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ネビウスクロニクル  作者: 石井
太陽の都編
176/259

第176話 太陽の祝祭(21)「復活」

 状況が動き出すまでには少しの時間があった。一般の人々が暗殺の矢が射られたことに気づくのは困難であり、グウマと太陽の化身(スタァテラ)に何らかの異変があって、儀式の最中にジュカ人の男の子であるカミットが乱入したということだけが事実として認識された。

 エニネは神殿の通路を足早に駆けて、カミットを探していた。エニネはざわついている人々の間をうようにして進んでいった。そうしていると、ちょうど向かいからカミットが走ってやってきた。エニネはカミットに聞いた。

「いったい何があったの?」

 カミットは大声で言った。

「グウマが矢で撃たれた! 儀式が失敗して、生贄の人たちが呪いの化身になっちゃうから、その人達を殺さないといけないんだよ!」

 エニネにとってカミットの発言は衝撃的であった。エニネはまともに思考できなくなり、表情を凍りつかせた。彼女はこれまで考えもしなかった惨劇を想像した。どのように対処すべきか、エニネには想像もつかなかった。

 このときカミットとエニネの周囲にはたくさんの人々がいて、彼らはぴたりとおしゃべりを止めた。

 このすぐ後に、神官ドルイドが人々に避難勧告をしたが、そうすると人々は我先に出口を求めて走り出した。人の流れが濁流のようにせめぎ合って、ある者は転んで踏みつけられて死に、階段では転倒の連鎖が起き、こちらも少なからぬ人数が死んだ。

 カミットとエニネもこの第一の惨劇に巻き込まれそうになったが、森の呪いが木々の囲いを作って彼らを守った。カミットの呪いとその他の化身による呪いは傍目はためには区別がつかないので、カミットによる森の呪いも状況の混乱と狂騒を増長させた。

 この最初に発現した森の呪いをすぐにも討伐せねばならないと思って、コウゼンが駆けつけてきた。ところが木々が通路を塞いでいる中から出てきたのがカミットとエニネだった。

 コウゼンは剣を危うく振り抜きかけるも、エニネを抱きしめて言った。

「良かった。無事だったか」

「ええ、私は大丈夫。でもこんなことになって」

 コウゼンはカミットに命じた。

「カミット。彼女を連れて、神殿の外まで出るんだ。神殿の狭い通路は危険だから、可能ならば君の呪いで安全な道を切り開いてくれ」

「でも僕は呪いの化身の人たちを殺せって、グウマに言われたんだよ」

「君の武器はあるのか?」

「弓矢はいつでも使えるよ」

「それだけでは心許こころもとないな。外にネビウスがいるはずだ。きっと彼女が君のやりを持ってきている」

「そっか! じゃあネビウスを探すね!」

 コウゼンは儀式のときには神官ドルイドの僧衣姿であったが、今は戦士の外套コートを着て、剣を腰に差し、すっかり剣師セイヴァの装いであった。今、彼はよどみなくカミットに指示を出しており、エニネはその様子をあやしんで見つめていた。エニネはコウゼンに問うた。

「落ち着いているみたいね?」

 コウゼンは顔色一つ変えずに答えた。

「儀式は成功すると思っていた」

「何が失敗すると思っていたの?」

「私達は何も失敗しない。私が君に願うのは、どうか君がこの戦いの場から逃れて、安全な場所で待っていて欲しいということだけだ」

 コウゼンはすぐにも戦いに行きたがっていたが、エニネは話を続けた。

「あなたの言い分はもっともだわ。私なんか戦いで役に立たないものね。あなたが妻にしようとしている職人組合ギルドの女が死んだりしたら困るんでしょうね」

 コウゼンはため息をついた。

「その発言の意図は何だ? 他愛ない話をしていられる状況ではないぞ」

 もはやエニネは冷静だった。今回の祝祭の犠牲式こそが今後の太陽の都(ソルガウディウム)の内政の方向性を決めるに違いなかった。歴史的大事件をコウゼンがその全てを解決し、新たな守り子となることで、彼の権力が確立するのだ。

 ところがエニネはコウゼンの政治指導者としての資質に強い疑念を持っていた。エニネにしてみれば、はっきり言ってしまえば、コウゼンは向こう見ずの極端な楽観主義者であり、若くしてある一分野について極めたことで自信過剰になり、その他のことも上手くやっていけると勘違いしている男なのである。

 コウゼンがエニネを妻にしたがっているのであれば、エニネは守り子の妻という地位を用いて彼の暴走傾向に歯止めをかけられるかもしれなかった。そのためにはコウゼンに守られるだけの女であってはならなかったのだ。

 エニネは口から出任せを言った。

職人組合ギルドは武力の発動を今度こそ制御下に置くと決心したわ。継承一門カイラの発動には会長の承認が必要よ」

 コウゼンは苦笑いした。

「戦士はすでに神殿の周囲に到着している。彼らは儀式の参拝のためにおとずれているはずだからだ。戦士たちはただちに投入すべきだ。おきてに従うよりも、人の命の方が遥かに重要だろう?」

