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ネビウスクロニクル  作者: 石井
太陽の都編
175/259

第175話 太陽の祝祭(20)「幻視」

 太陽が大地の真上にやってきて、儀式の時刻を告げた。コウゼンは神官ドルイドを引き連れて、守り子の執務室までグウマを迎えに行った。

 犠牲の儀式において、守り子は神殿の外に出てきて、人々の前に直接姿を見せるのが慣例であった。しかし今年は守り子の代替わりの噂が漏れたために、例年の数倍の人々が押し寄せており、グウマは不慮の事態を避けるために外へ出ることを取りやめた。

 グウマは普段から不平不満が多かった。最期の儀式の直前でもそうだった。グウマは椅子いすに座ったままで、突っ立っているコウゼンに対して、世の中に対する恨み言をくどくどとべた。

「最期だから見てやろうと言って、普段は見向きもしないでいる連中というのは、全くもって見下げたやつらだ。世の中にはそういうやからが多くて、彼らは重要な物事を損なう直前か、完全に失った後でしか実感しないのだ。だから平和というのは維持し難く、困難なのだ」

 グウマは元々の黒毛は今やすっかり白くなり、五十代という年齢にしては、あまりにも老人のような外見になっていた。足腰の筋は衰え、歩くためには杖をつく必要があったので、近頃は椅子いすに座っているか、寝台ベッドで横になっていることがほとんどだった。

 対照的に、コウゼンは若々しさが際立つように思われた。伝説の英雄の血筋に由来する赤髪は艶々(つやつや)として輝くようだったし、剣師セイヴァとして第一線で戦い続けて、その中でも最強と称される戦士の肉体は生命力に満ちていた。僧衣を着ていても筋骨の盛り上がりは明らかであり、その立ち姿は神官ドルイドによくある控えめさや仄暗さとは無縁だった。

 グウマの背後には彼の息子であるイヴトーブが控えていた。グウマが一通りの文句を言い終えて、「そろそろ行くか」と言うと、イヴトーブはグウマが立つのを助けた。半年前にグウマはおきての特例事項を定めており、彼自身の最期においては彼の一族の後継者が立ち会うことをおおやけに認めさせていた。本当は、親子が並んで市民の前に姿を見せることは、彼らの一族を宣伝する最良の手段であった。それも今は断念せざるを得ない状況だったが、神殿内の大回廊や礼拝席にはだいたいのみやこの有力者が列席しているので、核たる目的は果たせる算段であった。

 いよいよ守り子が祭壇のに向かい始めた。グウマがイヴトーブに支えられながらゆっくりと歩くのに合わせて、コウゼンや、その後に続く神官ドルイドたちも短い歩幅で足を地にるようにして進んだ。

 健康な者ならすぐにも到達し得る距離が、グウマには登山のように険しい道であった。彼は少し歩いただけですぐに息を切らし、しばしば休憩した。この数年で体の衰えは急速に進行し続けて、快方することはなかった。筋、骨、蔵の全てをむしばむ苦しみは常にいまそのときが最大であった。

 グウマは残りわずかな命をすり減らすようにして歩き、やがて溶岩の海が煮え立つのが見えてきた。祭壇のは火口の上に突き出ており、その周囲の大気は灼熱に揺らぎ、この世とあの世の境界が曖昧になっているような印象を与えた。

 犠牲の儀式にはいくつかの種類の作法がある。伝承に伝えられるところでは、いにしえの民の補助を得る場合がある。近年では海の都(ドンド)空の都(パラテラ)でそのやり方が取られた。ただし今回の儀式ではネビウスたちの協力はない。要請もなければ、招待すらもしていなかった。

 グウマはネビウスや他のいにしえの民の行動理念に対して懐疑的であった。彼にとってネビウスは断じて味方ではなかった。終わりの島(エンドランド)の呪いの巡りを支配する価値の天秤という物があり、それを作った最も古き者たちは一貫して天秤の保存だけを重んじてきた。その内の一人であると思わしきネビウスは典型的な天秤思想の持ち主であり、常にかたよりを正すことに注力してきた。

 天秤主義者の思想は現代では呪い以外の分野にも適応される傾向があった。グウマが徹底して善なることを目指すと、ネビウスは悪意的にその逆のことをしかけたのである。例えば、森の王族の姫君であるレッサが現在まで生き残ったという、ネビウスがレッサの守護に固執して十年近くも費やしたことは、その代表例であった。

 継承一門カイラ太陽の都(ソルガウディウム)が誇る最強の戦士集団である。それを統率する十二剣師(エトセイヴァ)は犠牲の儀式に参列していた。

 グウマは儀式を見守る参拝者たちの中で明らかに異様な気配をしたその戦士たちを見やった。そこには十二年前にグウマが殺しそこねた、青い花髪かはつのレッサ姫もいた。レッサは森の呪いの化身を数多く葬ることによって、グウマの信頼を得るに至った。ジュカ人の伝統的なやり方では木々や植物に成り果てた化身を森に放つことで自然な解消をはかるが、レッサは継承一門カイラのやり方を選んだのであった。

 今、グウマはレッサの背後に森の呪いの化身たちの怨念が、木々のうろが人の顔のようになって、恐ろしい叫びを上げながら蠢いているのを見て取った。

 ハッとして振り向いて見れば、彼の後ろに着いてきていたはずの神官ドルイドたちはおらず、そこに彼が見たのは炎上する太古の森の姿であった。支えを求めて息子に手を伸ばせば、そこにしがみ付いてくる無数の手を感じた。心身を焼かれ、苦しみあえぐ亡者の影がグウマに集まってきていた。木々の根が伸びてきて、グウマを締め上げて、その血肉を養分にしようと襲いかかってきた。

