第171話 太陽の祝祭(16)「生贄の供物」
豚を天井から吊るし、その首を切り、血を得た。直下で太陽の守り子であるグウマが祈りを捧げており、彼は血が降り注いでくるのを全身に浴びた。グウマの白い毛並みと純白の僧衣は赤く染まった。血はどろどろとしていて、グウマにまとわりついた。
その周りを神官が杖に火を灯して囲んでいた。生贄の間は明かりが爛々として、グウマと生贄の影をあらゆる方向に作っていた。
血が滴り終えると、グウマは立った。
そこへ僧衣を着たコウゼンが現れる。彼はグウマの前までやってくると、膝を付いて、頭を下げた。
グウマは血に濡れた手でコウゼンのコーネ人の猫耳に触れ、彼の耳を赤く塗りたくった。コウゼンは元々赤毛だが、血の赤はそれよりもずっと濃い赤であった。
次に、コウゼンが生贄の間の中央に進み出る。
新たな生贄がもう一匹殺されて、その血がコウゼンに降り注いだ。コウゼンは生贄の儀式を掟の通りに行った。このあとの生贄は全て、彼が責任を負うことになる。
グウマは無言で頷き、先に部屋を出た。彼は湯浴みをし、体を清めてから、執務室に戻った。彼が物思いに耽っていると、ネビウスが訪ねてきた。
「上手くいったのかしら?」
「当然だ。そうでなくては困る」
祝祭は六日目を迎えていた。これ以後、最終日である十日目まで、生贄の受領はコウゼンが務めることになる。たった今、その引き継ぎが行われたのであり、守り子の代替わりの第一段階は円滑に済んだのであった。
ネビウスは机に酒瓶を置いた。太陽の神殿に酒は無いので、彼女はわざわざ持参してきたのであった。
「お疲れ様! 乾杯しましょうよ!」
グウマは呆れた。
「神殿に酒を持ち込むな。信仰を足蹴にしないではいられないのか」
「南のジュカ人が作った葡萄酒なの。空の都でブート人の成金が抱え込んでる在庫を分けてもらったのよ。値打ち物だし、すごい美味しいわ」
ネビウスはグウマの話を聞かず、勝手に酒盛りの用意を始めた。
赤い液体がどぼどぼと杯に注がれた。
グウマは思うところをつい語った。
「私はそういう贅沢品とは無縁で生きてきた。快楽を嫌ったのではない。私は自らを律する必要があった。多くの罪と呪いの返りを受けた身には本能の制御が必要だったのだ」
「それだけ頑固だから、その歳まで体が保ったのかもしれないわ。この何十年かは決して簡単ではなかったし、太陽の化身は時代に相応しい守り子を選んだってことかもね」
この言葉を受けて、グウマは少し心を緩ませた。古の民は途方もない時を生きる。彼らからの評価は永劫語られるのだ。グウマは守り子としての責任を果たしてきたことが、古き民によって評価され、死後の名誉を保証されたように思った。
二人は杯を打ち付け合い、乾杯した。
何十年かぶりの美酒の味がグウマにさらに語らせた。
「私は都の安全のために、あらゆる外敵を排除してきた。惜しまれるのは、魔人をまだ倒せていないことだ」
「いるかどうかも分からないもので悩んでも仕方ないわ」
「伝承と伝説は事実に即す。他の五大都市に魔人が出ている以上、魔人は太陽の都にも必ず現れる」
「そうなのかしらねェ」
「しかし私はもう死ぬ。この後を継ぐ者たちは私たちがやってきたような仕事を為すだろうか、私は懸念が止まぬ」
「ねえ、今はこれを楽しみましょうよ。あんたはよくがんばったんでしょう? そしたら、すっきりとした気持ちでいたら良いんだわ」
ネビウスは彼女の杯を揺らしてみせた。グウマは静かに唸り、言われたとおりに酒を口に運んだ。
二十年前はグウマとネビウスはジュカ人の戦後処理を巡って対立していた。その当時、ネビウスはグウマをひどく嫌っていたものだが、今はそのような様子が見られない。