「呪いの化身が直ちに暴れ出すとは思えないわ。こんな状況になって人々が死ぬのは、今のところは化身のせいではなさそうよ。状況はより制御されないと、被害は大きくなるわ」

 コウゼンはことさらに長い溜息をつき、いかにも不満そうにエニネを睨みつけた。彼は一言だけエニネに言い残した。

「では、その必要な許可とやらを君が取ってきてくれ。ただし許可があろうと無かろうと、継承一門カイラは化身討伐を開始する」

 コウゼンが不機嫌な足取りで行ってしまうと、エニネは顎に手を当て悩み始めた。コウゼンが守り子でありかつ剣師セイヴァとして活躍しすぎることだけは、職人組合ギルドはどうしても阻止したかった。職人組合ギルドはコウゼンの活躍に引けを取らない何事かを為さねば、この戦いの後で権威が失墜するのを避けられないように思われた。

 カミットはエニネとコウゼンが言い争っている間は黙っていたが、エニネが立ち止まって考え込んでいるところに話しかけた。

「エニネはコウゼンが嫌いなの?」

 エニネは思ってもみなかった質問にくすりと笑った。彼女は「嫌いではないわ」とだけ言った。



 神殿の外の群衆は数万人にも達していた。彼らが神殿内が狂乱状態に陥っていることを知るには、かなりの時間を要した。

 ネビウスとハルベニィは二人で広場の石段に座っていた。神殿の入り口の方が騒がしくなったので、彼らは新しい守り子のコウゼンが姿を見せたのかと勘違いした。

 ハルベニィは立ち上がって、背伸びをして、どうにかコウゼンの姿を見ようとした。しかし同じようにたくさんの人々が群がっていて、彼の視界はさえぎられた。

「ちくしょう。せっかく歩いてきたってのによ」

 ネビウスは悔しがるハルベニィを慰めた。

「気の毒だわ」

「やっぱり中に入りたかったぜ」

「でも、たぶん入らなくて良かったのよ」

 話しながら、ネビウスは手元でごそごそやっていた。いつも連れている子猪のヤージェにやりやら何やらをくくり付けているのである。

 ハルベニィは座り直して尋ねた。

「豚に荷物を運ばせるのか?」

「そうよ、配達させるの」

「へえ。そんなに賢いのかよ」

 ハルベニィは腕組みをして、真面目な様子で考え始めた。ネビウスはくすくす笑って忠告した。

いのししに配達業をやらせようなんて考えないことね」

「げっ。なんで俺の考えてることがわかった!?」

「悪巧みしている顔が親子でそっくりなのよ」

「嫌なこと言うぜ。やめてくれよ」

「私くらいでないと、わからんちんの猪を手懐けるなんてできないのよ」

 二人が話している間にも、神殿の方から騒ぎがだんだんと伝播してきていた。

 ネビウスはより急いで荷物をまとめ、必要な物をヤージェに取り付けると「さあ、あんたの主人に届けるのよ!」と言って、ヤージェを送り出した。ヤージェは矢のような勢いで飛び出し、人々の足元を駆けていった。

 入れ替わるようにして、今度はミーナがやってきた。儀式のための僧衣を着ており、ミーナの神秘的な美貌によく似合っていて、この上なく美しい様子であった。

「お母さん、呼んだ?」

「ええ、呼んだわ。あなたが来てくれて嬉しいわ」

 この二人の会話にハルベニィは首を傾げた。ネビウスはミーナを呼びつけるような素振りを一度も見せていなかった。ただしハルベニィは呪いに関する知識が多少あったので、おそらく呪いによる意思疎通の手段があるのだろうと考えた。

 ミーナはハルベニィには全く関心を示さず、ネビウスにそっと抱きついた。そしてぼそりと呟いた。

「お腹がいちゃった」

 ネビウスはミーナを優しく抱いて言った。

「お家に帰ったらにしましょ。でもすぐには帰れないから、今は私と一緒にいるのよ」

 ネビウスの左目は青く輝き、すると彼女の手にはぼんやりと青い火が灯った。ネビウスはその青い火を平たく薄く伸ばして、ミーナを包ませた。ネビウスの青い火には魔除けの効力があり、呪われた者どもが近づいてこようとも、それらからミーナを守ることができるはずであった。

 ネビウスの思惑はただちに破られる。

 辺りに腐臭が漂い、それがもたらす寒気によって、人々のざわめきが掻き消えた。

 大きな羽音が響いた。

 その正体は翼を持つ大蛇である。翼の大蛇は体をくねらせながら飛んで、神殿の屋根に取り付いた。

 翼の大蛇にまたがる者がいて、ボロ布のような灰色の外套コートを着て、背には大きなおのを担いでいた。その体は黒ずんでおり、腐ったような質感をして、その場に立つだけで死臭を撒き散らす。

