第179話 太陽の祝祭(24)「仙馬」
ネビウスと森の魔人の戦いは再開されていた。ネビウスが高速の剣撃と卓越した身のこなしによって圧倒する展開はそのままだったが、森の魔人は六本の手による斧の乱撃と森の呪いを駆使することで、よりしぶとく抗った。
もはやネビウスは落ち着いていた。彼女は他の都市でもそうしてきたのと同様に、一連の騒動の後始末に関わるつもりはなかった。彼女は月追いの干渉を追い払えさえすれば良かったのであり、むしろ仙馬は動く物なら何であれ襲いかかるような怪物であったので、彼がやってきた後はミーナを守りながら傍観すれば済むと、ネビウスは考えていた。
いよいよ風が強まり、日が陰り、雨の気配までしてきて、仙馬が接近してきた。
嵐が起こり、雷が落ちた。稲光がして、雷鳴が轟いた。
そのような状況でも、森の魔人はネビウスに戦いを挑んできた。
「あんた! いい加減にしなさいよ!」
ネビウスの叱責に対し、森の魔人は挑発的に問いかけた。
「恐れるな、俺たちで戦を演じよう!」
「付き合ってられないのよ!」
ネビウスは森の魔人を蹴飛ばして距離を取った。
太陽の火山の上空に黒々とした雷雲が立ち込めて、その中を青白い閃光が迸っていた。仙馬の走った跡がそのように見えるのだ。
「なんで降りてこないの?」
仙馬はこれまでの行動傾向から言えば、戦の気配があれば直ちに駆けつけて、そこに乱入してきた。ところが今は間近まで来たというのに、その上空で留まっている。
ネビウスが不審に思って、空を見上げていると、森の魔人がゆっくりと歩み寄った。
「戦の気配が不純だからだ」
ネビウスは失笑した。
「あんたみたいなのが何を分かったような口を利いてるの」
「分かるとも。呪いの化身というのは哀れな者どもだ。彼らはただ食うだけの獣だ。それが元々は人間であったなどとは思われぬほど、下等な有様なのだ。そういうやつらが暴れているだけというのは、これでは戦とは言えぬ」
「なんだって言うのよ。だらだらと喋って……」
あまりの不気味さに、ネビウスですら寒気を覚えた。
今、森の魔人の口は裂け、最凶の笑みを浮かべていた。
「ネビウスは空の都では仙馬を上手く使っただろう? 今度は俺たちがそれを真似してみよう。人間は学び、真似をするものだからなア」
ここに至り、ようやくネビウスは決心した。彼女は森の魔人をこの場で倒すと決めた。呪いの返りは凄まじいかもしれないが、たとえそうだとしても彼によってもたらされる悲劇と呪いの拡大は、島の呪いを支配する価値の天秤ですら許容できないと確信したからだった。
剣に青い火を迸らせ、最速の一撃で魔人の両眼を切り裂く。
その寸前のこと。
この世の景色がぴかりと光って、暗雲の下が一瞬だけ白んだ。そのときの甲高い音は馬の嘶きのようであった。
無数の雷が神殿に一極集中して落ちた。
衝撃によりネビウスは吹き飛び、森の魔人を倒し損ねた。
雷の衝撃は神殿全体に渡り、神殿内で暴れていた呪いの化身たちを痺れさせ、彼らの動きを停滞させた。
当初、このことは呪いの化身を倒すのに有利に働いた。
ところが異変はただちに明らかになった。
それまでは各個にただ目の前の人に襲いかかるだけであった呪いの化身たちが急に連帯しだした。彼らは統率された兵隊のような動きを始めたのである。
森の化身は太陽の神官に対して全く無力であったが、両者の間に火の化身が並び立つことで森の化身を守った。森の化身は範囲侵食や捕食の能力ならば火の化身を上回っており、彼らの温存は神殿内における呪いの勢力を急速に拡大させた。
ネビウスは呪いの気配を感じ取り、神殿内部の状況が悪化しているのを悟っていた。
彼女はぶつぶつ呟いた。
「だめよ。出てきちゃだめ」
その願いも虚しく、火口が噴火した。
太陽の化身が天に向って飛び出したのだ。彼は火球となって雷雲に突っ込んでいった。直後、連続的な爆発が起こった。炎と雷が捻じれ合って、激しい戦いが繰り広げられているようだった。
ネビウスは太陽の化身を案じながら、戦いを見守っていた。
そのとき、雷雲の中でこれまでにない鋭い光が放たれた。
それを見るや、ネビウスは即座に手を高く掲げ、その右の魔眼で太陽の化身を捉えた。
彼女の目には太陽の化身を通して、空の戦いの様子が見えた。
押し合いに負けた太陽の化身は体勢を崩していた。太陽の化身は火の呪いの爆発を利用して飛行できたが、それが得意というわけではなかった。一度体勢を崩せば、飛行軌道を修正するには数秒を要した。
仙馬はその隙を見逃さず、額の一本角によって太陽の化身を突き刺そうとしていた。その角は眩く輝き、その一点に雷の絶大な力が込められているようだった。
そのまま貫かれてしまえば、太陽の化身は空の化身の二の舞いになってしまう。大化身は一度致命傷を負えば、復活には数年がかりとなる。そうなってしまえば終わりの島の平和は到底維持できない。