よく言われることには、ネビウスは弱者と敗者に優しい。
ネビウスが彼の目の前で暖かく微笑み、労いの美酒を注いでくれるということが、グウマに彼の死期が迫っているということを実感させた。
※
血管に根が張り巡らされ、全身の皮膚を微細な葉が覆い、筋と骨の葉力的線維化が進行し、やがて木や花となる。これが森の呪いの化身である。彼らは人にとって無害では決して無い。物言わず佇んでいたかと思えば、通りかかった生き物であれば何であれ、それを棘の付いた蔓で縛り、粘り気のある消化液で溶かして吸収、すなわち捕食するのだ。
現在では、森の呪いは太陽の祝祭で生贄に捧げられている。かつては森の神殿で処理されていたが、戦争により森の神官が全滅し、ジュカ人は呪いの処理手段を失ったからだ。
呪いの化身は完全な変態を遂げる前ならば、人の意識を残しているので、言葉による指示に従う。森の化身は檻に入れられ、太古の森から車に乗せられて運ばれてくる。祝祭の期間中は太陽の神殿で隔離されて、最終日の生贄の儀式を祈りを捧げながら待つのである。
通りに化身を運ぶ行列が現れると、人々は食べ物を与えたり、花びらをかけたりする。太陽の祝祭では連日の光景である。
ある男の子が行列に対して、おずおずと進み出た。彼は葉髪をしたヨーグ人だった。彼は花びらをぎゅっと握ったままでいた。
ミヤルは白い毛並みをしたコーネ人の少女である。彼女が困っている少年に寄り添った。
「私がお手本を見せてあげる!」
ミヤルは化身を運ぶ荷車に花びらをかけ、幸せそうに微笑んだ。
「これでこの人たちはきちんと食べてもらえるわ!」
こう言った直後に、彼女はお腹をぐうと鳴らした。
「こんなの見てたら、私までお腹空いてきちゃった」
男の子は慌てて、ミヤルの手を引いて、その場から離れた。彼らは大通りから外れて、路地裏を走り、ジュカ人街へ戻ってきた。
太陽の都のジュカ人の民族街は少し前にあった迫害運動によって大きな被害を受けた。燃え落ちた家々は今もそのままにされていて、住民はボロ布を張って、仮設の天幕を作って、そこで暮らしていた。
瓦礫だらけの広場で、フィブロという男が人々に講義をしていた。彼は王権復興を目指しており、南の砂漠に隠れていたが、祝祭に詰めかける人混みに紛れて都に入ったのであった。
フィブロは講義を終えると、ミヤルたちの滞在している天幕にやってきた。
その天幕の主人は口だけの顔を持ち、不気味なボロ布の外套を着て、背には斧を担ぎ、そこにいるだけで腐臭を漂わせる異形の存在、月追いであった。
フィブロとその月追いが話した。
「今日も森から生贄が運ばれている。太陽の都は例年よりも多くの呪いを生贄にするようだ。天秤がミヤルの呪いを量り取っているからだ。呪い母は機能するのか。天秤の対抗力で無効にされるおそれがある」
「お前たちが弓を引けるかどうか、それだけが全てだ」
ちょうど帰ってきたところのミヤルが彼らの会話に割り込んで言った。
「呪い母様はきっと来るわ。どこもかしこも、こんなに美味しそうな匂いがするんだもの」
茸の根地で、コウゼンとカミットたちが討ち漏らした呪い母のミヤルが太陽の都に入ってきていた。平時ならば、守り子の支配があらゆる呪いを封じ込めていたが、今回の祝祭は特別だった。守り子の移行期においては呪いの巡りが乱れており、神殿の天秤が量り取る呪いを分析するのは難事であった。
さらに月追いまでもが守り子の守護を潜り抜けた。その恐ろしき存在が近づいたのはジュカ人の王権復興を掲げるフィブロだった。
月追いの口が裂けて、凶悪な笑みを作った。彼はフィブロに語りかけた。
「月は見ている。お前たちの復讐は必ずや成し遂げられるであろう」




