第17話 職人組合(5)「月下の決闘」
「エニネ! 都から精霊がいなくなっちゃったんだって!」
職人組合の食堂で昼休憩をしていたエニネに、カミットが急に話しかけた。師弟関係の解消以降も、カミットはときどきエニネに話しかけにきたが、今回は最初から話題を決めてきている様子だった。
エニネは鬱陶しく思って目を細めて、持っていた骨付き肉を頬張り、咀嚼しながら話を聞いた。
「だから何?」
「お供え物から霊が抜けちゃったんだよ」
「ふーん。大変そうね」
「僕はいろいろ調べたんだけど、たぶんバルチッタのせいだ」
エニネは目の色を変えて、食事の手を止めた。バルチッタは今年になって荒れ地の都にやってきた新参の商人である。職人組合職員のエニネとも揉めたし、悪い噂の多い男であった。
カミットは語った。
「バルチッタは牢獄の都から来た。あの人は精霊に嫌われた月の半島から食べ物をものすごく安く持ってきて、こっちで安く売っているんだ。栄養がない、悪い食べ物をさ」
「誰から聞いたの? 証拠はあるの?」
「自分で調べたよ。職人組合を出入りする商人とかいろんな人に話しを聞いた」
エニネはうっかりカミットを褒めそうになったが、どうにか気持ちを抑えた。この子供を調子に乗らせてなるものかと彼女は考えたのであった。
「……あっそ。上に報告したんでしょ?」
「まだだよ」
「は? なんで?」
「ネビウスとベイサリオンの話を盗み聞きしたのは行儀が良くないでしょ? だからこの話は秘密なんだ」
実際に話をもらしたのはミーナであるが、そうするように頼んだのはカミットであった。
エニネは首を横に振り、頭を抱えた。
「職人組合はネビウスと揉めるつもりはないの。バルチッタがネビウスの友人だって吹聴して大きな顔をしているのはそういうことよ」
「ううん。ネビウスとバルチッタは友達じゃないよ」
エニネは首を傾げた。エニネはバルチッタと衝突した際、ネビウスに酷くやられている。それでネビウスとバルチッタは親友なのだろうと思っていた。
「ネビウスは自分のせいでバルチッタが貧乏になるのがいやだっただけ。知らないところで、バルチッタが捕まっても、きっと気にしないよ!」
エニネはこの葉っぱ頭のカミットがどうして自分のところでわーわー言っているのか分からなかった。エニネはため息をついて言った。
「そんなに言うなら、上に掛け合ったら良いじゃない」
「でも、大人たちは僕の言うことを聞いてくれないでしょ?」
「私も大人なんだけど」
「エニネは十五歳でしょ? 僕と一番歳が近いよ」
「私は成人しているのよ。あとね、掟の違反摘発は上級職が決議して、神殿から特別な許可をもらわないといけないのよ」
「だから取引の場所を狙うんだよ」
「ん? え?」
「だって目の前で泥棒がいたら衛兵じゃなくても、みんなで捕まえるでしょ? 偉い人が良いよって言うのを待っていられないもの。エニネが言ってたやつだよ。僕たちは予定通りにバルチッタのお家に伺えば良いんだよ」
「……そうねェ」
「そうでしょ!」
「やっぱりだめ」
「なんで!」
カミットが机を叩いて大声を出したので周囲の視線が集まった。エニネは「行儀が悪いわよ」と言って、カミットを注意し、続けて言った。
「危ないからよ。もし戦闘になったりしたら、……私は人に呪いをかけたことがないのよ」
「僕もないよ」
「当たり前でしょ。あんたのお母さんがどういう教育をしているのか知らないけど、呪いで人を傷つけることは大変な罪なのよ。あんたも下手なことしたら、牢獄の都送りよ」
カミットはエニネの説得を諦めて去っていったが、口をひん曲げて実に生意気で反抗的な顔をしていた。不穏な雰囲気を感じたエニネは、カミットから聞いた話を上司に報告した。
※
職人組合はバルチッタ邸の家宅捜索を決定し、上級職員三名と中級職員十名および初級職員十名を派遣した。中級職員の中には栗毛の髪をした十五歳の女の子、エニネも含まれていた。彼らは事前連絡なく、早朝のまだ暗い内にバルチッタ邸を訪問し、ガウン姿で寝ぼけた様子で出てきたバルチッタに赤塗の札を突きつけた。バルチッタは顔を真っ赤にして怒鳴った。
「ネビウスを呼ぶぞ! お前達、どうなるか分かっているんだろうな!」
「ネビウスには通達済だ。彼女はこの件に関与しないと明言した」
壮年の上級職員は少しも動じずに言った。
こうなるとバルチッタは顔面蒼白になって立ち尽くすだけだった。
敷地内の納屋ではラクリメンシスから掟に反して輸入された穀物や果実が大量に見つかった。
事が起こったのは、証拠物の押収はすんなりと終わり、庭先でエニネや他の職員たちがほっとしていたときだった。
敷地の門から入ってくる黒いマントをした小さな人影を見て、エニネは心臓が止まる思いがした。彼女は恐怖に駆られて呟いた。
「……ネビウス!」
他の職員もネビウスに気づくと、みな自然と作業の手を止めた。
ただネビウスがやってきただけなら、誰も驚かなかったし、恐れることもなかった。しかしこのときネビウスの手には抜身の青い剣が握られていたのだ。