 グウマの心の内にあった悔恨の念がそういう幻視を見せるのだと、彼は考えた。死のふちにあって、為してきた必要悪が心をさいなんでいた。

 そのときであった。

 恐怖と絶望に呑まれかけていたグウマの横を、輝く若者の影が過ぎていった。その立ち姿は精悍で、これから来る試練に真っ向から挑む気概に満ちており、火山に住まう大化身に立ち会って加護を受けに行こうとしているようだった。その姿は若き日のグウマに他ならなかった。

 グウマは振り返ることは止めた。彼は前を向き、手を伸ばした。

「おお、光よ。偉大なる者、太陽の化身(スタァテラ)よ……!」

 グウマの呼びかけによって、火口の溶岩が激しく波打った。その中から、灼熱のたてがみを持つライオンが姿を現した。太陽の化身(スタァテラ)たてがみにどろどろと滴って赤熱する溶岩を、体をぶるりと震わせて払った。

 そして天に向って高らかに吠えた。応じて、そのたてがみが輝き、光を放った。黄金色をした灼熱の光がグウマに降り注いだ。彼にまとわりつく呪いの影はたちまち浄化されて消え果てた。彼の身を蝕む呪いも消しされられるように思われた。

 グウマはこのとき理解した。太陽の化身(スタァテラ)は呪いの化身を食べるときに苦しみを与えないのだ。その儀式は瞬きの間に終わるのだ。無に帰る一瞬をグウマは幸福に感じていた。全てのすべきことを彼は為してきた。だから後悔などあるはずもなかった。



 予定では、太陽の化身(スタァテラ)がグウマを喰らった後は、コウゼンが儀式を引き継ぎ、他の呪いの化身を太陽の化身(スタァテラ)に捧げることになっていた。

 今まさにグウマが食べられようとしていたときだった。

 異変に気づいたのは十二剣師エトセイヴァのレッサであった。ジュカ人の天性の特技として射手の才がある。

 弓あるいは矢の精霊の気配がレッサに寒気をもよおしたのだ。彼女の目にはその二種の精霊がもたらす射線が、すうっと細く伸びて、グウマに向かっているのが見えた。その線は参列席の方へと伸びており、そこで外套がいとう姿の不審な人物が弓を構えていた。

 レッサは咄嗟とっさに叫んだ。

「グウマ! 伏せなさい!」

 しかし声は届いていなかった。グウマは霊的に陶酔とうすいしていて、他者の声を聞ける状態ではなかった。

 矢は放たれた。

 溶岩の上を駆けていくのは一瞬。

 それがグウマに命中すると思われたときだった。

 この場にレッサ以外でもう一人いたジュカ人はカミットであった。

 彼が飛び出していって、グウマを突き飛ばした。

 矢は直前ではずれた。

 暗殺は防がれたのだ。

 しかし暗殺者の目的は既に達成されていた。

 神殿の下層回廊では呪いの化身たちが儀式を待つために並んでおり、彼らは太陽の化身(スタァテラ)の光を浴びて、化身への変貌が急速に進んでいた。人の意識を失う寸前の最も純粋な状況で儀式に望むということは、すぐにも儀式が行わなれなければたちまち人食いの怪物になってしまうということでもあった。

 ところが騒然とする状況の中で、太陽の化身(スタァテラ)は不機嫌にうなり、溶岩の海に帰って行ってしまった。

 グウマは正気に戻り、カミットを払いけた。

「何が起こった? 太陽の化身(スタァテラ)はどこだ?」

 カミットはグウマに言った。

「フィブロが矢を撃った! グウマを殺そうとしたんだ」

 グウマはその名を聞いてすぐにさとった。フィブロは森の貴族の生き残りであった。グウマはぽつりとつぶやいた。

「殺し損ねた子供が復讐に来たか」

 ここへコウゼンとイヴトーブが駆けてきた。

 コウゼンは混乱していた。

「何が起きたのです! カミット、君はいったい何をした!?」

 グウマはゆらりと立ち上がった。その半身はどろどろとして赤くただれて、赤熱していた。彼もまた火の化身となりつつあった。彼は落ちている矢を示して、コウゼンに答えた。

「森の民の仕業だ。やつらは私を殺し、呪いの化身をみやこに放つつもりだ」

「儀式をすぐに再開しましょう」

「お前は太陽の化身(スタァテラ)を感じているか?」

「彼は怒っています」

「そうだ。偉大な者は静謐せいひつな状況でなければ儀式に応じぬ。そういう性格だからだ」

「しかしこの状況では不可能です」

 グウマはイヴトーブの方にも視線をやった。

「もはやすぐにも儀式をするということは叶わぬ。こういうときのためにお前達、継承一門カイラがいるのだ。命を懸けて、被害を最小限に止めよ」

 グウマは全てを見据えていた。彼は落ち着いていた。現状はあらゆる可能性の中で二番目に悪い状況であったが、最も悪い状況ではなかった。彼はカミットに一言やった。

「お前は私が化身になることを防いだ。正しい判断と行動だったな」

 回りくどい言い方であったが、グウマはカミットをめていた。

 カミットはよく理解していない様子で不思議そうに首を傾げた。

「そうなの?」

「お前は戦士なのだ。すぐにも戦いの準備をしろ。呪いの化身が神殿から出ないように、全て殺すのだ」

「うん! 分かった!」

 カミットは駆けていった。

 グウマはその後ろ姿に、儀式の直前で見た幻視を重ね合わせた。太陽の化身(スタァテラ)に向かっていく輝く光の影は未来に向かうあらゆる若者の象徴なのかもしれなかった。

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