 その顔には口だけがあった。裂けた口がぞっとする笑みを浮かべていた。

 月追い(ルナシーカー)終わりの島(エンドランド)の恐怖の象徴である。

 ついには太陽の神殿に現れたのであった。月追い(ルナシーカー)は辺り一面に轟く不気味な声でネビウスに呼びかけた。

「月は見ているぞ」

 群衆は恐怖に陥り、狂乱して逃げ惑った。

 月追い(ルナシーカー)は不気味な黒い霧を発生させて、神殿の屋根から下方へ流れるようにさせた。それ自体は実はほとんど無害だったが、人々は異臭がする未知の霧から逃げ惑った。

 ネビウスはただちに決断した。

「ハルベニィ。ミーナと一緒にいてあげてちょうだい」

 ハルベニィはこの頼みを拒絶した。

「はあ!? 俺たちを置いていく気かよ。ネビウスが俺たちと一緒にいてくれよ」

「私はあいつを追い払ってくるわ。ミーナをお願いね」

 ネビウスは力強く地を踏んで跳んだ。そうして、コーネ人でも困難な跳躍力でいくつかの建物を渡り、柱を駆け上り、あっという間に大神殿の屋根に登った。

 月追い(ルナシーカー)は待ち構えていたかのように、ネビウスの方にゆらりと振り返った。そして発するのはお決まりの台詞セリフであった。

「牢獄は罪人を呼び続ける」

 これにネビウスはピシャリと言った。

「恥かきたくなかったら、とっとと帰りなさい。一万人の観衆の前であんたをボコボコにしてやっても良いんだからね!」

 月追い(ルナシーカー)から笑顔が消えた。彼は流暢に喋り始めた。

「お前は私と話をする。いつも、そうだ。お前はどんな相手にも耳を傾ける」

「そんなの普通のことでしょうよ」

「私はそういうお前のことをだましているのは気が引ける。私はお前のことを母のように慕っている」

「はあ?」

 ネビウスは月追い(ルナシーカー)の発言に混乱した。

 その意味はすぐに明らかになった。

 月追い(ルナシーカー)の黒ずんでいた姿が、まるで木の肌のように変わり始めた。背丈が伸びて、長い胴体から左右の腕が二本ずつ生えた。その全ての手にはおのが握られていた。

 顔貌も急激に変化し、蜘蛛くもの顔になった。

 落ち窪んでいた目が片方だけ再生し、もう片方は潰れたままであった。再生した目もまだ完全ではなく、そこには小さな矢が刺さっていた。

 無数の牙の生えた口がおどろおどろしい声で喋った。

「これにお前の火が宿っていなければ、俺はただの影のままだっただろう。光よりも遥かに強い古代の火は私を人間にした」

 三年前、ネビウスは旅に出てすぐの頃には、カミットの身の安全のために彼に青い火のまじないをかけていた。その火が実際に働いたのはただ一度きりで、カミットが初めて魔人を倒したときであった。ネビウスは厄介なことになったと思って、それ以来カミットに火の守護は与えてこなかった。

 呪いには返りがある。呪術師は細心の注意を払って、返りを受けないようにする。ネビウスはカミットに与えた守護が魔人討伐の決定打になったのではないかと常に心配していた。後悔は当初からしていたが、ここに至って、それが最大になった。

 今、ネビウスの前に、森の魔人が復活したのであった。

 ネビウスは深呼吸して、愛用の青い剣を構えた。

「だったら、これで恨みっこなしよ。あんたはもう復活した。そしたら、もう私のせいじゃないからね!」

「母の愛すら永遠ではない。そうして罪は断ち切られる」

「私達を追い回すのはもうやめなさい」

「月は見ている。牢獄は……」

 森の魔人の語りを遮って、ネビウスは飛びかかって斬りつけた。森の魔人は即座に斧で応じた。刃の打ち合いはたちまち激しくなった。

 ネビウスはいつものことだが、魔人相手でも剣で圧倒した。ネビウスが繰り出す急所を狙った鋭利な攻撃は森の魔人を追い詰めた。

 森の魔人はかわしたり、防いだりするためにだんだんと後ずさり、ついには屋根のふちまで追い込まれた。

 ところが実際にはネビウスの方がよっぽど焦っていた。彼女は魔人を自らの手にかけたくはなかった。彼女が戦っている足場の下、神殿の中では無数の呪いの気配がうごめいていた。魔人を倒さないまでも、この場から去ってもらわねば、魔人の力が大量の呪いの化身と合わさることで大変な惨事になるように思われた。

 このことは魔人の立場からすると喜ばしいことであり、森の魔人は剣によって追い込まれながらも、その戦い方にはどこか余裕があった。彼はネビウスに語りかけた。

「森の呪いはネビウスに感謝している。しかし火の呪いとは不仲だ」

 森の魔人は拳を握りしめ、ネビウスの方へぐっと突き出した。次には彼の足元から無数の木々が爆発的に生えて、ネビウスに襲いかかった。ネビウスはそれを青い火で焼き払った。

 ところがその呪いはただの一発ではすまされなかった。

 大神殿の犠牲の間は火口と一致していて、その天蓋は吹き抜けになっている。そちらの方から、恐ろしい叫び声が無数に聞こえてきた。

 森の魔人の影響により、生贄いけにえにされるはずだった森の呪いの化身が人食いの怪物に成り果てようとしていた。

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