその戦いを見ながら、無邪気にネビウスを応援していた。ネビウスの人並み外れた運動能力や彼女が今まで見せたこともなかった道具を使っているのを、彼はおもしろおかしく観劇している気分でいた。ときにネビウスが追い込まれているように見えたとしても、結果ならば彼女が勝利するに違いないと確信していた。
実態は全く異なっていて、ネビウスが普段は使う必要もない手段を用いなくてはならない相手が仙馬たちであったのだ。そして最終的にはネビウスが手を尽くしてなお、彼らを打倒することはできず、それどころか返り討ちに合ってしまった。
仙馬とその雷の騎手はもはや倒した相手に関心を失って、優雅な様子で歩き始めていた。
カミットはネビウスを助けに行かねばならなかったが、そんな彼に不気味な影が迫った。
森の魔人は蜘蛛の顔貌を持ち、樹木の体に六つの手があった。彼の右目は失われており、残る左目には小さな矢が刺さったままであった。それはかつて呪いの森において、カミットが放ったものと同じように思われた。
森の魔人はカミットを脅かした。
「お前はもはやただの子供だ。ネビウスは死に、加護が失われた今、お前は無力だ」
カミットは即座に言い返した。
「ネビウスは死んでないよ!」
「あの槍を受けて、生きているはずはない。安心しろ。お前もすぐ、ネビウスのところに送ってやる」
カミットは槍を構えた。彼の隣には子猪のヤージェもいた。ヤージェは少しも怯んでいなかった。彼はカミットと一緒に戦う気概に満ちていた。
これまでカミットは魔人と一対一で戦った経験を持たなかった。カミットはジュカ人の小さな体で生まれたので、同世代の子供どうしですら決闘には強くなかった。
しかし魔人相手ならば、勝機があった。魔人には弱点があり、それを突きさえすれば倒せるからだ。彼は森の魔人に向かって、槍を突き出した。魔人は大人の男の倍くらいの背丈をしていたので、カミットは森の呪いが足場を作って助けてくれることを期待した。しかしそのような気配は無かった。
カミットの槍は魔人の斧で簡単に受け止められてしまった。
魔人が別の手でカミットをごっと殴り飛ばすと、彼の小さな体はあまりにも軽々と飛んだ。
カミットは石瓦の屋根で全身を打ち、また胸部を殴打されたときの激しい痛みで起き上がれなくなり、げほげほと咳き込んだ。カミットの森の呪いは魔人の攻撃に対して何らの保護も与えなかった。このことはカミットには衝撃的だった。森の呪いの補助がないのであれば、勝機はおろか、隙を見て逃げることすら困難に思われた。
ヤージェも魔人に突撃していたが、彼もまた蹴り飛ばされて、悲鳴をあげていた。魔人はヤージェを踏み潰して殺そうとした。
ここに至り、カミットは絶望し、懇願した。
「やめてよ! ヤージェを殺さないで!」
森の魔人はヤージェをがしがしと踏みつけていた足を止めて、カミットの方に向いた。
「お前は私に慈悲を求めたか?」
「なんでそんなことするの!?」
森の魔人はカミットに諭すように優しく語りかけた。
「獲物を殺して食うのに理由は要らぬ。お前たちが呪われし者どもを殺すことを当たり前に思うのと同じだ」
「でも! こんなにちゃんと話せているのに! なんで!?」
「それは俺がまだ人に成れていないからだろう」
カミットの願いは届かず、森の魔人はヤージェを踏み殺そうとした。
そのとき。
神殿の火口の方から、溶岩が吹き上がった。その赤熱した溶岩の中に人影があった。眩い火を纏って、コウゼンが飛び上がってきたのだ。
彼は灼熱に滾る剣で森の魔人に斬りかかった。
剣と斧が打ち合い、激しい火花を散らした。
コウゼンはカミットに呼びかけた。
「カミット! 無事か!?」
「大丈夫だよ……!」
本当はとても苦しかったが、カミットは根性で立ち上がって応えた。
コウゼンは森の魔人と激しく戦いながら、カミットに指示を出した。
「今、グウマ様が戦いを終わらせる準備をしている。君は神殿から離れろ!」
「うん。……分かったよ」
カミットはよろよろと足を引きずって歩きながら、ヤージェを助け起こし、その場を離れた。