上級職員は邸宅内でバルチッタと話し合っており、ここにはいなかった。中級職員は初級職員を指揮し、かつ彼らを守らねばならなかった。エニネは震える手で杖を持った。
ネビウスの左右の瞳がそれぞれ青と赤をした爛々と揺れる光を宿し、その光がエニネを捉えた。
エニネはやはり恐ろしくてたまらなかった。しかし今回は杖を落とさなかった。こうなる可能性は低いとは言えあったのだ。覚悟はできていた。
エニネは杖の先に火を灯し、声を張って言った。
「ネビウス! 私達は掟に基づき、職責を全うしているわ!」
「仕方ない娘ね。私に二度も噛み付いてくるのはよっぽどよ。見どころがあるのかしら」
ネビウスはぶつぶつ言うなり、さっと駆け出して、獣のような俊敏さでエニネに一気に近づいた。エニネは杖の照準を合わせられず、ネビウスが間合いに入ってくるのを止められなかった。他の職員たちも実戦経験は少なく、ネビウスがエニネに迫ったのにまるで対処できなかった。
誰もがエニネはやられたと思った。
ところがネビウスの狙いは違った。彼女はエニネを通り過ぎ、屋敷に入っていこうとする不審な人影に斬りかかったのだ。
その人影は振り向きざまに背負っていた巨大な斧でネビウスの剣を受け止めた。
このとき明け方が近いというのに、煌々と光る月が空に浮かんでいた。
「月は見ているぞ」
一帯に恐ろしい声が響いた。
その声の主は、黒々としたボロ布を纏った姿に、顔には口だけを持つ怪物、終わりの島で最も恐れられる存在、月追いであった。
月追いの裂けた口がにんまりと笑みを作ると、辺りに黒い霧が漂った。腐敗した臭いが充満し、さらに強烈な寒気がその場にいる者たちを襲った。ネビウス以外の者たちは未知の恐怖に震えて、皆立っていられなくなり、その場で崩れ落ちた。
ネビウスは怒号を飛ばした。
「怖がるんじゃない! 負けるな!」
エニネは負けたくなかった。立たねば、と気持ちを奮い起こし、杖を地について、どうにか立ち上がった。しかしできたのはそれだけだった。彼女の目の前で始まった戦いは素人が介入できるほど生易しいものではなかった。
月追いの大斧の一振りは周囲の石柱や木を打ち砕いた。人の身でこれを受ければどうなるかは想像に容易かった。
ネビウスは月追いの激しい攻撃を飛び退いて避けて、すぐさま反撃した。ネビウスは小柄な体を自由自在に操り、蝶や蜂の舞うような動きで月追いを翻弄し、上下も含めたあらゆる角度から剣の連撃を打ち込んだ。ところが月追いの反応速度も尋常ではなく、常人であれば瞬殺されているであろうネビウスの猛攻を辛うじてではあるが全て防ぎ、いずれも直撃には至らなかった。
騒ぎに気づいて邸宅内から出てきたバルチッタや上級職員はネビウスと月追いの戦いを見て呆気に取られた。
月追いはバルチッタを見るなり、彼へと迫った。バルチッタは悲鳴を上げてその場に尻もちをついて倒れ込んだ。
今にもバルチッタが襲われそうになる、その直前であった。
大地から太い根が生えて、さらに別方向から弾丸のように地面を突き破って現れた蔦が月追いの足を取って転ばせた。
この一瞬を逃さず、ネビウスが飛びかかった。
月追いは膝をついて立ち上がろうしながら、振り向きざまに斧でネビウスに斬りつけた。
この斬撃をネビウスは宙で体を捻って斧の刃の上を水平に滑るようにして躱し、その勢いのまま回転斬りにて月追いの首を落とした。
月追いが倒れ、辺りが静まり返った。
そのすぐあとに物陰から得意げな顔で現れたのはカミットであった。
ネビウスはカミットが駆け寄ってくるのを抱きしめ、彼を押し留めて、倒れている月追いから距離を取った。
戦いは終わっていなかったのだ。月追いの周囲に不気味な黒い霧が吹き出すと、落ちた首は消滅し、新たな首が肉体から生えた。
おどろおどろしい不気味な声が辺りに響いた。
「月はお前たちを見ているぞ……月は……」
「うるさいのよ! とっとと帰りな!」
ネビウスは叱りつけるように言った。
なおも月追いは喋ろうとした。
「月は……」
「帰れ! 帰れー!」
今度はカミットが大声で叫んだ。
月追いは無言で空に手を翳した。すると翼を持つ大蛇が降り立ち、月追いはこれに乗って飛び立っていった。
戦いが終わるなり、バルチッタはネビウスに縋り付いて言った。
「俺を助けに来てくれたんだよな?」
「違うよ。私は月追いを追っ払っただけ」
ネビウスはバルチッタに淡々と対応した。実はネビウスはバルチッタが掟を破り、牢獄の都の作物を流通させていることをベイサリオンに教えていた。この情報はベイサリオン経由で公式に職人組合に通報されていたのである。
二人のやりとりを見ていた職人組合職員たちは縄を持ってバルチッタに迫った。
このときバルチッタは奇声を発し、服の裾に隠し持っていた杖を振り、呪いの力で煙幕を起こした。煙が消え去った後、バルチッタの姿は無く、彼は逃げてしまっていた。