ネビウスは右の赤い魔眼の力で、直ちに太陽の化身を灰に変え、彼女の元へと戻させた。太陽の化身の灰はネビウスの右手に宿るも、今回は太陽の火をもたらさなかった。ネビウスが太陽の化身の力を使うつもりがなかったからだ。
決闘に横槍が入ったことは仙馬を激怒させた。彼は逃げた太陽の化身を追って、ネビウスの元まで稲妻を纏いながら降り立った。
仙馬はこの世の最も屈強な黒馬であった。鬣や蹄に雷を纏い、その顔貌はただの馬とは思われぬ鬼のような形相をしていた。
ネビウスは彼に笑って語りかけた。
「うちの猫ちゃんは降参よ。あんたの勝ち! さあ、帰ってちょうだいな!」
大抵の獣が相手なら、ネビウスは手で追い払う仕草をするだけで退けられた。それも仙馬のような魔獣相手ではさっぱり効き目がなかった。
仙馬はネビウスを睨んだままで、じっと待っていた。彼はネビウスが太陽の化身を出すまで動かない様子であった。
ネビウスは苦笑いした。
「そんな行儀よく待たれても、……困ったわねェ」
仙馬は呪いの雷によって、この土地の呪いを感化していた。彼は神殿内で蠢く呪いの化身たちに統率された行動と戦術を与えることで、戦をさせていた。人間と呪いの化身では身体の頑丈さや再生力によって後者が圧倒的に有利である。現状を放置することは人間側の敗北を決定的にするように思われた。
ネビウスがどうしようかと考えていると、先ほどの雷で吹っ飛んでいた森の魔人がのそのそと歩いて戻ってきた。彼はネビウスが手を拱いているのが嬉しい様子で、いやらしく言った。
「ネビウスよ、雷の魔獣は決闘をしたがっている。邪魔をするのは良くないぞ」
「あんた、私を慕っているとか言ってたでしょ。いやがらせしてないで、私のためになることをしなさいよ」
「慕っていることと、支配して、虐めたくなる気持ちは両立する。それが人間というものか?」
「……だめな男ね」
ネビウスは剣を抜いた。彼女は今度こそ森の魔人を倒そうと決意していた。
そのとき仙馬が駆け出した。彼はネビウスに向かって突進した。
ネビウスは不意の攻撃を何とか躱して、石瓦の屋根の上をごろごろと転がった。
森の魔人はそれをいやらしく笑って眺めていた。
「俺はお前に嘘をついたことをすまなく思う。実は俺はネビウスを慕ってなどいない。母を想う感情は俺が拾った人間の出来損ないが持っていたそれを真似しただけだ」
森の魔人は色々喋っていたが、その間にも仙馬がネビウスに襲いかかっており、ネビウスは彼の話を聞く余裕がなかった。
仙馬が踏みつけたり、蹴ってきたり、角で切り裂いてこようとするのを、ネビウスは巧みな身のこなしで避けた。
一方で仙馬が纏う雷が鎧のようになっていて、剣で攻撃できずにいた。ネビウスは左の青い魔眼を煌めかせ、青い火で仙馬の雷の鎧を剥がそうとした。
このとき既にネビウスは青い火で鎧を無効化するのに乗じるつもりで飛びかかってしまっていた。
ところが仙馬は青い火が燃えるよりも遥かに強い勢いで雷を発することで相殺した。仙馬は青い火に一瞬も怯むことなく、空中に飛び上がっていたネビウスに突進した。
ネビウスはその突撃をまともに食らって吹っ飛んだ。咄嗟の反応により角を剣で受け流すことで突き刺されることだけは免れたが、仙馬の人の十数倍の重量による体当たりをまともに受けてしまったのである。
飛距離は凄まじく、ネビウスは神殿の屋根を軽々飛び越え、神殿の最高層から絶壁の下まで落下してしまった。
落ちた先は神殿前の広場であった。
ずどん、ずどん、と鈍い音を立てて、ネビウスは石畳の上を転がった。彼女は古の民の強靭な肉体の持ち主だったので、このようなことになっても痛みに呻くくらいで済んだ。
「なんてことなの」
ネビウスは立ち上がりながら、ぶつぶつ呟いた。彼女の青い火の力の源である哀しみの化身を繰り出すかどうかは判断に迷うところであった。しかし青い火を振り払う魔獣とあってはそれほど有利とは思われず、哀しみの化身の本体を戦わせることは危険過ぎた。
祝祭の見物に来ていた人々は神殿周囲からはいなくなっていた。当初の狂乱の中で押し倒されたりして怪我した者や死んだ者以外は残っておらず、荒涼としていた。
仙馬はネビウスを追って、神殿の屋根から飛び降りてきた。彼はネビウスの向かいに立ち、その額の一本角をこれまでになく輝かせた。そして蹄で足場の感触を確かめ、走り出すための体勢を整えていた。
ネビウスは剣を構えた。彼女はぼそりと呟いた。
「手綱のかからない怪物じゃあ、仕方ないのよ」
仙馬がだだっと走り出した。
ネビウスは迎え撃った。
激突の瞬間、仙馬は頭を低くして雷の一本角をネビウスに突き刺そうとした。
これに対し、ネビウスは完全に見切り、体を突っ込んでくる角の軌道と水平に螺旋を描くように回転させて躱した。
避けただけではなかった。
身を躱すと同時に、彼女は剣を振っていた。
こうして両者が交差したとき、仙馬の雷の角は叩き斬られて吹き飛んだ。
仙馬は悲痛に鳴いた。彼はネビウスの方へ向き直ろうとしたが、その体はよろついて、やがてずしんと音を立てて倒れた。




